第15話

 都城とじょうの朝は太鼓の音から始まる。

 が昇り始める頃にトーン、トーン、と王宮から鳴り響くと、町は眠りから覚める。庶人は田畑へ向かい、商人は店を開ける。

 もちろん兵舎も例外ではない。

 雑魚寝をしていた兵士たちも目覚め、簡単な身支度をする。髪を結い直し、着崩れを直したら食堂へ向かって朝餉あさげを食べる。

 食べ終えると当番がある者は兵舎を出て、非番の者は訓練場へ集まる。

 訓練場では体を鍛える者、武器の確認をする者、組み手をして仕合う者、各々自分に足りないものを補う鍛錬をする。

 むさくるしい男たちの熱気で満ちる中、訓練場の隅に巨躯きょくな男と華奢な少女が向かい合って立っていた。


 男、勇豪ヨンハオは手に二本の武器を持ちながら少女に語りかける。

「今日からしばらく、俺が非番のときは直々じきじきに鍛えてやる。他の奴らはお前が女だからめてかかるだろうが、俺は一切手を抜かないからな」

 少女、美琳メイリンは背筋を伸ばして返事を返す。

「はい。よろしくお願いします、勇豪さん」

 すると勇豪は眉間に皺を寄せる。

「今日からは護衛長と呼べ。もうお前は文生ウェンシェン様の連れじゃなく、いち兵士となるんだ。軍の序列は守ってもらおう」

 美琳は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。

 勇豪はフン、と鼻を鳴らすと美琳に一本の武器を渡す。

 武器の全長は美琳の身長くらいで、青銅の刃が付いている。上部にある片手大の刃は手を軽く丸めたような形状で、柄に対して垂直にくくられている。柄の先端には細くて鋭く尖った刃も伸びている。

「こいつがお前の武器だ」

「分かりました」

 そうして二人の修行の日々が始まった。




 美琳は真剣な眼差しで勇豪の教えを受けた。

いくさでは五人一組で隊を組んで動き、五人はそれぞれ役割が違う。一人目が手戟てぼこ*で敵に突っ込み、二人目が矛*で一人目を援護する。三、四人目が弓で前線の敵の数を減らして、五人目が隊長としてげき*と盾で殿しんがりをつとめる」

 美琳は頭の中で想像しながら、自分に手渡された武器を握る。

「で、多少は察しているだろうが、お前に渡したのはだ」

「……そうでしょうね」

「最前線は戦闘が激しく死ぬ奴が多い。だがお前なら……」

「死なずに道を切り開ける」

「ま、そういうこった」


 美琳は合点がいったという風に頷くと、勇豪は淡々と説明を続ける。

「基本手戟は、相手の首を引っ掛けて手前に引いて使う」

「へぇ、鎌みたいなのね」

「そんなもんだな。だが人間の首は稲と違って簡単には斬れんから、手戟を引っ掛けてる間に他の奴に狙われる、なんてこともある。そういうときに矛を持った奴が兵の隙間を縫って援護すんのさ」

 勇豪は手に携えていた、手戟に似ているがその長さを優に超えた武器を見せる。

「こいつが戟だ。さっき話した通り殿の奴が盾と併せて使う。だがそれ以外は手戟とほぼ同じだから、俺は慣れたこっちを使う。つーか、手戟は俺には小さくてな。弓でも剣でも教えられる自信はあるが、それだけはどうにもな」

「はぁ」

 美琳は一寸も興味がない、といった相槌を適当に打つと、続きを促した。

「そんなことより早く教えてください」

「おッ前は……本当、文生様がいないと一気に、こう……雑になるな」

「あなただって雑じゃない……あ、何でもないです」

「……ぜってぇしごき倒してやる」

 勇豪が口角をひくつかせながらも武器を構えたので、美琳も真似て構えた。




 初め、美琳メイリンは手戟を上手く扱えなかった。細腕で扱うには長いそれに振り回されて、勇豪ヨンハオの動きについていくので精一杯だった。

 対して勇豪は、戟を軽々と扱って見せた。美琳より頭二つ分も大きなその得物を、訓練場にいるどの兵よりも素早く、力強く、そして楽しそうに振るった。

 美琳はひたすらに稽古した。足がもつれて転んでも、勇豪に怒鳴られても、ただひたすらに。

 勇豪は真面目に付いてくる美琳に関心し、指導に熱が入っていく。時間を忘れて教えていたが、次第に違和感を感じ始めた。

(こいつ……全然息が切れなくねぇか?それに汗もいてない……ただでさえやばい体なのに、これじゃ本当に……)

「勇豪さ……護衛長?どうしましたか?」

 勇豪はハッとする。目の前では美琳が不思議そうに小首を傾げて勇豪を見上げている。

 いつの間にか手を止めていたらしい、と勇豪は気づく。荒くなった呼吸を整えつつ汗をぬぐって、構えを解く。

「一旦休憩にするぞ」

「え?もうです、か……あぁ、もうこんな時間なのね」

 先程まで東寄りにあったはずのの光が、気づかぬ間に真上から降り注いでいた。周りにいた兵士たちも休憩をしたり、当番を交代するために移動したりしていた。


 美琳は得心し、武器を置いて地面にぺたんと座り込んだ。

 勇豪も武器を置くと水を飲みに井戸へ向かおうと動きかけて、つと美琳を見下ろす。

「おい、お前も水分取っておけ。井戸まで案内してやるから」

「え?あたしは別に……あ、えっと」

 美琳は途中で言葉を止めると、ちらりと周囲を見て逡巡した。勇豪がいぶかし気に美琳を待っていたら、美琳がすっくと立ち上がった。

「『ちょうど喉が乾いてた』ので助かります。昨日は井戸までは教わってなかったんです」

「おう…?そうか。食堂の裏手にあるから付いて来い」

 勇豪は今の妙な間は何だったんだと思ったが、自分の喉を潤す方を優先したかった。

 勇豪がずかずかと食堂のある方に歩き始めると、美琳も慌てて小走りで付いて行った。




 午前の疲れが和らいだ頃になると、勇豪は自分の仕事をする刻限になっていた。

 勇豪は美琳に自主鍛錬の方法を簡潔に教え、サボらずにやるよう言いつけると、宮殿に向かうべく訓練場を離れる。

 美琳がその後ろ姿を妬ましそうに見送っていると、これ幸いとばかりに若い兵士が二、三人近づいて来る。

「なぁ、メイリン、だっけか?良かったらおれらが教えようか?護衛長は厳しいだろ、おれらなら教えてやるぜ?」

 兵士らは下卑げびた笑いを浮かべながら、美琳に手を伸ばした。だがその手は虚しくくうを切った。美琳が素早く身を引いて避けたからだ。

 美琳はわずらわしそうな顔を隠して、すぐに優しく微笑み兵士らを見つめた。

「大丈夫です。護衛長に言われたことをこなさないと、何を言われるか分からないので」

「そんなこと言わずに、まだ始めたばかりで変な癖ついたら困るだろ?だから、さ……ッ!」

 そう兵士は追いすがろうとしたが、美琳の顔を見たら言葉を呑むしかなかった。

 美琳は害獣を見るような目をしながら、作り笑いを浮かべていた。パッと見は可憐で従順そうな佇まいなのに、全身からは拒絶の意思が放たれている。

 少女の異様な迫力は、兵士たちを黙らせるのには充分すぎた。

「い、いや~確かに大丈夫そうだな、うん。なんか困ったらいつでも聞いてくれよ」

 兵士らがそそくさと逃げて行くと、美琳は何事もなかったように訓練を再開した。

 早く文生ウェンシェンの傍に行きたい。

 ただその一心で、夕餉ゆうげに呼ばれるまで武器を振り続けた。




 都城とじょうが茜色を身にまとい始めると、太鼓の音が再び鳴る。それを合図に田畑にいた庶人は帰路にき、商人は店仕舞いする。

 月が昇る前には門が閉まり、星が瞬く頃には都城は寝静まる。

 男たちの血気盛んな声で溢れていた兵舎も、いびきばかりが聞こえるようになっていた。

 そんな中美琳メイリンは、こっそりと部屋を抜け出し訓練場に向かう。

 武器庫から手戟てぼこを取り出すと、昼間教わったことをさらう。息を乱すこともなく、失敗した怪我を残すこともなく、ただただ武器を振り続ける。


 そんな少女が背負っている夜空で、一つ、黄金の星が光った。その光は徐々に輝きを強くし、地上へと近づいてきた。

 美琳がふと振り返ると、小さくも力強いの玉が空中を漂っていた。

 美琳はぱぁっと笑顔を浮かべると、に駆け寄っていった。

「こんなとこまで来てくれたの?ありがとう!でも森から離れて大丈夫?」

 その言葉に光はかぶりを振るみたいに動く。

「そうだよね、あんまり長くはいられないよね。あ、良かったらここに乗る?」

 そう言って美琳は両手を差し出す。

 お椀が作られたてのひらに光はひょいと飛び乗る。美琳はくすぐったそうに笑いながら光に語りかける。

「うふふ、あなたをこんな風に包めたのは初めてね。『なんだか不思議な気分』ってこういうときに言うのかしらね」

 光は優しく点滅する。頷いたような微笑んだような、慈愛に満ちた輝きを放つ。

 美琳はその輝きをじっと見つめると、何かを思い出したような口調になる。

「あぁ、婆様を土で覆ってくれたのね。ありがとう。そのままにしてたら『文生が』悲しむものね」

 少女は無邪気な笑みで言う。光はただじっと少女を見つめる。


「そうそう、今日ね、また一つ覚えたことがあるの。あれくらい体を動かしたら『喉が渇く』んだって。いつもは文生がくれたのを飲むだけだったから、いつ言うのか加減が分からなかったわ」

 光は、母が子の話に耳を傾けるように、穏やかに揺らめく。

「文生といるためにはまだまだ新しいことを覚えなきゃね。早く戦で活躍出来るようにならなくっちゃ。あなたも応援してくれるでしよ?」

 光は少女の掌を温かく照らすと、ふわりと浮いて少女の顔の周りをくるくると回る。

「ふふ、ありがとう。嬉しいわ……でも、もう大丈夫。これからはあたし一人で……いいえ、文生と一緒にやっていけるわ。だからあなたも無理してこっちまで来なくていいのよ」

 少女は、先程よりも弱まった光を再び手で包むと、そっと夜空に掲げる。

「じゃあね」


 その言葉を聞いたは名残惜しそうに点滅する。と、光の真ん中に一筋の線が現れる。その線は、ゆっくりと開くと、黒い三日月状に形作られる。

 三日月はわずかに開閉して、を発する。

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」

 美琳は目をまん丸にさせるが、すぐに光と同じ三日月へと変える。

「うん。ありがとう」

 光は満足気に瞬くと、夜空へと戻って行くのであった。


 美琳が光の向かった黒い夜空を眺めていると、下から薄くあかが差し込まれる。

「あ、もうそんな時間か。急いで部屋に戻らないと」

 美琳はバタバタと手戟を片付けると、自分の部屋へ駆けて行く。

『寝る』ことが当たり前なのだから、『寝ていない』ことを悟られてはいけない。それだけは村でもでも変わらないだろう。

 美琳は面倒だなぁ、と一人ごちながら朝を知らせる太鼓の音を待ち侘びた。













 *手戟てぼこ、矛、げき…これら三つに加え弓、剣が武器として存在する。武器の全長は、弓を除くと 剣<手戟<戟<矛 となっている。

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