異世界コロシアイ生活

Kaito

第1話 非現実



裸の知人女性と、毛を剃られ、みすぼらしい格好をした犬の取っ組み合いを見ながら、僕はポップコーンを口に放った。キャラメルで塗り固められた表面を噛んで砕く。



「んー、これじゃないんだよな。」



僕の呟きが、薄汚い廃墟に染み入っていく。ぽりぽりと自らの黒髪を書き分け、わざとらしく頭皮を掻く。都会の喧騒もなく、静かな森林に、まるで取り残されたかのように建てられた廃墟。埃っぽい匂いに嫌悪感を抱きながらも、目の前でなされている余興に僕は退屈を隠せなかった。


僕の発言を、まるで死刑宣告と捉えたのか。死刑を待つのみの囚人のような顔をし、女性は地べたへと座り込む。その尊厳を微塵も感じさせない表情は、一体どちらが犬畜生か分からなくなるような錯覚を生んだ。



「じゃあ……妹は……、妹は……。」



今にも消え入りそうな声で、犬に馬乗りにされながら女性はこちらを潤んだ瞳で見つめる。



「当然、助ける。僕は約束は守るから。」




僕は椅子に深く腰掛け、灰色のフードを脱ぎ捨てて白い歯を見せる。



「ごめんね、意地悪して。ただ最近飽き飽きしててさ。裏の筋から法外な妹の治療費を稼ごうとしている女性の情報を聞き入れてねーーーーーーー。ほんの出来心だった」



「じゃ、じゃあ! 妹の手術費をーー」



「うん、ちゃんと全額出す。なんなら妹さんの親知らず抜くのだって協力しちゃって良い。僕は約束はきちんと守るよ」



ほっと胸を撫で下ろし、目元に涙を浮かべる女性。アドレナリンでも出ているのか、犬に噛みつかれた箇所は血が滲んでいるに、呻き声すらあげようとはしなかった。



「ーーーーーーーただ、ぜ。君にもな」



「『犬を素手のみで気絶させるゲーム』はまだ継続中だよ? 早いとこ片付けないと君の方が死んじゃうんじゃないの」



「くっ……!!」



親の仇と言わんばかりに女は僕を睨めつけた。歯を食い縛り、犬の拘束を振り解こうと躍起になり、前足を叩くがたいした効果は得られていなかった。



(駄目だなぁ。叩くなら『鼻』がいいんだけどね。犬の長所かつ最大の弱点である大きな鼻。そこに打撃を与えれば素手とはいえ十分勝機はあるのに。)



この女は自分の妹を裏の筋に流し、その金でブランド品を買い漁ったり、海外旅行を楽しんでいた屑だ。周囲に対しても妹は病気がちで海外の病院に入院しているため、高額な治療費がかかっていると言い、多額の金を騙し取った。そんな救いようのない悪党。



今回のゲームは半ば僕の嫌がらせ。達成しても病気の妹はいないのだから金を払う義理もない。



そう思っていると、犬の鋭い牙が女の肩に深々と突き刺さった。



「痛ったああああ!!! 痛い!! 噛まれた!! ギブアップ!! ギブアーーーップ!!」



「できないよ。一度始めた真剣勝負にギブアップも降参もない。」




犬は噛んだ所の肉をほじくり返す。それによってできた隙間からのぞくピンク色の鮮肉に興奮を隠しきれないのか、尻尾を振りながらさらに苛烈な攻めを続ける。



「……ごめんなさい、ごめんなさい、本当は病気の妹なんていませグッ……!痛いあああああ!!! 痛いよおお!! んふっ……謝りますからぁ!!」



「無理だよ。もう君が謝るべき相手はこの世にはいないから。君の妹は先月、性病で息を引きとった。」



その言葉を受け止めてか、受け止める暇がないのか、叫び声を女はあげる。



「葬儀を執り行ったのは僕だぜ。一本の供花もない葬式だった。それはもう慎ましく行ったさ。」



「地獄で届くことのない贖罪を続けろ、クソ野郎。」



そう言い残し僕はその場を後にする。事後処理は犬に任せることにした。胸糞の悪い仕事が多いのが最近の悩みだ。



(……退屈と胸糞の悪さは反比例しないもんだね。)



生憎の空模様に、春とはいえ少しの寒さを感じた。黒いジャケットを深く羽織り、整える。内に着ている灰色のパーカーはまるで僕の心模様をそのまま映し出しているかのようだった。



僕の名前は『後藤 真白(ごとう ましろ)』。普通の高校に通う、何の変哲もない高校生だ。いや、それは流石に言い過ぎか。少し変わっている。ほんの少しだけ、裏路地の深い所に踏み込んでしまったのだ。その日から僕は闇と同居せざるを得なくなってしまった。



(最初は興奮と恐怖で冷や汗が止まらなかったけど最近はなぁ。)



心の中で悪態をつき、空を仰ぐ。



その瞬間。非現実的な景色が目に焼き付く。思わず息を飲んだ。動悸が早くなっていく。曇天に大きな穴が開けられていたのだ。そこから降り注ぐ陽射しは神々しいまでに煌めいていた。



数秒後、穴を開けた正体が100km先の遙か遙か上空から、僕の周囲に叩きつけられることになる。轟音と共に石の礫と突風が僕に襲い掛かった。鋭い岩の破片が肉に抉り込み、息ができない程の風の圧に思わず喘ぐ。



その形容し難い衝撃波は、直撃を避けたとはいえ辺りの障害物をなぎ倒しながら人ひとりを消し飛ばすには十分な威力を誇っていた。木々は無惨にへし折られ、僕の身体は中へと舞った。



薄れゆく意識の中、曇天の穴から覗いている巨大な眼球と目が合った。



(アレは……?)





ーーー

ーーーー

ーーー

ーーーーーー

ーーーーーーー

ーー





磯の香りが鼻腔をくすぐる。頭痛に顔をしかめるが、不可解な匂いの正体を突き止めたい一心で無理やり身体を起こす。



「んー……ここは?」



辺りはただのビーチだった。南国を思わせるようなヤシの木が植えられており、どこまでも続く水平線は底知れなく不気味に感じられた。



「くっ……」



さらに周りを見渡そうとすると、頭痛が走る。この状況を少しでも理解しようと務めるが、気絶した直後の記憶が飛んでいる。思い出そうとしても無駄だった。おそらく脳が衝撃を受けたことによる意識障害を起こしているのだろう。



しばらく頭を抱え、黙り込んでいると少しは気分が優れてきた。眩い陽射しにうんざりしつつも、僕は服についた砂を払い立ち上がることにした。



その時、不意に、自分の手首に巻き付けられた黒いバンドが視界に映った。モニターを搭載したそれは、嵐の前の静けさと言わんばかりに一切の音や動きを発さなかった。



(なんだこれ……? それに、どこだよここ……拉致されたにしては開放的過ぎないか!?)



潮風が足元を通り抜けて行き、砂埃が舞い上がって飛散した。



(前に拐われた時はまず手足は縛られてて、一切青空なんて見えなかったんだけど……)



以前起こった事件に思いを馳せながら立ち上がると、視点に高さが加わり、先程までは砂山に隠れて見えなかった物が視界に映し出された。人間だ。



「なっ……!?」



その人間は銀色の、まるで中世の騎士の鎧のようなものを身につけており、うつ伏せで倒れていた。金色のロングヘアーが潮風でなびいている。そして……手元に横たわっている、鞘と柄。



「むにゃむにゃ……はっ!! 姫様!! 姫様ァ!!!?」



突然飛び上がり、奇怪な叫び声を辺りに撒き散らす。鼻が高く、深い二重を持つ彼女は間違いなく美人と称される部類に入るのだろう。



「ど、どうしたの……?」



「な、ななっ、何奴!? なんだその格好!? まさかーー……貴様かッッ!!」



「はぁ!?」



「とぼても無駄じゃけえの!! おんどりゃが姫様さろうたクソ蛆虫か!! このクソ蛆虫!!! 死体に群がるクソ蛆虫!!」



それだと姫様が死体になっちゃわない?と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。しかしぐっと堪える。いや、待て。なんだそのラッパーみたいな口調。素晴らしいな、こいつ突っ込みどころの塊だ。



「いや僕知らないって!? 姫様って何!? 王権制度!? てか、拐われたって言ってるけどーーーーーー拐われたのって君の方じゃない?」



「ーーーーーーはっ」



「それに、僕も拐われた側だよ。その証拠に」




と、僕は彼女の足元の刀剣を指差す。彼女も恐る恐る視線をそっちへと移した。



「ね。僕が拐った側なら丸腰で、自由な君と対峙なんて絶対しないし、その上武器を握らせるわけがない。つまりこの状況はお互いが拐われていて、黒幕はどこか他の場所にいる。」



「な、なるほど……で、姫様は?」



「い、いや、話聞いてた? 知らないって!」



「じゃあ何も解決してないいいいい!! あああああ!! 精神が不安定になる!!」



彼女は頭を掻きむしり、絶叫しながら膝から崩れ落ちる。上半身を数回振った後、腹の奥底から絞り出したかのような断末魔をあげて砂に倒れた。



「なんだこいつ……」



気が動転していると、背後の草木の揺れる音が耳に飛び込んできた。それは自然が産んだものじゃなく、不規則的な、そこから産まれた何者かが作った人工物だった。



すぐに草木から飛び退き、腰を少し下げ、脚を構えて体勢を整える。この姿勢なら相手が飛び道具を使用したとしても瞬時な対応が可能になる。



「うーわ、人殺しじゃんこいつ。食っていい?」



「えー……なんなん? お前、そういう系?」



そこから出てきたのは赤い珠のような髪留めで作られたツインテールを下げた少女と、リングの形を模したピアスを左耳にした、目元まで伸びた黒髪を持つ男だった。



膝下まで伸びた黒いローブの下にあるのか、少女の方の黒いバンドは確認できなかったが、7部丈のグレーのシャツを着た男の手首にしっかりとその存在を得れた。



先ほどの少女の恐ろしい発言を、男は冷や汗を浮かべながら対応している。



「冗談に決まってるだろうが!! この超絶スレンダー体型の私が等身大の人間を食うと思うのか!! 絶対もっと肉団子みたいなデブの役割だろそれ!! あ!? お前、私に遠回しにデブって言ってんのか!? 許せねえ……許せねえよ、謝罪しろ謝罪!!」



「いやそんなの知らんしわら。わら。」



いやらしく口角を上げてみせる男。どうやら真に受けたような表情は彼女を揶揄うための演技だったらしい。食えなそうな性格と拗れた精神を披露するメリットは一体何なのだろう。



「えっと……この女性は、この状況を飲み込めなかったらしくて。精神が極めて錯乱してる状態なんだ。だから僕が殺した訳じゃないよ。」



「ほんま?わら。あ、本当だ。本当。脈があるし息遣いも聞こえる。」



女性の横にしゃがみ込むと、首元を優しく撫で回し、肩を弾ませて男は嗤った。




「……じゃあ自己紹介とかしとこか。俺の名前は夢暗 萬杜(ゆめくら まんず)、気軽に下の名前で呼んでくれてええよ。」



「オイ、私差し置いて自己紹介とは上下関係弁えてなくね? 死刑でいいだろこいつ。」



「ごめんって!わら。ほら、主演の登場を盛り上げるための前座って言うやん?」



理不尽なまでの少女の暴言を、上手いことを言って躱す夢暗。その言い訳に納得をしたのか、彼女は嬉しそうにツインテールを跳ねさせて上機嫌だった。



そう思っていると、彼女の周囲の砂が一定の間隔で固まりになっていき、いくつかの砂の球体が作り出された。驚いて目を見開いたが、事態を飲み込む間も無く、リズム良く順番に球体が弾けていった。



「わ」


「たしこそ……!! 史上最高の魔女っ!! ビューティフルオブ魔法使い!! 西の三大名門魔法学校『アンドープ』で魔法理論科の副研究長を務めた、アリア様よ!!」




まるで鉄パイプで後頭部を激しく殴られたかのような衝撃を受けた。実際に過去に殴られていた箇所がひりひりと疼く。魔法学校? 魔法理論? 魔法使い? 空想やファンタジーの存在では無かったのか。



しかし、今目の前に起きている事象は無視できない現実の延長線だった。




「ま、魔法……!?」



「フフン……驚いてるようね! 初歩の魔法とはいえ、固まれパーテン弾けろスーアッシュの0詠唱を複合させる器用さ!! 派手さには欠けるけど、この器用さでのし上がったのよ私は!!」



全身を覆う黒いローブに隠された小さい胸に手を当て、自信満々にぺらぺらとさえずる少女は、目の前で驚愕の表情を浮かべている男の心意を全くといっていいほど理解していないようだった。



「嘘やろー……? わ、わら。」



夢暗も辛うじて口角を上げて耐えているが、ただでさえ色白な顔はさらに白味を増し、目元は引きつり、額には汗が滲み出ていた。



「な、何よ。ちょっとリアクションオーバー過ぎない。」



「ボファットするわよ?」



「やめろ!! なんか怖そうなワード出すな! そしてコッチ見んな!!」



「冗談よ! さすがの私でもこんなところでボファットしないわ!」



「……」



両腕を上下に動かし、身振りでボファットを表現するアリアに、咄嗟に悪態をついてしまう。若干の気まずい空気が訪れた。先に沈黙を破ったのは夢暗。



「アリアちゃん……あの、なんて言うかね。俺ら魔法についてあんま詳しくないんよ。」



「はぁ!? あり得ないでしょ、このご時世に! おい根暗、お前私を騙そうとしてるな? 若さと美への嫉妬がお前を狂わしたのか?」



「根暗ってそれ俺の名前? 酷いやん、わら。」



ペースを取り戻してきたのか、いつもの口癖まで戻ってきた夢暗だが、いかんせん馬鹿にされたのかと疑っているアリアは、夢暗を値踏みする様に頭から爪先まで舐めるように見つめる。



「はー……じゃあボファットも知らないの?」



「うん、僕は知らないな。」



なんだそのボファットに対する信頼!! お前ボファットに育てられたのか?



「ていうか……魔法を知らないんだ、僕ら。これってどういうことだと思う?」



「は、はぁああああああ!!? 私を揶揄うのもいい加減にしろよ!! じゃあ魔法決闘だ!! お辞儀しろ!! おら!! 戦いおっぱじめたらさすがにお前らも魔法使うだろ!?」



「使いたくても使えないんよ、わら。これ……ひょっとしてとんでもないことに巻き込まれたんやない?」



「何か、根本を引っこ抜かれて返されたような。」



ちらりと僕の方を見つめる夢暗。僕はこくりと頷く。



「うん……もしかしたら、僕らとアリアは別次元の存在なのかも……そして、彼女も。」




倒れている金髪の女性を僕たち3人は黙って見つめる。自分たちの置かれた状況の、現実離れした連なる事実。今か今かとヨダレを垂らし、非日常が僕たちをさらに上から見つめている気がした。




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