第36話 赦し
それから私はその時に起こった出来事を、できるだけ順序立てて説明した。
ところどころで刑事の質問が飛び、それにも答えつつ話を進めていく。
女性の忘れ物を手に取った時、それを白いコートを羽織ったおばあさんに見られてしまっていたこと。おばあさんとの会話内容。そしてその最中に近くに聞こえた気がしたバッグの持ち主の足音に、私が軽いパニックになってしまって逃げだしてしまったこと。
とつとつと話す。途中で何度もつっかえはしたけれど、しかし何を隠すこともなくありのままを吐き出した。
「――ほうほう……つまりは最初から置き引きをしようとしたわけではなく、ムラサキさんなりの不可抗力な事情があったと……」
「は、はい……で、でも……結局そのまま持ち去ったのは、じ、自分の意思でした」
「……と、言いますと?」
「そ、その、それで自分の罰を軽くしてほしいとか、そ、そういうのではない、です……」
「……ふむぅ……なるほど。ムラサキさんの仰りたいことはだいたいわかりました」
刑事はサラサラと、私の話した内容を手帳へと記すと、それから「最後にひとつだけおうかがいしたいんですが」と前置いて、身を乗り出す。
「ムラサキさん、今日はどうして自首しようと思ったんです?」
「ど、ど、どうして……?」
「ええ。自首っていうのはねぇ、だいたいが弁護士を通じて行われるものなんですよ。事件の犯人が特定できていない場合や事件そのものが発覚してない場合、自首をすることによって罪は軽くなるんです。だからね、自首をする人っていうのは大抵、刑罰の軽減を目的としているんですが……」
そこで刑事は言葉を区切って、私の顔を見た。
何か、おかしいところがあるだろうか。そう思って自身の頬に触れる。自分で思っていたよりも冷えた指先が、顔に痺れるような刺激を与えた。
刑事は私のその行動に何を思ったのか、溜め込んだ息を吐き出すようにして苦笑いすると先を続けた。
「……ムラサキさんは『自分の罰を軽くしてほしいとは思わない』と、そう仰いましたね。なんとなくその言葉に嘘はないと、短いながらもあなたとお話していてそう思いましたよ。あなたは不器用で、それでいて素直な人みたいだ」
「は、はぁ……」
「なっはっはっは……褒めてますよ? 一応。でね? 自首の理由が刑罰の軽減を目的としていないなら、そうすると次は『それじゃあどうして自首をしようと思ったのかなぁ』ってなりますよね?」
「は、はい……」
「……ちょっと強引過ぎるかなぁ? でも私、なーんかあなたのこと嫌いになれないみたいです」
「……?」
話の流れや言葉の意図がわからず、私は首を傾げた。
刑事はちょっと呆れた顔をして、それから「あのね……」と子供に物事を教えるような口調で言葉を続ける。
「心象、って言葉があるでしょう? あなたがここに来た理由は、あなたの口から直接話してくれた方が後々ね、色々と軽く済むんですよ」
それで私はようやく今の状況を呑み込めた。
(こ、この刑事さん……わ、私の今後の罪を軽くするチャンスを、くれているんだ……)
顔を上げて刑事を見る。その目元は最初に比べるとわずかに緩んでいるように感じられた。
――私が自首をしようと思った理由。
「……い、生きるためなら仕方がないって、な、何をしてもいいんだって、そう思っていました……」
まるで心の整理ができていなかったけれど、しかし言葉は自然と私の身体の内側から溢れ出すように口を突いて出てきていた。
「じ、自分がコミュ障で、し、社会に出てまともに働けるはずもないから……だ、だから仕方がないって、人のお金を盗んで生きるしかないって、も、もうそんなことをしなくても生きていけるんじゃないかって指摘されても、そ、そんなの無理だって自分に言い聞かせるようにして、ひ、開き直ってずっと過ごしてきました……」
刑事は黙って机に肘をついて、私の取り留めもない告白に耳を傾けてくれていた。私は言葉を続ける。
「で、でも、日曜日に私は……と、取り返しのつかない盗みをしてしまいました。ネ、ネットニュースで見たんです。て、帝京駅でバッグの置き引きにあった女性が、重体になっているって……。わ、私の盗ったバッグの中に入っていた、注射を打つことができなくて……そ、そのせいでって……。じ、自分の勝手な開き直りのせいで、ひ、人の命を危ぶめているんです……。わ、私、自分の行為が人をそんな風に傷つけることがあるなんて、そ、それまで考えたこともなくて……」
そして私を襲ったもの、それは間違いなく罪の意識に他ならなかった。
「――こ、高熱が出ました。い、勢い余って盗ってしまったバッグを捨てて、に、逃げるようにして帰った先でも、その罪を責め立てる『自分自身』からは逃げられませんでした。ふ、布団の中でずっと震えてたんです。ね、熱のせいじゃなく、じ、自分のことをすごく恐ろしく思って……。い、いつそんな風に人を傷つけることになるかもわからない、そんな生活を続けていて、幸せだって思っていたことに……。な、なんの不自由もなくて毎日楽しく暮らせて嬉しいって……」
日曜日までの私は、人生にもはや何の憂いもなく、当然のように温かの陽の光の下を街を行き交う他の多くの人々と同じように闊歩していた。
本当に、そうして人々と肩を並べて歩くのが当たり前のように。
「ば、ば、馬鹿みたい――わ、悪いことばかりをして、幸せになれるはず、ないのに……。ひ、人を傷つけてしまったことを、後悔しないはずがないのに……そ、そんな当たり前のことに気づけなかったんです……」
「……ムラサキさんは、でも、それに気が付いたわけですね?」
「は、はい……」
私は深く、頷いた。
「つ、辛い目に遭わせてしまった人に、あ、謝りたい……謝ったところで起こってしまったことが変わることはないって、し、知っているけれど、それでも……あ、謝って、償いたいんです……こ、このままじゃ自分のしたことに押しつぶされそうで、苦しくて……」
自分勝手だと、重々承知の上で私は、
「ゆ、赦しが、ほしいです――」
絞り出すようにして、そう言った。
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