第12話 節約のために

 駅前にある銀行のATMコーナーから出て、私は深いため息を吐いた。

 一昨日に届いた督促状に従い家賃を指定の口座へと振り込んで、財布の中身は完全にすっからかんだった。

 土曜日の昼下がり、部屋に食べ物の買い置きもなく、明後日の平日にお金を稼ぐまでは何かを買って食べることもできない現実に今から空腹感を刺激されるようで悲しい。

 

『督促状……!? お姉さん、ここでの家賃滞納はマズいですよ……!』


 昨日、督促状への対応を考えるためにノートパソコンを貸してもらおうと学校終わりのあかりちゃん宅を訪ねた際、いつにない真剣な眼差しでそう言われてしまった。


『ここの不動産屋はかなりドライで、滞納1ヶ月だけで強制退去のプレッシャーをかけてくるんです。私、直接家賃振り込みの催促に来てるところを見たことがありますよ……アレはヤクザのやり口でした……』

 

 そう言って何か恐ろしい出来事でも思い返すように身をブルっと震わせた彼女に、私の血の気も引いた。

 もちろんそんなプレッシャーに耐えられるようなメンタルを持つはずもない私は即座に振り込みを決意し、今日に至る。

 

 しかし、だ。このまま月曜日の稼ぎが入るまで何も食べられないというのは現実に問題がありそうだ。

 そう考えているうちにも一鳴きするお腹を私は抑える。

 この生理現象が問題だった。


 仮に月曜日まで何も食べずに耐えきったとして、朝の満員電車かせぎばでお腹が鳴りっぱなしだったらどうなるだろうか?

 いくら私が平凡で目立たない恰好をしていたとしても、そんな音がしてしまったら周りの注目が集まってしまうに違いない。

 そしたらスリをするだけの充分な死角が無くなってしまう!

 

(や、やるしか、ない。)


 私は、今は覚えたてのスリに集中するのが一番だと思って避けてきた『アレ』をするしかないと決意し、駅から少し離れた場所にあるスーパーへと向かった。

 そして、私は買い物かごを持たずに中古のトートバッグだけを肩にぶら下げて、スーパーの菓子パン売り場へとやってきていた。

 いくつか見比べている内にも、私の後ろを買い物客が次々と通り過ぎていく。

 私は普段コンビニしか利用しないから平日と比較はできないけど、休みの日だからか昼にも関わらずお客の人数は多いように思えた。

 

(こ、こ、これじゃ気付かれないなんてムリ……!)


 不審に思われないように周りを見渡して、なんとかタイミングを計ろうとするも人の視線が途切れそうになることはなく、想定外の難しさだった『アレ』に歯噛みする。


 ――それは生活費の根本的節約術の1つ、『万引き』。

 

 不安定になりがちな収入から主に食費を浮かせるため、いつかは挑戦しなくてはいけないと考えていたが、ここまで大変だとは思わなかった。

 余裕がある時ならば、また後日に再挑戦しようと引き下がって家に帰り、どうやれば上手く盗めるかをじっくりと考えるところだが、今日はそうもいかない。

 今日の夕ご飯を買うお金がなく、家に帰っても食べ物はない。

 今、万引きを成功させなければ丸一日ご飯抜きになってしまうのだ。


(ど、ど、どうしよう……)


 とにかく、色々と試してみるべきだった。

 私は菓子パン売り場が特別人の行き来が多いのかもと考えて、目当てのパンを持って他の陳列棚の間の通路へと移動してみることにする。

 1つ目のレトルト食品やティーバッグの売り場の通路には客がいて、2つ目の通路へとそのまま足を進める。

 こちらは調味料売り場、誰もいないと思ったそばから買い物カートを押した主婦らしき女性がやってきたので、退散することにする。

 次の生活用品売り場、数人のお客。

 お菓子のコーナー、小学生くらいの少女がお菓子を吟味中。

 最後に生鮮食品売り場、客も店員も複数人。

 あっちへフラフラこっちへフラフラとするも上手い具合に人の目は無くならない。

 結局タイミングを見つけることができずに、私は菓子パンを手に持ったままグルっと店内を1周して元の売り場へと戻ってきてしまった。

 

 「は、はぁ……」


 思わず深いため息がこぼれる。

 スリの時は思い切って行動できたが、あの時は事前に何度もシミュレーションを重ねた上での実行だった。

 今回はあまり後先を考えずに勢いで来てしまったから、自分を後押しするだけの自信が欠けているということと、さらにはせっかく有り金を全てはたいて家賃を支払ったというのに、万引きで捕まってしまったら元も子もなくなるというリスクも私の行動を鈍らせている気がする。

 

(こ、今回は諦めて、明日また、再挑戦しようかな……)


 そんな考えが頭をよぎった時、後ろから「ぷぷっ」という、思わず噴き出したというよりか、あえて言葉に出しているかのような笑い声が聞こえた。

 何だろう? と思って振り向いた先にいたのは、私が先程店内をさまよっていたときにお菓子売り場にいた、まだ幼いだろう少女だった。

 口に手を当ててわざとらしくニヤニヤと笑い、そしてこちらを見ていた。

 視線が合う。 


「あっ……」

 

 私は咄嗟に目を逸らした。

 相手が子どもとはいえ、人と目を合わせるのは苦手だ。

 いったい私がどんな興味を引いたのかは分からなかったが、その少女は私から視線を逸らすことなくジッと見つめてきているようだ。

 それに耐え切れず後ろを向いた時。 


「へたくそ」


 あまりに稚拙で、そして直接的な言葉が私の背中を打った。

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