第14話

 文生ウェンシェンが引き締まった顔で宮殿へ入っていったのを見送った勇豪ヨンハオは、階段を降りて宮殿を後にする。

 勇豪の仕事は王を警護することまで。これから先は文生に気軽に口をきける間柄ではなくなり、彼の苦悩を感じることすら出来ない距離になる。

 もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなるのだから。

 だが自分なりに彼を支えてやろう。勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、地面に降り立つと振り返ることなく兵舎へ向かった。




 兵舎に戻ると、いつもと空気が違う気がした。

 全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。

 勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。

「どうした、何かあったのか」

「どうしたもこうしたも、なんか綺麗な女が案内されてて、誰かの連れなんじゃねぇかって噂してて……ほら、あんたも覗いてみ、ッてうお!ご、護衛長!」

 覗き見に誘おうとした兵士は、声の主を見て慌てふためく。

「あー……あいつのことか。そういや、のが世間じゃ人気なんだっけか」

「え、護衛長の知り合いですか?も、もしかして……?」

 兵士がにやけながら小指を立てて示したので、勇豪は兵士の頭をぽかり、と叩く。

「ちげーよ!誰があんな女と好き好んで関わるかよ」

 兵士は頭頂部をさすりながら「じゃあ誰なんです?」と聞く。

「あいつは王の連れだ。未練たらしく王宮に連れて行けとうるさくてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」

「一番大事なとこ面倒くさがらないでくださいよ、護衛長。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」

 勇豪はかったるそうに頭をむしると、ため息混じりに説明しようとする。

「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きの体っていうか……あぁもう面倒くせぇ!」




 勇豪ヨンハオはずかずかと廊下を進む。巨大な体躯は軽く地面を振動させて、兵舎にいる兵士たちに彼の帰還を告げる。

 勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせている。

 勇豪が「おい、女!」と呼びかけると、美琳メイリンが振り返った。

 その横にいた案内役の兵士は、肩をびくりと震わせると美琳に懇願の目を向けた。美琳はそれにちらりと目線を流した後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。

「何ですか?勇豪さん。というか、あたしには『美琳』って名前があるのでちゃんと呼んでもらえますか?」

 勇豪は美琳がちゃんと敬語を使っていることに引っかかったが、無視して話を続ける。

「あ?そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」

 美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。

 勇豪は左手でその手を掴むと上向かせ、右手で腰に下げていた木製の短剣を持つ。

 大人しく見守っていた兵士たちは、何が行われるのか一瞬で悟った。同時に勇豪を止めようと慌てて転がり出た。

 だが一歩間に合わず、勇豪の短剣は少女のてのひらに振り下ろされるのであった。




 周囲にいる兵士たちは、目をかっぴらいた。

 少女の小さな手には短剣が突き立っている。だのに、勇豪も少女も動じている様子はない。

 兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつも、二人が動じない理由も悟ることとなった。

 少女の掌からは血が一滴も流れていない。その上、勇豪が短剣を抜き取ると見る間に傷が治っていく。

 そこにはもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、やわく可愛らしい手があるばかりであった。

「ま、こった。こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違ってものためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」

 兵士たちは唖然としつつ頷く。


 案内役の兵士も瞠目すると、急いで美琳メイリンの顔を見る。そこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした白肌になっている。

 兵士がホッと一息つくと美琳と目が合った。兵士は気まずさと、戸惑いの滲んだ瞳をした。ひるがえって美琳は、無感動な目で見ているばかりであった。

 美琳は勇豪ヨンハオに振り返ると、声をかける。

「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。あたしはこの後どうすればいいですか?」

「お?そうだな……とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらおう」

「分かりました」

「……さっきから気になってたんだが、お前やろうと思えばちゃんと話せるんだな。急にどうした?」

 美琳は「あぁ……」と漏らすと、顔を綻ばせて答える。

「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、と」

 周囲の兵士たちはその笑顔にほぅ、と吐息を漏らす。むさくるしい男ばかりの場に一輪の花が咲いたようで、緩んだ空気になる。

 一同は少女の特異な体など気にならなくなり、可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気に染まった。


 だが二人だけ、真逆の反応を示していた。

 まず、美琳を殴ってしまった兵士だ。彼はうら若き少女の反応に怯えた。

 女を殴ったこと自体に後悔はない。王の女だったらしいがもう直接関わることはないだろう。そこも問題ない。

 だが流石に、笑顔で勇豪に話すとは思わなかった。

 兵士は、殴った直後でも少女が気にしていない素振りなのが、自分の正当性を認めてくれたからだと思っていた。しかしそれは違う。

 

 兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。なるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。


 一方、勇豪は口をへの字に曲げていた。

 勇豪は美琳とは数日しか行動していないが、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのも把握している。

 その彼女が他人の指導ごときで素直に自分を曲げることはないだろう。しかも自体はもう気にも留めていない気配だ。

 その上で、弧を描いた目にほむらが燃え盛っていた。勇豪に向けて、まっすぐに。

 これはきっと、案内役あいつが俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。しかも文生ウェンシェン様絡みに違いない。

 まあ大方おおかたの予想はつく。

 勇豪は、面倒くせぇな、と心の中で一人ごちる。

 だがもう美琳と文生の人生が交わらないのは確定したのだ。美琳がどう足掻あがこうと、その事実は覆らない。


 そんなことを考えていたら、美琳の目線がより険しくなっていた。しかし勇豪も段々慣れてきたものだ。こんな小娘に何度も怯んでいられない……と思考を巡らせていたら、ふと気になった。

(こいつ、歳いくつなんだ……?)

 美琳に見つめられていた勇豪は、逆にじぃっと見つめ返した。

 美琳は見つめ返されると思ってなかったのだろう。たじろぎ目をそらすと、周りの兵士からの歓迎の言葉に対応して誤魔化し始めた。

 勇豪は初めて美琳に勝ったような心地になり、彼女の歳など気にならなくなった。




 勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。

「お前ら、そろそろ夕餉ゆうげの時間だぞ!早く食堂に行け!」

 ざわざわしていた彼らはその言葉を聞くと、慌てて訓練場近くの食堂に向かう。

 夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。

 美琳の濡れ羽色の髪が茜色を吸い込んでいる。後れ毛が風にたなびけば少女の白い肌が際立たち、睫毛まつげは影を落として瞳を覆う。黒い房飾りから垣間見える栗色の宝玉はどこまでも澄み渡っていた。

 神々しいようでいて儚くもある少女のその姿は、庇護欲を駆り立てるおもむきがあった。

 しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。


 美琳が風で乱れた髪を耳にかけながら「勇豪さん」と呼び掛ける。

「む?あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」

 勇豪は指で指し示しながら話したが、美琳はかぶりを振った。

「場所は分かりますよ。皆さん向かって行った場所でしょう?そうじゃなくて……」

「……じゃあ、なんだ」

「先程聞いたんです。ここの『仕組み』を。勇豪さん、嘘ついていましたね?」

「ッ……」

 勇豪は体を硬直させた。他の兵士がいたときとは比べ物にならないを感じたからだ。

 美琳の蛇のように鋭い目線が勇豪を非難し、今にも飛び掛かりそうな程の怒気を放っている。勇豪はだらだらと脂汗をかいて、彼女からどんな言葉が続くのかと緊張した。

 だが美琳の声は、ひどく物静かだった。

「でも、そんなことはどうでもいいんです。だってと『生き』られるかが大事なんだもの。だから……ありえないことは壊せばいいんでしょう?」

 そう言った美琳は極上の笑みを浮かべる。

「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つと示して、文生といるのにふさわしい『人』になります。だから勇豪さんも力を貸してくださいね?」


 勇豪の喉仏がひくりと動いた。勇豪は美琳の美貌が文生への執念を隠すためにるような気がしてならなかった。

 文生と何が何でも離れたくない。そのためなら何でもする。それこそ、慣習を壊すことも、人を殺すことも。

 そんな泥沼のような、汚く、澱んだ執念が美琳には内包されている。

 しかもそれを周囲にはあまり晒さないようにし始めた。それが文生様のためになるからと話したからだ。

 兵士らがいるときには殺気は押し殺して、目だけで訴えていたのもそのせいだろう。

 勇豪は想像よりも遥かに強い少女の執着心想いを深く実感した。同時に、自分には手に負えないと判断した。

 ならば自分の本来の仕事をするだけだ。

「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」

「ありがとうございます」

 美琳は可愛らしく小首を傾げて答えた。

「じゃあ、食堂に行ってきますね」

 そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。


(思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな)

 勇豪は強張っていた体をほぐしながら、自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けた。

(ま、なるようになるさ)




 勇豪の背に薄暮れの空が広がっている。

 そこに一つ、金色の星が輝いていた。

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