牛レア肉大根おろしを添えて
夏。
それは恋の季節。
若者たちにとっては色欲に花咲かせ、異性との遠い様で近い距離のもどかしさにときめく季節である。
それは男女ともに共通の認識であるはずだ。
ただ、私にとっては違う。
だって、おっさんだもの。
たとえ外見がうら若き乙女だとしても、こればかりは無理だ。
この私が男に対して心をときめき躍らせる?
ありえない。
そんなの死んでもごめんだ。
股間に手を置く。
・・・何も無い。
私は生前、思えば学業ばかりに熱中していた。
いわゆるガリ勉である。
学力こそが正義であり、絶対なのだ。
誰しもが平等に与えられた権利であり、武器なのだ。
そう、自分に言い聞かせていた。
だから、この目の前に広がる有象無象の群れに対して何も思わないし、ましてや嫉妬心など生まれるはずもないのだ。
「どうしたレイ。私に何か言うことは無いのか」
目の前の金髪男が女を侍らせて私に何かを問いただしてきている。
外見ははっきり言ってイケメンだ。
顔のパーツも整っているし、身長も高い。
だからと言って、女を侍らせるのはなんとなく腹が立つ。
「誰だお前は。何の用だ」
もう、私が記憶喪失だということは周知の事実であろう。
そんな私に声をわざわざ掛けにくるのだ。
よっぽどの奇人変人でないと考えられない。
「どうやら記憶喪失というのは本当のようだな」
「要件は何だ」
周りにまとわりついている女どもはバカなのだろうか?
手の届かない相手にアプローチしてなんの意味があるというのだ。
それともこの金髪男は何か隠された才能でもあるのだろうか。
「今朝の机の中は確認したか?」
「ああ・・・たしか、今日はバッタだったな」
私の机の中にネズミの死骸やヘビの死骸など、何かと差し入れをくれるのはこいつか?
たしか今日はバッタが入っていた気がする。
「お前の動物愛好の趣味の噂は本当だったのか!ひゃはははは!」
「そうか。わかった」
また、あらぬ噂が立っているようだ。
確かに、机の中に入っていたヘビは校庭で焼いておいしく頂いた。
なかなか淡白で旨かった。
ネズミはきちんと埋葬したぞ。
バッタもだ。
「・・・なんだ? それだけか?」
「ああ。お前の要件もそれだけか?」
それだけも何も、そんなどうでもいいことを言いに来たのか?
もしかして、こいつはアホなのだろうか。
「っぐ! 貴様っ! ロイド王子に婚約破棄されたくせに!」
「・・・」
婚約破棄されたのは事実だが、この金髪男に私の事をとやかく言う権利はないはずだ。
そもそも、
「お前は誰だ?」
私は同じ質問をする。
こいつは私が権力を持った暁には真っ先に潰さなければならない。
見ていると腹が立ってきた。
女を侍らせているし。
「・・・コザだ。コザ・モブリット。二度と忘れるな!」
「ああ。忘れないさ。貴様こそ、今日の事を覚えているがいい。いつか私に頭を垂れる日が来るだろう・・・」
私がこらえきれない笑いを浮かべながら話すと、金髪男はどこかに逃げてしまった。
私の迫力が恐ろしかったのだろう。
大人の余裕だ。
これでも、それなりに社会という荒波に揉まれていたからな。
私は金髪男の後姿を見ながら、
胸を揉む。
柔らかい。
この学園という生温い場所に身を置いていると、社会の怖さを忘れそうになる時がある。
私は、自分の胸を揉みながら、社会の荒波を思い出す。
きっと、彼らにはこれから辛く長い人生が待っているのだろう。
彼らもまだ若い。
今のうちに鍛えておいた方がいい。
*
「レイお嬢様。どちらに行かれるのですか?」
屋敷に帰った私は、セバスに呼び止められる。
厨房に行こうとしていたところだ。
早く話を済ませたい。
「なんだ」
「例の事業でご相談がありまして」
例の事業とは、シャンプーの件だろう。
領地に工場も作り終えたし、工員の手配も、両親への金の無心もすでに終わっている。
工場といっても、材料置き場のようになっているがな。
ただ分量通りに混ぜるだけなので、工員は一人でも十分なはずだ。
「聞こう」
「ありがとうございます。工員への給料をいくら払えばいいのか分からなくてですね・・・」
「収支報告書を見せてみろ」
「はい。こちらです」
収支報告書とは、原材料にいくら使って、いくら売り上げているかの報告書だ。
簿記の知識を使い、分かりやすいようになるようにセバスに教えてある。
現在の総売り上げは924万ギル。
支出は350万ギル。
利益率はちょうど6割ほど。
「まあ、利益も順調に上がっているようだし、30万ギルでいいんじゃないか?」
「かしこまりました」
ちなみにこの国の農民の年収は200万ギルほどだ。
ハッキリ言って破格の金額だろう。
というのも、シャンプーの売れ行きが良すぎるのだ。
作れば作るほど、売れていく。
初めて売り出してから二週間で1万本近く売れているのだ。
たぶん、セバスが裏で何かをしているんだろうが。
店頭は常に品薄状態だし、工員も作業量の多さに絶望していることだろう。
「工場と工員を増やせ。余った利益は全部先行投資に回せ」
売れるものは、すぐに真似される。
特にシャンプーは、私がかなり適当に作り出したものだ。
セバスが分量を量りレシピを作っているとはいえ、すぐに真似されることは間違いない。
だからこそ、スピードが命だ。
鉄は熱いうちに打たなければならない。
「かしこまりました」
セバスの返事を聞いた私は厨房に走る。
今日は、肉が食いたい気分なのだ。
最近の私は厨房に入り浸っている。
夜食の開発に全力を注いているからだ。
そのうち、ビールの作成にも着手したいと思っている。
この国のビールは、あまり美味しくない。
というのも、ぬるいのだ。温度が。
本来、ビールというものは、エールビールと、ラガービールに分けられる。
どちらも炭酸の強いことは同じなのだが、作る時の温度と、かかる時間が違う。
エールビールは暖かい温度で数日間で出来上がるのに対し、ラガービールは比較的低い温度で、長い年月かけて作られる。
この国にはエールビールしかなかった。
だから、学生のうちに着手しておかなければならない。
「本日はどの様なお料理をなさるのですか?」
「牛肉だ。牛肉をだせ!」
今、私に話しかけてきたのはクック料理長。
この屋敷の料理は全て彼が作っている。
もちろん彼の料理は美味しい。
美味しいのだが。
「脂が足りない」
本来、私の料理は油をたっぶり使うデブ飯だ。
油と炭水化物を一緒に口に含んだ時のあの満足感。
私はあの感覚が大好物なのだ。
だが、目の前のステーキ肉には脂身が少なかった。
「まあいい。見ていろ」
「楽しみです。レイお嬢様のお料理はどれも美味しいですからね」
ステーキ肉の焼き方は決まっている。
レアだ。
表面はカリッと、中はジューシー。
それが理想。
まずは下準備。
私は肉にフォークを何度も突き刺す。
繊維を柔らかくするためだ。
そして、塩コショウを強めに振る。
そして、熱々のフライパンに肉をそっと乗せる。
脂の焦げる音と匂いがたまらない。
そして、焦がす前にひっくり返す。
両面に、焼き色を付けていく。
そして、アルミホイルに・・・。
「くそっ!ホイルは無いのか!」
「ホイル・・・?」
まあいい。皿を二枚重ねて中に火を通すか。
フライパンから取り出した肉を皿の上に乗せて、その皿にもう一枚皿を逆向きに乗せる。
このまま五分だ。五分経てば、中までじっくり火が通り、レアになる。
「今のうちに、薬味の準備をしなければ大根とポン酢だ!」
「すいません。ポン酢が何か・・・」
「ポン酢が無いだと・・・」
まあいい。
私は擦った。大根を。
「完成だ・・・」
目の前には、大根おろしの乗ったステーキ肉がある。
肉を切ると、鮮やかな赤色に、溢れ出る肉汁。
「これは・・・ちゃんと火は通っているのでしょうか・・・?」
「ふん・・・。食ってみろ」
「で・・・では・・・」
クックは恐る恐る肉を食べる。
「こ・・・これは・・・!」
「うまいだろう」
私は満足だ。
肉を焼くのに変な味付けは要らない。
塩コショウと大根おろしで十分なのだ。
味が物足りなくなってきたら、大根おろしと一緒に食べる。
これが、男飯。
最高の贅沢だ。
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