第9話

 美琳メイリンが話した提案は耳を疑うものだった。

 美琳以外の三人は顔を見合わせるしかなかった。だが誰もが同じことを思っていたことだろう。

『これですべて解決できる』


 殺さねばならない。殺させたくない。

 大事なモノを、守りたいから。


 三人は自分の大切なモノを守ろうと動いただけだった。それを悟った美琳は、自分の秘密を明かしてでも全員の望みを叶えたかった。

 ……自分の愛しい人を守るために。










 大きな満月と星々がまたたく黒のキャンバスが、ゆらめき煙っている。蠢く炎は小さな藁葺わらぶきの家を覆い尽くさんと、這いずり駆け回り赤く染めていく。

 火事が起きたと知らせる声が寝静まった村をつんざく。

 真夜中に起きた緊急事態に村人たちは慌てふためく。異常事態を知らせ回ろうと走る者、子供と老人を避難させる者、延焼を防ごうと動く者。

 各々が被害を最小限に留めようと懸命に働く。普段より月明かりで周りが見えやすいことに気づかぬ程、必死になって。


 空が白む頃には家は燃え尽くされ、ただ焼け跡が残るばかりであった。

 助かった文生ウェンシェンによると、中に取り残された老婆が助からなかったようだ。家からは仰向けに転がっている黒焦げの死体が一つ見つかった。

 併せて文生が王族の血を引いていること、王国兵と共に都城とじょうに上ることが説明された。

 村人たちは驚いたが、長年共に過ごした彼の門出を喜んだ。文生の王就任と老婆の追悼を兼ねた宴を開こうと話すが、王国兵たちはすぐに出立するの一点張りだった。

 文生と王国兵たちは慌ただしくも荘厳な行列を作り上げて村を離れていく。村人たちは彼らの姿が見えなくなるまでずっと見送る。

 誰も美琳がいないことに気づかずに手を振り続ける。まるで美琳など初めからいなかったかのように。




 一方その頃。

 焼け跡に一人残された焼死体の指が、ぴくりと動いた。すると炭化した皮膚がぱり、ぱり、と捲れ、指から始まった変化が瞬く間に全身へと広がる。

 むごく焼け爛れた皮膚片が剥がれていく様は、花びらがほろほろと風に身を任せているようだった。

 やがて花が散ると実を結ぶように、焼けた皮膚がうずたかく積み上げられる頃には柔肌の少女が裸体で座っていた。

 少女は自分のてのひらを見つめると、なんとも言えない感情を目に宿す。だが村人たちのざわめきを耳に捉えると、急ぎその場を後にする。




 少女はそのまま近くにある巨大で薄暗い森に駆けていく。迷うことなく進んでいくと清らかな泉に辿り着く。

 古びた祠が建つ泉の傍には老婆がちょんと座っていた。

美琳メイリン、本当に無事に帰ってきたんだね。文生ウェンシェン様たちも怪しまれることなく旅立ったかい?」

「えぇ、大丈夫よ婆様」

 老婆は少女に声をかけながら、持ち出していた青い着物を着せる。

「そうかい……美琳、すまないね」

「……あたしが言ったことだもの、婆様が謝ることじゃないわ。それよりも、喜んでくれた方が『嬉しい』わ」



 老婆は涙をたたえた満月を三日月に変えると、まっさらな少女の手を優しく包み込む。

「ありがとう、美琳。これであの子を傷つけずに済む」

 少女もつられて微笑む。

「うん、あたしも文生の役に立てて嬉しい。でも、文生と離れるのはイヤなの…………ねぇ、婆様。あたし、都城に行こうと思うの。何が何でも王宮で仕事して、これからも文生とずっと一緒にいるの」

「え?でもこの地祇ちぎ*様の森で、一緒に隠れて暮らそうって……?」

「そうだね。


 老婆はその言葉の意味することを悟ると、喜色を浮かべていた顔を恐怖の色に染め上げる。それを見た美琳はそれはそれは美しく微笑むと、老婆の首に手をかけて力を込める。

 老婆は苦悶の顔で少女の腕をむしる。だが掻き毟られた腕の爪痕は、刻まれたそばから治っていく。

 少女は表情を変えずに淡々と述べる。

「そっか、ここを締められるとそんな風に『苦しい』のね。また一つ覚えられたわ。首を締めれば『死ぬ』のは知っていたけど、さすがに見たことなかったし。教えてくれてありがとう、婆様。これもきっと文生との生活に役立つと思うわ…………無駄になるかもしれないけど」


 嘲笑うように言いのけた少女は、手の中で動かなくなった老婆を無感動な瞳で見つめる。

「あたし、文生以外はどうでもいいの。文生があたしを拾ってくれたから、あたしはこうやって『生きて』いられるの。文生が婆様を大事にしていたから、あたしも『大事』にしていただけ。でももう文生が婆様と関わることはないんでしょう?だったらあたしは早く文生の元に行きたいの」

 少女は後ろを振り返り、晴れ晴れとした笑みを浮かべる。


「あなたなら、分かってくれるよね?」




 少女の視線の先には人型のが立っていた。光は点滅すると、温かく輝きながら少女に近づく。

 光の手が少女の頬に添えられると、呼応したように彼女も白く光る。少女は嬉しそうに手にすり寄り、真剣な表情で光を見つめる。

「あたし、文生と共に『生きたい』」

 光は何も話さない。ただ少女を包み照らすだけだ。だが少女は満足気に頷き、脇目も振らずに走り去る。


 光は少女の背中が見えなくなっても、ずっと見つめ続けていた。

 森の空気がわずかに湿り気を帯びていた。

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