第4話 生きてる実感
私は、このドアに挟まるチラシに何を書いていた……?
『
人が自殺しています。
警察を呼んで下さい。
救急車はいりません。
』
思い返して一瞬で、思考が凍った。
「おわわわっ! じさっ、自殺ぅっ!? はやはやはやはやく通報、通報!! 1、1……、えーっと1……じゃないっ!! なんだっけ、ふぇぇっ……、1、1……」
混乱から立ち直ったのか立ち直っていないのか定かではないが、ドア前の女の子はスマホを取り出して、ワタワタとしながらも操作し始める。
マズいっ!! 当初の目論見通りに通報されかけてる!!
自殺はできてないのに!!
とにかく、とにかく。
考える間もなく私はドアチェーンと鍵を急いで開けると、一瞬の合間にドアを開き、チラシを部屋の中に引っ込める。
「へっ!?」
外の女の子の戸惑いの声が聞こえる。
私はあまりの速さに空気抵抗で重くなるドアを両手で力一杯に閉めて、再び鍵とチェーンを掛ける。
こんなにも素早く動いたのはどれくらいぶりか分からない。
私は肩で息をしながら、ドアにもたれかかるようにしてズルズルとその場で座り込む。そして体育座りのような格好で、どうか通報されませんようにと何かに祈るために指を組んだ。
女の子の方は呆気にとられたのだろう、しばらくの間ドアを挟んだ両側には何とも言えない沈黙が落ちる。
「えっと、その……死んでない、ってことでいいんでしょうか……?」
女の子が投げかけてきた質問に、私はビクリと体を震わせて自分の太ももをキツく抱き寄せて小さくなる。
――お願いだから、私に話しかけないで……。
――答えたくても、弁明できるようなコミュ力がないの……。
「あの……私が行った後でまた……何か起こったりとかしませんよね……?」
返事のない私を訝しむような口調で再び質問が飛んでくる。
私にそつなく言葉を返すだけの器量はない、だから選択肢は女の子が答えを得るのを諦めてこの場から去るのをひたすら待つだけだった。
早く行ってくれないかな……。
「どうしようかな……」
女の子は一向に返事のないことに迷っているようだった。
そのままナムナムと、早く立ち去ってくれとお祈りを続けていた私だが、女の子の言い方に少し引っかかることがあった。
……あれ? 『どうしようかな』って?
『どうしようかな』って……もし、私がこのまま返事をしなかったら、その場合私はどうにかされるのだろうか?
にわかに不安を覚えた私は気配を悟られないようにそーっと立ち上がって、再び覗き穴から外の様子を窺った。
女の子は変わらず部屋の前にいたが、今は何やらスマホをいじっているようだ。
もしかして、何かを調べている……?
まさかホットラインやら相談室やら、そういったところへの電話番号とか……!?
聞いたことはないけど、自殺しそうな人を連絡するための窓口が、毎年何万人もが自らの命を断つこのご時世には設置されていることもあるかもしれない。
そしたらどうなる?
今度は知らない人たちが大勢で押しかけてくるかもしれない。
もし、『大丈夫ですか? 辛くないですか? 相談に乗りますよ?』なんて戸口でひたすら声をかけられるようなことになったら……!
外に出て立派な応対もできない私は、ただひたすら呪詛のような励ましや労りの言葉をドア越しに聞き続けなくてはならない。
針のむしろなんて表現はまだ生優しい、それはまさしく地獄の窯で茹でられるに等しい拷問だろう!
だから私は、新しく1つ選択肢を増やして、その2つを天秤にかけて決断するしかなかった。
このまま黙り続けて、結果として今度は全く知らない人間がここに訪ねてくることになる可能性をよしとするか。
あるいは今ドアを挟んで目の前で調べごとをしている風の年下の女の子に、一言「問題ない」ことを告げて穏便に帰ってもらうか。
私は冷や汗を滝のように流しながら答えを出した。
「……だっ」
「――えっ?」
震える足に力を入れて立ち、へばりつくようにドアへと身体を預けながらも、私はこの場で返事をすると決めた。
「……だっ、だっ、だっだだだだ……」
「……だ?」
人へと話しかける緊張に汗ばむ両手の平をぴったりとドアにくっつけて、何とかして言葉を捻り出そうと全身に力を込める。
反射的にどもってしまう喉に『働け』と命じ、そしていくつか目の「だ」を重ねて、
「……っだ、だいじょうぶ、です」
ようやくその一言を返すことができた。
しかし覗き穴の外の女の子は明らかに不信そうな渋い表情で、どうしたものかと悩ましげだ。
うーん、と唸る声が聞こえる。
通報しないで欲しい一心で、私は額をドアにくっつけるようにしてハラハラと女の子の動向を窺う。
1秒が数分にも長く感じられる緊張の中、その場を動かしたのは私でもドアの前で腕組みをして悩んでいる女の子でもなかった。
「あかりーっ!! 何やってんのー!? 置いてっちゃうよー!!」
私の祈りが届いたのか、救いの声は外からマンションへと響いた。
どうやらこのドア前にいる『あかり』と呼ばれた女の子はマンションの外に学校のお友達を待たせていたらしい。
そのあかりちゃんは階下からと思われる声に「は、はーい! ごめんね、今行くからー!」返事をすると、1度だけこちらを気にしたものの、その声に急かされるまま階段を降りていった。
足音が聞こえなくなったところで、私はへなへなとその場に座り込んだ。
「よ、よ、よかったぁ……」
どうやら峠は乗り越えたようだ。
自殺未遂直後にこんな思わぬトラブルがあるなんて。
起き立てにも関わらず、すでにクタクタな心境だった。
はぁ~っと溜まった息を吐き出す。
手のひらを胸の中心に当てるとまだ、胸の内側で心臓がバクバク早鐘を打っているのがよく分かる。
しばらく収まりそうにない鼓動に、私は目を瞑って耳を傾けた。
「い、生きてる、なぁ~……」
本来なら決行したにもかかわらず失敗して、その上にまた大変なことがあって残念なはずなのに。
昨日迷うことなく私に首を吊らせた暗い気持ちはどこかへと行ってしまい、今の私の心は不思議なくらい穏やかで、こうして自分の鼓動を確かめてホッとしていた。
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