第11話 なんだ、これ?

 自分の部屋へと戻ってきたのはもう日も暮れた頃だった。

 今日は散々歩き回ったので足が痛む。

 朝のスリを終えた後、私は盗んだ全ての財布を『返し』に行っていたのだ。

 もちろんこれは善行のためではない。

 あくまで今日の被害者たちが『スリに遭った』という事実を無くすための行動だった。


 ――つまり、被害者たちは運悪く『落とし物』をしてしまったということにするのだ。


 午前中に盗った財布の中身を見てそれぞれの持ち主の住所を把握した私は、その自宅から最寄り駅までのルートにわざわざ財布を落としに行っていた。

 中身は以前と同じように、被害者たちにお金を抜き取られたとは気付かれない程度の金額を盗ってある。

 本人に落とした記憶はないだろうが、スられた記憶もないのだから、後日落とし物として届けられた財布を『知らないうちに落としてしまった』という解釈で受け取る他ない。

 落し物かもしれない財布1つのことで警察が防犯カメラに映った映像から私の身元を割り出すような動きをするとも思えないし、スリが行われたという事実を隠す目的のためには、私の行動はそれだけで十分だった。

 しかし、1つ誤算だったこともあった。


(ま、まさか、ここまで体力が落ちているなんて……)


 今日の通勤ラッシュ時に盗った財布は合計で4つ。なので午後はそれらの財布の持ち主が住む4か所の地域に財布を落としに行っていたのだが、これがずいぶんとキツかった。

 1つ届けるたびに足が生まれたての小鹿のように悲鳴を上げるので、その都度公園や駅前のベンチで休憩をはさむ必要があったのだ。 

 ただ、充分に歩き回ったおかげで日ごろの運動不足が今日1日で大分改善された気さえする。


「と、とにかく、今日はもうゆっくりしよう……」


 私はそれから服を脱ぎ散らかすように剝ぎ取るとすぐにシャワーを浴びて、帰りに買ってきたコンビニご飯を食べてベッドへと横たわった。

 明日も平日だから、人々と同じように私もまた朝から行動する。

 それは少し億劫にも思えたけど、それが人並みの生活の証であるような気がして何だか少し自分を誇らしく感じた。

 もちろん盗みが悪いことであるという道徳観念が無くなった訳ではないけど、自分自身にとってそれが引きこもったまま日々を暮らすよりもよっぽど充実したものに思えていた。

 今日一日の充分過ぎる結果に、にやける頬をグリグリといじりながら寝返りを打って玄関の方へと顔を向けた時、郵便受けに何か封筒のようなものが入っているのが見えた。

 何だろう? と思い封筒を取って、その封を開けてみる。

 そこに入っていた文書のタイトルには太字で一文、こう書いてあった。


『家賃滞納督促状』


「……あ、あれっ?」

 

 冷たいすき間風が背中を通り過ぎる。

 さっきまでの充実感はどこへやら、私は玄関先で立ったまま固まってしまった。

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