第34話 正しい道の上で、また。
「わ、私たちは、本当の幸せを探しに行かなくちゃいけないんだと、思う……」
私の言葉に、ほのかちゃんはその顔を伏せた。
「そ、それはきっと正しい道の上にしか無いもので、だ、だから私たちはこのままでは、いられないの……」
すべての音が吸い込まれていってしまうようなそんな静寂の中で、ほのかちゃんがポツリと「ないよ……」と呟いた。
「わたしには、ないよ……。正しい道の上に幸せなんて、ないよ……? わたしの家に、幸せなんてないの……! わたしのことをしんぱいしてくれるような人、だれもいないんだもん……!」
「ほ、ほのかちゃん……」
ほのかちゃんの家の環境が、きっと彼女にとって良くないものなんだろうということは、元より感じ取っていたことではあった。だからこそ私は、この部屋で一緒に暮らすということに反対しなかった。
「それでもこのはは、わたしが正しくなきゃダメだって言うの……っ? わたしを、もとの家にかえすの……?」
「ほ、ほのかちゃん、私は――」
「どうなの……?」
ほのかちゃんが今にも捨てられそうな子猫のように、小さな身体を震わせて頼りなさげな顔で私を見る。
私は両の手のひらをほのかちゃんの肩へと置いた。
「わ、私が……なんとかするから、ぜ、絶対に……!」
力を込めて、私のこの覚悟が伝わるようにと、その震えが止まりますようにと、ほのかちゃんのその肩をガシっと押さえる。
「――信じて……私を……! ぜ、絶対に、ほのかちゃんを見捨てたり、しない……!」
ほのかちゃんの顔を覗き込むようにして、そう言い切った。
びっくりしたように、ほのかちゃんが目を丸くする。
「このは……」
「き、きっと、ほのかちゃんが幸せになれるように、するから……!」
「……」
それからしばらく、私たちの間には長い沈黙が降りた。
ほのかちゃんは何かに迷うような、そんな表情で私を見つめていたかと思うと、
「……もう、いいよ」
と、今にも泣き出しそうな表情をしながら、肩に載せられた私の手を掴んで外した。
「……出てく」
「え、え……?」
「もう、わたし、出てくから……」
ほのかちゃんはそう言ったかと思うと立ち上がって、そのまま玄関へ向かって靴を履き始める。
「ほ、ほのかちゃ――」
「――さよなら」
振り向きもせず、ほのかちゃんはそう言い残すとドアを開けて外に出ていった。
入れ替わりに部屋へと入ってきた秋風が冷たく私の頬を撫でる。
「わ、私、失敗しちゃった、のかな……」
コミュ障な自分が、自分の内側にしか見ることのできない覚悟の形を人に伝えるなんて、無理なことだったのかもしれない。
これまでの幸せを失って空虚となった心に、シクシクと痛むような後悔が広がっていく。
しかし、もはやここで立ち止まるわけにはいかなかった。
――警察に、行こう。
すべてを告白して、0からやり直すんだ。
ほのかちゃんのことは警察の人としっかりと相談して、最善を尽くそう。
どれだけ多くの人々に軽蔑されようとも、後ろ指を差されようとも、偽善だと罵られようとも、それだけはやり切ろう。
今や私の、唯一の『家族』であるほのかちゃんのために、必ず。
あの夜に与えられたあかりちゃんの優しさの記憶があれば、ほのかちゃんと過ごしたこの短くも幸せな日々の記憶があれば、きっと私はいつまでだってがんばり続けられる。
私はそれから、部屋を片付けた。
窓を開ける。ちゃぶ台を部屋の隅に寄せ、布団を畳んで部屋に掃除機をかけた。
それからいつも窃盗をする時に着ていた外出用のセミフォーマルなジャケットに袖を通して、バッグには出頭の際に最低限必要となるであろう身分証明書などが入った財布を入れる。
それを肩にかけて、玄関に立つ。
「さ、さようなら……。今まで、ありがとうございました……」
部屋へ向かって、最後に深く頭を下げた。
ひどく長い独りの時間を、そして短かったけどとても幸せな時間を過ごしたこの部屋に、決別をするために。
ドアを開けて、私もまた振り返りはしなかった。
ゆっくりと閉まっていくドアを背中に感じながら、涼やかな空気を胸いっぱいに吸い込む。
「――き、きっと、いつか、また……」
今日これまでの幸せな日々と、今度は正しい道の上で、交わりますように。
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