第13話

 文生ウェンシェンを運ぶ馬車が王宮へと入る。

 兵士たちは荷解きをして、勇豪ヨンハオは文生を宮殿へ連れていこうと馬車の戸に向かう。

 そこでふと、勇豪は美琳メイリンの存在を思い出し兵士に指示を出す。

「そこのお前、連れてきた女を兵舎に連れていけ。あいつは軍に入れさすから、俺が戻るまで軽く案内しておくんだ」

 兵士は、戸惑いながらも「ハッ!」と短く答えて動き出そうとする。

 その背中を勇豪がもう一度呼び止める。

「おい。一応あいつは文生様に関わりがある。手荒に扱うなよ」

 兵士は瞠目したが、すぐに心得たという笑みで頷き美琳に向かって走り去っていく。


 勇豪は大きくため息をつくと、今度こそ文生を案内すべく馬車の戸を開ける。

「文生様。こちらへどうぞ」

「……ありがとうございます」

 その返答に勇豪は片眉を吊り上げ、文生の耳元でひそりと囁く。

「文生様、ここからは俺に対して敬語を使っちゃなりません。俺……いや私含め、貴方より上の身分はいないンです。以後気をつけてください」

 文生は日焼けした小麦色の顔を土気色にしながら頷く。

「分かりま……分かった」

 勇豪は満足気に微笑むと、新たな君主の手を引き彼の所有地に立たせる。

「では、宮殿を上がりましょうか」




 勇豪が指を揃えた手でを指し示す。その先には青空を二つに分かつ建物があった。

 それは平屋が三段積み重なったような形で造られている。白く塗られた壁と紅い屋根は神々しい色彩で、それぞれの屋根を支えるのも煌びやかな装飾の木柱だった。真ん中にはまっすぐに伸びた一本の階段が最上段まで導いている。


 文生はしくしくと痛む腹を抑えながら、初めて見る巨大な建物を仰ぎ見る。

「あそこが……」

 文生はそこから先の言葉を呑み込む。口に出してしまうと、そのまま弱音を吐き出してしまいそうだから。

 文生は心の支えを今一度思い起こして深呼吸する。

 美琳が僕の元に戻ってくるまで、孤軍奮闘しようではないか。

 歯をキリリと噛み締めると、黄色の着物を翻して入り口へ向かう。




 彼らが近づくと、宮殿を守る護衛兵たちはまず勇豪の姿を見つける。次に黄色い着物を視界に捉えると、兵士らは慌てて道を開けてこうべを垂れた。

 大勢の兵士が一様に動いたことで青銅の鎧たちが金属音をガシャガシャンと鳴り、王の登場を知らしめる。


 当然その音は宮殿の中に届く。

 気づいた官吏かんりたちは部屋を出て階下を覗き、新しい王を見つけてざわめく。

 やっと正統な王が来た、なんだか日に焼けてみすぼらしくないか、あの下賎な側室の子に王が務まるのか、いやきっと王の血がなんとかしてくれる。

 極彩色の鳥たちのさえずりが、けんこんごうごうに飛び交って耳障りに広がる。

 勇豪ヨンハオはしかめ面をすると、鐘のような声を響かせる。

「静粛に願います!我らの王、文生ウェンシェン様のお帰りであります!」

 しぃん、と辺りが静まる。


 静寂の中、文生は階段を登り始める。一段一段、確かめるように。

 生まれて初めて階段を使ったというのもある。だが自分の覚悟を固めるためでもあった。

 最上段まで登り切ると、文生は振り返って市井を一望する。

 その瞳はどこまでも澄んで煌めいている。宮殿の放つ輝きを一身に集めたかのように。


 日に焼けたその横顔を見ていた官吏たちは、彼にはきっと王としての素質があるのを予感した。

 あんなにも慈しみを持って町を見ている彼なら、きっと民に寄り添った政治をしてくれることだろう。

 先程噂していたのを忘れたように、官吏たちは新しき王に期待を寄せ始める。


 文生が振り返ると、官吏たちが恭しく辞儀をしていた。

 文生は目を見開いたが、キッと表情を引き締めると宮殿の奥へ入っていくのであった。













 ところ変わって兵舎。

 王宮の敷地にあるその建物は、宮殿程ではないが民家よりは遥かに立派な造りの平屋だった。

 兵士が出入りしている木戸は二つあり、土壁の上にはくすんだ赤色の屋根が載っている。

 美琳メイリンは兵士に連れられて中に入り、施設の説明を受けていた。

「このまっすぐに伸びたのが共用廊下だ。廊下を挟んで続く部屋は俺たちの寝床で、部隊毎に何人かずつに割り振られている……けどまあ、女のおまえは一人部屋になるだろうな」

 美琳はつまらなそうに「ふぅん……」と答える。

 兵士は眉をピクリと動かしたが、何事もなかったように廊下の奥へ進んでいく。




 通り抜けて戸を開けた先には広い空間が広がっていた。兵士は立ち止まって話を続ける。

「そしてここが訓練場だ。普段は部隊毎に鍛錬をし、月に一度実力を見定める試合が行われる。その試合の結果で役職が変動することになっている」

 美琳が初めて興味を持った顔をする。兵士はそれを気に留めることなく説明を追加する。

「まあ、上層部はあらかた身分で決まってるがな。俺たちのような下っ端を取りまとめる部隊長とかの話だ」

「へぇ、そんな『仕組み』なのね……ねぇ、その試合で実力が認められ続けたら王宮付きの兵士になれる?」


 兵士は眉間に皺を寄せる。

「はぁ?そんなん、おまえみたいな庶人がなれる訳ないだろ。それに女のおまえが俺たちに勝てるはずないしな」

「……今、なんて?」

 兵士は盛大なため息を吐きながら答える。

「王宮付きは貴族の中でも殊更ことさら武功のあるもんじゃないと務めらんねぇよ。護衛長*だって堅苦しいのが苦手だから平兵士俺たちにも気楽な態度を許してるが、本来は俺らから話しかけられない人だぞ」

 その言葉に美琳は何も返さない。兵士は美琳の顔も見ずに話し続ける。

「そんなことよりもおまえ、先輩の俺にそんな言葉づか……ッ!」

 兵士は美琳からのくだらない質問よりも、彼女の態度の方が気になって話を変えようとした。だが彼女の顔を見た途端、ヒュッと喉が締まった音を鳴らす。




 美琳の整った顔から一切の表情が消え失せてる。反面、その明眸めいぼうだけは憎悪や憤怒が感ぜられるほむらが宿っていた。

 美琳はその美しくも恐ろしい栗色の焔で訓練場を見やり、パチパチと瞬く。その先に恨めしい者がいるかのように、何もない空間を見つめている。

 それはたかだか数秒のことだ。だが兵士には何時間にも感じられた。

 美琳は一度目を閉じると、兵士に振り返る。そこにはただの少女のつぶらな瞳があった。

「興味深い話だったわ。教えてくれてありがとう」

 美琳は作り笑いを浮かべる。

 それを見た兵士は大きく息を吸い込む。そこで初めて息を止めていたことに気づくと、兵士はぶるりと体を震わせる。

 こんな女ごときに恐怖をいだくなんて、そんなのありえない。の方が遥かに強いんだ、そんなことありえるはずが……

 兵士は戦慄わななてのひらを握りこむと、反射的にその拳を彼女に振るう。




 柔い肉に硬い骨がめり込む音が鳴る。

 一瞬の後に拳が空気を切る音が本来は鳴るはずである。だが兵士の拳は振り抜かれていなかった。

 それは殴られた美琳が棒立ちのまま頬に拳を受け止めていたからだ。

 普通、か細い少女は男の一撃で倒れこむだろう。だのに美琳の顔は正面から横に向けさせられただけだ。

 兵士は二重の意味で焦る。

(やってしまった……!新しい王の関係者に早々に手を出してしまうとは……だが、なぜこいつは微動だにしないんだ?!)


 兵士は美琳の異様さに驚きつつも、慌てて手を離し取り繕おうとする。

「こ、これは指導だからな!先輩に敬語を使わないおまえがいけないんだ……身分をわきまえろ!分かったな!」

 数秒固まっていた美琳だったが、顔を上げるとケロッとした様子で兵士に答える。

「分かりました。『ご指導』ありがとうございました」


 兵士はホッと息を吐く。

 とりあえず殴ってしまったことを正当だったことに出来た。それに彼女が殴打されても耐えたのは、きっとすでに鍛えられてて、それが理由で軍に配属されたのだろう。

 兵士はそう結論づけた。

 自分の心配で手一杯だった兵士は、安堵して気を抜いたせいで、そのときの美琳の変化に気づかなかった。




 赤く腫れていた美琳の頬が、普段通りの白い柔肌に戻っていることに。









 *護衛長…勇豪のこと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る