14 「ユーベ!」は乾杯の掛け声らしい

 掛け湯用の瓶の横には小さな木の台があり、その上に壺が置かれていた。

 木製の柄のような、細長い棒がそこから飛び出ている。


 エベリ婆さんが浴室を出て行った後、服を脱いだ俺はその棒を壺から引き上げてみた。

 棒の先はスプーン状になっていて、艶のある白濁の液体がとろりと滴り落ちる。


 匂いを嗅いでみたところ、何とも言えない爽やかな花の香りがした。

 これはボディソープっぽいな。一種類しかないところを見ると、髪や顔も全身これで洗えということか。


 借りたタオル(といっても木綿の布切れみたいなものだが)に試しに垂らして揉んでみたら、面白いくらいに泡が出てきた。

 それで全身を洗い、かめの湯で流すと、体を覆っていた膜が剥がれたみたいにすっきりとした。


 いい湯加減のバスタブに浸かり、「ふぃ~……」と思わず声が漏れる。


 あー、生き返るなー。

 やっぱ風呂は最高だ。

 中世ヨーロッパ並の文化水準だと思ってたから風呂も期待はしてなかったが、魔法があるおかげで思ったほど不便はないかもしれない。


 ……そう言えば、エベリさんが言ってたな。

「フレイモン」は、勇者養成学校で最初に習う魔法の呪文だって。

 ってことは、俺もそのうち魔法を使えるようになるんだろうか。


 魔法って他にどんな種類があって、どんなことができるんだろう。

 もしかして、元の世界に戻れる魔法なんかもあったりして……って、魔王を倒す前に元の世界に戻ったら、リーナを救うことはできないしなあ……。


 ……ってか、俺とおかんは、本当に救世主としてこの世界に飛ばされてきたんだろうか。

 そうだとしたら、もう元の世界に戻れる可能性はないのかな。

 あの交通事故で川に転落死したんだとしたら、俺たちの居場所はもうここしかないのかもしれない。


 ……なんてことをつらつら考えていたらのぼせてしまい、俺は少しふらつきながら体を拭いて着替えたのだった。



 ☆



 きれいさっぱり汚れを落とした体でベッドにダイブして、それからどのくらい眠っていたのかはよくわからない。


 ただ、リーナが夕食に俺を呼びに来た時には、窓の外はすっかり暗くなっていて、犬だか狼だかモンスターだかわからない遠吠えが小さく聞こえていた。


 風呂に入って身なりを整え、鋼の胴当てを外したリーナに、どきりと心臓が跳ねる。


 長くてまっすぐな銀髪は眩いばかりにサラサラと輝き、白い肌はより一層透明感を増したように見える。

 ショートパンツとロングブーツの組み合わせは相変わらずだが、胴当てを外したためにくびれたウエストやすらりとした美脚が否が応でも強調されていた。


 それらに比べると胸の膨らみの主張は控えめだが、俺は別に巨乳好きではないので敢えて問題にはするまい。


 眠気も吹き飛んでリーナを見つめる俺の視線に、彼女が気づいて頬を染める。


「な、なんだ、そんなにジロジロ見て……」


「あ、す、すまん。リーナが鎧を外したところを初めて見たから新鮮でさ」


「新妻のエプロン姿を初めて見た夫のような反応をするな。照れるじゃないか」


 そう言い残し、リーナは真っ赤な顔を背けて階段を駆け下りていった。


 またしても出たよ。リーナの新婚夫婦妄想。

 ……まあ確かに、今のリーナは新妻みたいに初々しくて可愛らしかったけど。



 ☆



 一階の食堂に行くと、四人分の食事が大きなテーブルに並べられていた。

 今夜は他に二人の客が泊まっているが、彼らは先に夕食を済ませたらしい。


「うわあ、ヨーロッパの家庭料理ゆう感じやなあ。めっちゃ美味そうや!」


 おかんが声を弾ませるのと、俺の腹が鳴るのとは、ほぼ同時だった。


 根菜のスープに、魚のソテー、パンにサラダ、焼き菓子のデザートまでついている。


「ユウトとオカンさんは酒を飲むか?」


「酒は嫌いじゃないが、どんなのがあるんだ?」


「この地方でよく飲まれているのは、レプバインという果実を発酵させたヴィーネや、ビアムという穀物から作られるセルシーバという酒だ」


「それじゃ、両方とも試してみるかな」


「うちはアルコールはいらんで。舐めただけでバタンキューやから」


 どんな酒が出てくるのかとワクワクする俺の横で、おかんが片手をひらひらと振る。


 そう、こう見えてうちのおかんは下戸だ。

 下戸なくせに、家族で飲み屋に行ったりすると、飲み屋にいる客の誰よりもハイテンションで他のグループに乱入していく。

 それで羽目を外したりしても、翌日になると「飲み過ぎたせいか、全然覚えとらんわ~」と平然としているのだ。一滴も飲んでないくせに。


 と、心の内でおかんの酒癖の悪さ(素面しらふだけど)に毒づいていると、リーナが酒を運んできた。


「こっちがヴィーネで、こっちがセルシーバ。オカンさんにはレプバインのジュースを持ってきた。まずは我々の出会いに乾杯しよう」


 レプバインの果汁でできたヴィーネという酒は、見た目ワインとそっくりだ。

 セルシーバは、どぶろくのような白濁した酒で、上層はきめ細やかな泡で薄く覆われている。

 リーナとエベリ婆さんがヴィーネのグラスを持っているから、とりあえず俺もヴィーネで乾杯することにする。


「ほな、うちが音頭取るでー」


 レプバインジュースを掲げたおかんが張り切って声を上げた。

 こういう時は歓迎してくれるリーナ側が「パウバルマリ村へようこそ!」って音頭取るものじゃないのか。少しは遠慮しろよ、おかん。


「うちらの出会いと、救世主ユウトの満を持しての出現に、かんぱーい!!」


「「ユーベ!!」」


「初っ端から過度のプレッシャーかけんなって!」


 おかんの前置きに突っ込んでいたら、見事に乾杯のタイミングを逃してしまった。




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