03 そのエコバッグには、主婦の理想が詰まっている

 この辺り一帯で使われているショーナ文字は、日本人である俺にとって随分と学びやすい文字だった。


 二十一の文字が子音と母音を表す字に大別され、その組み合わせで発音が決まるという文字体系は、ローマ字のそれとほとんど変わらない。

 つまり、それぞれの文字をローマ字のアルファベットと対応させて覚えれば、読み書きは難なくできるということだ。


 主に曲線で構成される丸みを帯びた字体は、常日頃ひらがなを使っていた身に馴染みやすく、俺の読み書きの習得の速さに、補講を受け持った講師が舌を巻くほどだった。


 居候先のエベリ婆さんの宿では、リーナの協力を得てショーナ文字とローマ字の対応表を自作し、一日の終わりに日記をつけることで体得することにした。




「ショーナ文字って、ローマ字とほとんど一緒で簡単だぞ。おかんにも教えてやろうか?」



 おかんのバイブルである『家事が断然ラクになる! 主婦の知っ得スゴ技&裏ワザ大百科』を読めるようになるためにも、ショーナ文字をマスターすることをおかんに勧めたけれど、当のおかんは俺の入学式の後から随分バタバタと忙しそうだ。


「教わりたいんは山々なんやけどな、新しいクエストに行く前に、どうしてもレンちゃんとこでエコバッグを完成させたいねん。文字教わるんは、クエストから戻った後に頼むわー」


 そう言い残して、俺が勇者養成学校に向かうよりも早く出かけていった。




「オカンさん、随分と精力的に動いているな。昨晩もミュシカの服屋に夜遅くまでいたようだし、新たなクエストに挑む前に体を休めた方がいいんじゃないか」


 モーニングコーヒー代わりのシビ茶を俺に差し出しながら、リーナが心配そうに眉をひそめる。

 俺はカップを受け取って一口飲んでから、敢えてゆったりと答えた。


「おかんは昔からスイッチが入るとああなるんだ。その代わり、何もしたくないって時はひたすらごろ寝して、せんべいやポテチ食いながらワイドショー観てる。今は動いてないと落ち着かないんだろうし、ほっといて大丈夫さ」


「そ、そうか? まあ、息子のユウトがそう言うなら私も何も口出しするまい。そう言えば、今日の学校のカリキュラムは剣術だったな。明日の実地訓練を前に、帰ってきたら私が特訓してやろう」


「げっ、帰宅後に補講があるのか。お手柔らかに頼むよ」


 シビ茶を飲み終え、身支度を整えると、俺はリーナとエベリ婆さんに見送られて宿を出た。


 ☆



 勇者養成学校で学ぶ各課程は、いずれも全五回の講座を学ぶことになっている。

〈木の精勤日〉の今日は剣術の日ということで、進度ごとに五つのグループに分かれて剣術を習う。


 ショーナ文字の補講は俺にはもう必要ないため、今日は第一回目の剣術の講座に参加することになった。


 バスコの店でゲットした聖剣で吸血コウモリを一匹だけ斬り落としたことはあるが、あの時は剣に操られているかのように自然に体が動いた。


 だが、剣術の講師いわく、剣の力を最大限に引き出すためには、やはり剣の使い手が基本の呼吸や型を体得せねばならないとのこと。


 初回は肩に力が入らなくなるほど何度も素振りをやらされて、くたくたに疲れて宿へと戻った。




 ベッドに倒れ込んでから、どのくらい眠りこけていただろう。




「ユウくーん! エコバッグの試作品がでけたで! ちょっと見てやー」


 ノックもせずに入ってきたおかんに叩き起され、俺はむくりと起き上がった。


「エコバッグ……? そんなもん、わざわざ試作品見るほどのことでも……」


「それがな、レンちゃんとこの魔道士はんと錬金術師はんがええ仕事してくれはってな、主婦の理想のエコバッグが作れそうやねん!」


 鼻息の荒いおかんに急かされ、俺は渋々食堂へと下りていった。

 庭で鍛錬していたのか、腰に剣を佩いたまま額の汗を拭うリーナと、何がなんだかまったく理解できていないエベリ婆さんまで呼び出されて座っている。


「ほな、皆さんお揃いになったとこで、“おかん監修・夢のエコバッグ・試作バージョン” のお披露目といきまっせ」


 声を弾ませたおかんが、例の四次元ポシェットをごそごそとまさぐり、何かを手のひらにのせて差し出した。


 覗き込むと、そこにあるのは手のひらよりもさらに小さな青いエコバッグだった。


「……おかん。これは失敗作か? 随分と縮んでいるが」


「アホ! この小ささと軽さを実現するために、錬金術師はんが相当頑張ってくれたんよ。まあ見とき」


 おかんはそう言うと、エベリ婆さんの了承を得て冷蔵庫から出してきた大量の食材を、その小さなエコバッグの中に入れ始めた。


 すると、明らかにバッグより大きな食材が、すんなりと入っていくのだ。


 バッグは入れられた食材に合わせてどんどんと伸びて大きくなり、やがて普通のエコバッグくらいの大きさになった。


「すげえな……! あんな小さかったエコバッグがここまで伸びるなんて!」


「せやろ? 薄くて軽くて丈夫で、かつ伸縮性のハンパない糸と布地を錬金術師はんに作ってもろて、おかあちゃんが手縫いしたんよ。食材を出せば元の大きさに戻るから、小さく畳む必要もないしな」


「その手間がないのは、何気にありがたいかもな」


「けど、このエコバッグのすごさはこれだけやないで。ユウ君、バッグを持ってみ?」


 したり顔のおかんに促された俺は、席を立ってバッグの持ち手を肩に掛けた。


 エコバッグには、俺たち家族三人分の食材を週末にまとめ買いしたときくらいの量が入っている。

 根菜やら酒瓶やらも入っているからさぞかし重くなっているだろうが、この程度ならなんとか持てるだろう。


 そう思って持ち上げて……


「うわっ!? なんだこれっ!?」


 あまりの軽さに、勢いを持て余した俺は後ろにひっくり返りそうになった!




「あれだけ食材を詰めたのに、なんでこんなに軽いんだ!?」


「魔道士はんに魔法を付与してもろたんよ。バッグの中身の質量を十分の一にする魔法や。建築資材なんかを軽くして運搬するための魔法をアレンジしてもろたんよ」


「食材を入れただけで軽くなるなんて、魔法が使えない人でも気軽に使えてすごくいいな!ユウト、私にも持たせてくれ!」


 目を輝かせて立ち上がるリーナにエコバッグを手渡すと、リーナはそれを持った途端に「おおっ!?」と驚きの声を上げる。


「リーナちゃん、そのエコバッグの中に手を入れてみ?」


 おかんに促されるまま、リーナがバッグに手を入れた。


「ひゃっ!?」


 一瞬びくっと手をひっこめるが、もう一度中に手を入れると、今度は確かめるようにごそごそと奥をまさぐる。


「な、なんだ? ひんやりするぞ。氷でも入っているのか?」


「エコバッグの内側に氷魔法をかけてもろたんや。これなら、食材の鮮度を保ちながら持ち運ぶことができるやろ?」


「木箱の中に氷魔法を付与した魔石を入れる冷蔵庫は一般的なアイテムだが、布地に氷魔法が付与されているなんて驚きだ!」


「魔石の粉を混ぜ込んだ繊維で布地を作ってもろうてあるんよ。錬金術師はんも魔道士はんも、こんなやり方は初めてだっちゅうて、始めは戸惑ってはったけどな」


 その説明に、俺とリーナは「へえ……」と感嘆の声を漏らす。




 いつもならおかんのドヤ顔にイラッとするところだが、このエコバッグは確かにすごい。


 主婦の理想を詰め込んだ、まさに夢のエコバッグ。


 日本で売ったら、爆発的ヒット間違いなしだ。




「量産するにはまだまだ工夫が必要なんやけどな。とりあえず試作品で三つばかし用意できたし、これでモンスターを狩りまくっても、食材をたんまり持ち帰ることができるで!」


 明日からのクエストの準備は万端!


 そう言わんばかりに、おかんは満面の笑みでサムズアップをして見せた。

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