第14話
勇豪の仕事は王を警護することまで。これから先は文生に気軽に口をきける間柄ではなくなり、彼の苦悩を感じることすら出来ない距離になる。
もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなるのだから。
だが自分なりに彼を支えてやろう。勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、地面に降り立つと振り返ることなく兵舎へ向かった。
兵舎に戻ると、いつもと空気が違う気がした。
全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
「どうしたもこうしたも、なんか綺麗な女が案内されてて、誰かの連れなんじゃねぇかって噂してて……ほら、あんたも覗いてみ、ッてうお!ご、護衛長!」
覗き見に誘おうとした兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「あー……あいつのことか。そういや、
「え、護衛長の知り合いですか?も、もしかして……?」
兵士がにやけながら小指を立てて示したので、勇豪は兵士の頭をぽかり、と叩く。
「ちげーよ!誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
兵士は頭頂部をさすりながら「じゃあ誰なんです?」と聞く。
「あいつは王の
「一番大事なとこ面倒くさがらないでくださいよ、護衛長。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
勇豪はかったるそうに頭を
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きの体っていうか……あぁもう面倒くせぇ!」
勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせている。
勇豪が「おい、女!」と呼びかけると、
その横にいた案内役の兵士は、肩をびくりと震わせると美琳に懇願の目を向けた。美琳はそれにちらりと目線を流した後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「何ですか?勇豪さん。というか、あたしには『美琳』って名前があるのでちゃんと呼んでもらえますか?」
勇豪は美琳がちゃんと敬語を使っていることに引っかかったが、無視して話を続ける。
「あ?そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。
勇豪は左手でその手を掴むと上向かせ、右手で腰に下げていた木製の短剣を持つ。
大人しく見守っていた兵士たちは、何が行われるのか一瞬で悟った。同時に勇豪を止めようと慌てて転がり出た。
だが一歩間に合わず、勇豪の短剣は少女の
周囲にいる兵士たちは、目をかっぴらいた。
少女の小さな手には短剣が突き立っている。だのに、勇豪も少女も動じている様子はない。
兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつも、二人が動じない理由も悟ることとなった。
少女の掌からは血が一滴も流れていない。その上、勇豪が短剣を抜き取ると見る間に傷が治っていく。
そこにはもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、
「ま、
兵士たちは唖然としつつ頷く。
案内役の兵士も瞠目すると、急いで
兵士がホッと一息つくと美琳と目が合った。兵士は気まずさと、戸惑いの滲んだ瞳をした。
美琳は
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。あたしはこの後どうすればいいですか?」
「お?そうだな……とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらおう」
「分かりました」
「……さっきから気になってたんだが、お前やろうと思えばちゃんと話せるんだな。急にどうした?」
美琳は「あぁ……」と漏らすと、顔を綻ばせて答える。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、と」
周囲の兵士たちはその笑顔にほぅ、と吐息を漏らす。むさくるしい男ばかりの場に一輪の花が咲いたようで、緩んだ空気になる。
一同は
だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
まず、美琳を殴ってしまった兵士だ。彼はうら若き少女の反応に怯えた。
女を殴ったこと自体に後悔はない。王の女だったらしいがもう直接関わることはないだろう。そこも問題ない。
だが流石に、笑顔で勇豪に話すとは思わなかった。
兵士は、殴った直後でも少女が気にしていない素振りなのが、自分の正当性を認めてくれたからだと思っていた。しかしそれは違う。
兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。なるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
一方、勇豪は口をへの字に曲げていた。
勇豪は美琳とは数日しか行動していないが、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのも把握している。
その彼女が他人の指導
その上で、弧を描いた目に
これはきっと、
まあ
勇豪は、面倒くせぇな、と心の中で一人ごちる。
だがもう美琳と文生の人生が交わらないのは確定したのだ。美琳がどう
そんなことを考えていたら、美琳の目線がより険しくなっていた。しかし勇豪も段々慣れてきたものだ。こんな小娘に何度も怯んでいられない……と思考を巡らせていたら、ふと気になった。
(こいつ、歳いくつなんだ……?)
美琳に見つめられていた勇豪は、逆にじぃっと見つめ返した。
美琳は見つめ返されると思ってなかったのだろう。たじろぎ目をそらすと、周りの兵士からの歓迎の言葉に対応して誤魔化し始めた。
勇豪は初めて美琳に勝ったような心地になり、
勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら、そろそろ
ざわざわしていた彼らはその言葉を聞くと、慌てて訓練場近くの食堂に向かう。
夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
美琳の濡れ羽色の髪が茜色を吸い込んでいる。後れ毛が風にたなびけば少女の白い肌が際立たち、
神々しいようでいて儚くもある少女のその姿は、庇護欲を駆り立てる
しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
美琳が風で乱れた髪を耳にかけながら「勇豪さん」と呼び掛ける。
「む?あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
勇豪は指で指し示しながら話したが、美琳は
「場所は分かりますよ。皆さん向かって行った場所でしょう?そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。
「ッ……」
勇豪は体を硬直させた。他の兵士がいたときとは比べ物にならない
美琳の蛇のように鋭い目線が勇豪を非難し、今にも飛び掛かりそうな程の怒気を放っている。勇豪はだらだらと脂汗をかいて、彼女からどんな言葉が続くのかと緊張した。
だが美琳の声は、ひどく物静かだった。
「でも、そんなことはどうでもいいんです。だって
そう言った美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つと示して、文生といるのにふさわしい『人』になります。だから勇豪さんも力を貸してくださいね?」
勇豪の喉仏がひくりと動いた。勇豪は美琳の美貌が文生への執念を隠すために
文生と何が何でも離れたくない。そのためなら何でもする。それこそ、慣習を壊すことも、人を殺すことも。
そんな泥沼のような、汚く、澱んだ執念が美琳には内包されている。
しかもそれを周囲にはあまり晒さないようにし始めた。それが文生様のためになるからと話したからだ。
兵士らがいるときには殺気は押し殺して、目だけで訴えていたのもそのせいだろう。
勇豪は想像よりも遥かに強い少女の
ならば自分の本来の仕事をするだけだ。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
美琳は可愛らしく小首を傾げて答えた。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。
(思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな)
勇豪は強張っていた体をほぐしながら、自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けた。
(ま、なるようになるさ)
勇豪の背に薄暮れの空が広がっている。
そこに一つ、金色の星が輝いていた。
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