第146話 女の戦い

 

 ……


 昼食を終え、教室へと戻る廊下を、俺とルナとアルテの三人は誰一人、口を開かぬままゆっくり歩いていた。

 二人がなにやら言いたそうにチラチラこちらを見ているのは気づいているし、何を言いたいのかもだいたい察しがつく。

 先ほどの俺とメフィスのやりとりを二人は間近で見ていた。俺が奴の父親の名前を出し、脅迫めいたことを言っていた事も当然聞こえていただろう。

 一応言い訳も考えてあるが、それで俺がただの令嬢で押し倒せるかはまた別である。


 二人はマティアス・カルタスとしてできた初めての知人だけに、なるべくいい関係は保っておきたいが、最悪の場合は二人とも距離も取らないといけない。

 俺はあえて視線に気付かないフリをして廊下を歩いていく。

 そして廊下を渡り終え、教室のある棟へ移ろうとしたところで二人が揃って足を止めた。


「あの……マティアスさん。」

「どうかした?」


 来たか。


 そう思いながら、声をかけてきたルナに対し、白々しくも尋ねると、ルナは一度アルテと顔を見合わせる。

 そして互いに頷き合うと、決意を固めたルナが口を開いた。


「あの、先ほどの話は本当なのでしょうか?」

「……先程の話って?」

「その……マティアスさんが、男の人に襲われたって話です!」


 ……ああ、そっちか。


「勿論、事実よ。」

「そ、それで、お体の方は大丈夫なのでしょうか?」

「何かされたりしなかったの?」


 気になっていたのかルナに続いてアルテも前のめりになり聞いてくる。

 まあ男子に襲われたと聞けば自然とそう言うことを想像するだろう、実際間違っていないしな。


「大丈夫、貴族のボンボン……じゃなくて、温室育ちの令息なんかにやられるほどヤワじゃないわ。襲った男子生徒もそのうち退学するだろうし、それぞれの家にもしっかり賠償も請求してあるから安心して。」

「では無事だったんですね。」

「ええ。」


 無事じゃないのは向こうのほうだからな。


「なら良かったです。」


 俺の言葉に二人は安心したのか、ホッと胸を撫でおろし再び足を進め始める。


 ……


「でも気をつけなきゃ行けないのはこれからよねぇ、マンティス先輩に目をつけられたっぽいし。」

「ええ、マンティス先輩はメフィス嬢の様にはいかないと思うわ。アンデス先輩が自分の寮に引きこもってる現状、あの人が今学園で最も権力があると言ってもいい人だから。」

「王子よりも?」

「そりゃあ勿論殿下の方が上だけど、王族も無闇に敵は増やせないから影響力が大きいマンティス家のご令嬢を無碍にできないよ。」

「以前あった話では、些細なことで彼女を注意した先生が翌日から学園から姿を消したらしいです。」

「それ、私も聞いたことある、学年が違うから詳細は分からないけど、その後先生は教師をやめて家に引きこもるようになってしまったとか。」

「へえ……」


 二人はマンティス侯爵の脅威について語っているのだろうが、こっちとしては逆にその情報は後々武器になりそうだ。

 とりあえず調べさせるか。


「それに気を付ける相手はマンティス先輩だけじゃないわ、今日の一件でマティアスさんが先輩に目を付けられたことと、メフィス嬢が見限られたことは周囲に知れ渡ったから、メフィス嬢の空いた場所に入ろうとする方々も出てくるでしょう。そしてそれを狙うのに一番手っ取り早いのが――」

「……私って訳か。」


 成程な、マンティス自体にその気はなくとも他の者はそう考えてもおかしくはないか。

しかも、嫌がらせくらいなら金や立場のない人間でもできる、つまり弱小貴族が大貴族に取り入れるまたとないチャンスって訳だ。


「ええ、だからマティアスさんはくれぐれも注意して。」

「私たちも何かあれば協力するから。」

「……ありがとう、じゃあ私からも一ついい?」

「なになに?」

「もし、私の取り巻く環境に変化が起きたら、何があっても絶対味方にはならないでほしい。」

「え?」

「二人とはでいたいから。」


 その一言で二人は察したように口を閉ざす。

 これは俺『ティア・マット』と『マティアス・カルタス』としての線引きである。

 今、二人は俺に対してあくまで学園で起きていることだけの話をして、それ以外での事を敢えて聞いてはこなかった。それはつまり俺とはあくまで学園の友人として接したいと言うことだろう。

 ならば俺も学園に通う一人の令嬢として、この二人の学友として接することにする。


 だが。次の相手は大貴族マンティス侯爵家、きっとティア・マットとして動く事も多くなるだろう。

 だから、その時は二人には近づかないでもらいたい。

 それが『表と裏』の境界線、この二人には俺の裏には触れさせたくない。


 その後、俺たちは再び口を閉ざして教室まで戻った。


 昼休み以降は何事もなく授業を終え、今日の一日が終わった。

 ……かのように見えたが、寮に戻ると何やら令嬢たちがざわついていた。

 そして俺の姿を見るや、令嬢達は声を潜めヒソヒソと小声で話し出す。


 俺はそのまま無視して自分の部屋へ向かうと、部屋の前で人だかりができている事に気づく。

 そして俺の姿を見つけたアメリがその中から出てくると、慌ててこちらへと駆け寄ってくる。


「お嬢様!大変です!」


 アメリが慌てて説明しようとするが、聞かなくても一目見ればわかった。

 俺の部屋のドアには血のようなものがべっとりと付着していた。


 中に入ってみれば壁やベッドは刃物で斬り刻まれて、部屋のあちこちにドアの血の元と思われる動物の死骸が部屋中に散らばっていた。


「すみません、私が不用意に部屋を開けたばかりに……」


 アメリの話では誰かから呼び出しを受け、部屋を空けた間に起きたことで、申す訳なさそうにするが、これは予想の範囲内だ。強いて言うなら予想より早かった事だろう。


「あらあらどうしたのかしら?」


 騒動に遅れてやってきたのは、複数人の取り巻きを連れた見知らぬ令嬢だった、その姿は先週見かけたメフィスそっくりだった。

 どうやら、早速椅子取りゲームが始まったらしい。


「うわ、何この生臭い匂いは?」

「ホント下品な臭いです事、」

「もしかしてこれが平民の臭いじゃありません事?」


 そう言いながら令嬢達はスクスと口元を隠し笑う。


「中も随分ひどく荒らされてるようで……」

「まあ、それは大変ね。一体どこの誰の仕業かしら?」

「もしかしたら自作自演かも知れませんよ。」


 そう言って令嬢たちは俺を笑いものにする。

 実に陰湿なやり方だな……どの世界でもこういう事は共通だなと改めて認識させられる。

 だが、こちらとて、やられっぱなしで終わるような人間じゃない。

もう手は打ってある。


「さあ、こんなとこにいては臭いが移るわ、戻りましょう。」


 令嬢がそう言うと皆引き上げていく……

 しかしその直後、先ほどの令嬢たちが帰った方から悲鳴が響き渡った。


「きゃああああああああ!な、なんなのこれは!」


 再び騒ぎ始めると、先ほどの令嬢が怒りに満ちた表情でどすどすと音を立ててこちらにやってくる。


「あなたの仕業ね?」

「何のことでしょうか?」

「とぼけないで!私の部屋に同じことしたでしょう!」

「はて?何のことかさっぱりですが?」


 俺はおどけた態度で答える。まあ実際には俺だけどな、ボロが出る可能性のあるアメリにはあえて言わなかったが、ここに何者かが侵入してきたことはあらかじめにレイルから連絡は受けていた。

 マンティスから刺客が来るかと思いレイルに部屋を警戒させていたが、どうやら来たのは刺客でも何でもないこの令嬢のメイドだったらしく、素人丸出しの動きだったので敢えて気づかぬふりをして泳がせていた。


「どうして?私だとお思いで?私は別にあなたを疑っていませんよ?」

「そ、それは……」

「それに、もし疑うなら同一人物の仕業ではないでしょうか?」

「それはありえないわ!」

「どうしてですか?」

「そ、それは……」


そう尋ねると令嬢は口をつぐむ。そら自分が犯人だからなどと言えるわけがないのだろう。

令嬢は悔しそうな表情を浮かべて帰っていった。


まあ、宣戦布告としてにはなかなか良かったんじゃねえか?これからもこういうことは起こるだろうからな。


 こうして令嬢たちとの戦いの幕が切って落とされた

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