第10話
新しい王を運ぶ馬車にぽつりと雨粒が当たる。次第に雨足は強まっていき、やがて
車輪が泥に絡まって動けなくなると、一行は余儀なく野営をすることになった。
「文生様、こっちに
つっかえながら話す勇豪に、文生は困った顔で言葉をかける。
「……あの、ずっと気になってたんですけど………普段通りの話し方で大丈夫ですよ?」
「む、いや、そういう訳にはいかん……あ、や、そういう訳にはいきません。貴方は王なんですから。それに俺ッ、私のようなのにそんな風に話さなくていいんです」
「……フフッ、勇豪さん全然出来てないじゃないですか」
文生は思わずと言った風に笑い声を上げる。それを見た勇豪は口角を歪ませる。
文生は笑いが治まると、言葉を続ける。
「あの、僕も王宮に着いたら気を付けるので、この旅の間はそのまま喋ってくれませんか?」
「しかし……」
勇豪は拒もうと言葉を漏らしたが、文生の顔を見て引っ込めた。
文生は怒りと憎しみと、そして寂しさがない混ぜになった目で勇豪を見上げている。
それもそうだろう。育ての親の老婆を殺そうとした人間をたった一日で許せるはずもない。
結果的には、特異な能力の少女のおかげで老婆の死は免れた。だがもう二度と会えないのは死別に近い。その上婚約者を村に置いて行かざるをえなかったのも辛いだろう。
文生の複雑な感情に納得する。それにこんな堅苦しい環境に慣れておらず心細いのだろう。たとえ憎い相手でも
勇豪はまだ年若い君主の苦悩に勘づき逡巡する。しばし無言の攻防が続いたが、やがて根負けする。
「ハァ、王の
文生は勇豪の気遣いを察し、ほっと一息つく。
「ありがとうございます。こんな、いきなり誰もが他人行儀なのが息苦しくて……それに勇豪さん、そんなこと言ってますけど、昨日はずっと
「え……?嘘だろ?」
勇豪の愕然とした顔に文生は笑い声を上げる。だが腹の底の寂しさが吹き飛ばされることはなかった。
二人がそんなやりとりをしていたら、外の兵士が天幕を捲って声をかけてきた。
「護衛長、ちょっとこちらへ」
「む?分かった。文生様、このまま休んでも大丈夫ですので」
一人だけになった
まだ全てを受け入れられた訳ではなかったが、変えられないものはどうしようもない。そう思い込まないと、感情がはち切れそうだった。
森に残した二人が無事に過ごしてくれれば。なんとか婆様の無事を漕ぎつけられただけ良かったと思って、これからの苦労は一人で乗り越えなければ。
たとえどんなに苦しい戦いになろうとも。
座り込んで思考の海に沈んでいた文生の耳に、水音と勇豪の制止するような声が届く。同時に聞き馴染みのある声も混じっている。
まさか、と外を見ようと立ち上がると、勢い良く天幕が捲られる。そこからびしょ濡れになった誰かが飛び込んできた。
「文生!あたしも連れてって!」
その声の正体は、予想通り
文生は美琳に押し倒されて尻餅をつき困惑したが、
「美琳?どうしてここに?婆様は?」
「婆様が"儂は一人でも大丈夫だから、あんたは好きなようにしたらいい"って言ってくれたのよ」
「そうなの?なら、これからも一緒ってこと?」
「うん!」
「うん!……じゃねぇよ!お前のような
「え?……きゃあ!ちょっと何するのッ!」
文生に覆いかぶさっていた美琳を
「離してッ!あたしは文生に聞いてるのよ!」
「勇豪さん!離してくださ……」
「離したらまたその
文生の言葉を遮るように勇豪が怒声を上げる。その声に文生は怯むが、美琳は臆さず返す。
「婆様はあたしの意思を尊重してくれたのよ。それに、婆様だって離れる覚悟が出来てたことと、心配なことは別だったと思うわ。ね、文生。あたしも一緒に行っていいでしょう?でもただ付いて行くんじゃお荷物だものね。文生のためならどんなお仕事でもするわ」
「おい、文生様になんて口聞きやがる。たとえ婚約者だったとしても、もうお前らが結婚することはねぇんだ。それ以上舐めた口きくなら
そこまで言いかけて勇豪は舌打ちする。本当なら王の着物を汚した上にこんな不躾な態度は許されない。打首にされてもおかしくない程に不敬なことだ。
だが美琳を殺すことは不可能だ。それはたった二日の間で実感している。
勇豪がこのじゃじゃ馬をどうしたもんかと考えている隙に、美琳は襟首の手を振り解き文生の隣りに座る。
「文生だってあたしがいないと寂しいでしょ?そりゃ、婆様が死んだことにするのに文生たちには先に出発してもらったし、あたしだって婆様と一緒に過ごそうと思ってたのよ?」
文生と美琳はまっすぐに見つめ合う。
「でも、だって……文生と少し離れただけで胸が張り裂けそうになったのよ?それがずっと続くなんて耐えられない……ねぇ、お願いだから……」
文生は婚約者の必死の頼みを断れる訳がなかった。勇豪を見上げると、哀願の視線を送る。
「勇豪さん。僕からもお願いします。どうにかして美琳を連れて行くことは出来ないでしょうか?」
「う……文生様にまで言われると……ううむ」
流石に主にまで懇願されると勇豪も頭を抱えるしかなかった。文生はあともうひと押しだ、と最後の手段に出る。
「美琳を連れて行かないなら、僕も王宮に行かないです。村に帰って王族だったのは間違いだった、って皆に説明します」
「なッ!そんな馬鹿な話が……!」
勇豪は思わず荒げた声を出しかけ慌てて
文生にそんなことをされたら、正統な王位継承が途絶えるばかりか、村
それに王宮で働けるのは貴族で相続権がない者*1か、汚れ仕事をさせる奴隷だけだ。
美琳を奴隷にすれば問題はないのだが、それは文生が異を唱えるだろう。かと言って庶人*2が働ける異例を作ると後が面倒だ。
勇豪は二人に期待の眼差しで見つめられながら思案していると、ふいに
「おい、お前、何でもするんだよな?」
「もちろんよ。文生の役に立てて、王宮に関われる仕事なら何でもするわ」
「そうか……なら、軍に所属しろ」
*1貴族で相続権がない者…貴族社会では長子のみが家を継ぎ、長子以下の子どもは家を出て政治以外の仕事を担う。王族は例外的に血筋を絶やさぬため、側室を設けて王位継承者を複数人確保する。
*2庶人…農民のことを指す。前話までに出ていた老婆は奴隷だったが、文生と逃げるときに勇豪に奴隷身分を隠蔽してもらい故郷に戻った。
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