第5章 紫さん、決意する

第28話 幸せな日々……?

 ――秋。人々が薄手のコートを羽織うようになった頃。

 私は地下のお土産売り場の間を歩きながら、目線だけをギョロギョロと左右に走らせて獲物を探す。

 この国内の観光スポットにも数えられる帝京駅の構内は、新幹線や高速バスへの乗り換えを待つ人々が荷物を無防備にあちこちに置いたりしていて、私にとっては絶好の狩場であった。

 荷物を丸裸で置く側にしてみれば、人々がひっきりなしに歩いてきている場所で堂々と盗みなんて行わないだろうという心理なのだろうだが、残念ながら私は人目があるからといって足が竦んでしまうような盗みの素人は卒業している。

 いや、素人どころか私の窃盗の技術はもはやプロ級――いや、神級と呼ばれてもいいほどのものに進化していた。

 

(み、見つけた……)


 1人の男性が駅の案内板の横で退屈そうに立っている。いくつもの荷物を足元周辺の地面においてスマートフォンをいじっているようだ。

 歳は中年。恐らく用でも足しに行った妻か誰かを、荷物番をしながら待っているのだろう。時折スマートフォンから顔を上げて、辺りをキョロキョロと見渡している。

 その視線は自身の足元周辺に置いてある荷物には向いていないようだった。

 私はあくまでも自然にその男性の後ろへと、誰かを待つ風にして立った。

 そして周辺を確認する。

 誰も隣に立つ男性に対して視線を向けている人はいない。

 恐らくまだ彼の待ち人は買い物中なのだろう。

 私はその場で屈んで、チラリと背後を盗み見る。周囲の注目を一瞬集めるも、後ろの男性が私を不審に思う様子はない。

 何気なく振り返り、そして一拍の間も置かずに男性の足元に置いてある女性用のハンドバッグを掴み取る。気づかれはしない。そして自身の足元へと置き直した。

 手早く中身を物色する。手帳やら化粧品やら色々と入っていたが、しかしお目当ての財布はすぐに見つかった。鮮やかなエメラルドグリーン色をした革の長財布だ。

 中身を確かめると6万7千円の現金が入っていたので、手早く数枚のお札を抜き取って長財布をハンドバッグの中へと戻す。お札をポケットに仕舞いこんで、そして再び背後を振り返って男性の周辺に何の変化も見られないことを確認すると、バッグを元の位置へと置き直した。

 ゆっくりと立ち上がり、ここへと立ち止まった時と同様に人の流れに乗って自然に歩き出す。

 最後にチラリと横目で男性を見たが、ハンドバッグの持ち主はまだ現れないようであった。


「ふ、ふう……」


 私は駅の構内から外に出ると、辺りのひらけたスペースに設置してあるベンチへと腰を掛ける。ポケットから、端が少し折れてしまったお札を取り出した。

 2万3千円。それが今回の収穫だ。

 1日としてはそれだけで充分な金額ではあったのだが、私は1つ息を吸い込むと、


「じ、時間を置いたら、もう1回行ってこよう……」

 

 と自分に喝を入れるようにして心を奮い立たせた。


(な、なるべく、稼げるうちに稼がないと。ほのかちゃんっていう家族も増えたことだし、少しずつ貯金をできるような余裕を出していかなきゃ……)


 誰かの人生が自分の上に乗っかっているのだと実感すると、いつの間にか怠け者で引きこもりな私はどこかへと行ってしまった。

 日々の収穫の目標は大きくなるし、前なら休みにしていた日曜日にもこうして観光地になるほどの大きな駅まで足を伸ばしにきている。


(わ、私も、変わったな……)


 ベンチに座ったまま、目の前に見えるその大きな駅のレンガ造りの外観をぼやっとしながら眺めていると、急に、自分が自分でないように思える感覚に陥った。

 つい半年ほど前、絶望した春の夜に自殺を図ったあの時の自分から、いったいどうやって今の自分を紐づけることができるだろう。10年にもわたる月日を自宅とコンビニの行き来に費やしてきた私が、今や犯罪によって身を立てて、そうして手に入れたお金を使って親戚でも何でもない女の子と共に生活をしているのだ。

 解離性障害――というのは大袈裟過ぎるが、しかしこれまで生きてきた引きこもりとしての自分が失われてしまったような、自分を外から見ているような、ふわふわと落ち着かない気持ちが胸の奥に付きまとった。


「……あっ」


 今までそこに居たのを気が付かなかったが、赤色の仕立ての良いコートを着た女性が私の隣のベンチから立ち上がるのを見て、小さくそう声が漏れた。

 赤紫色で花の形のフリルが付いた巾着バッグが、ベンチに置きっぱなしである。

 とっさに『盗れる』という思考が頭を駆け抜ける辺り、私の窃盗は職業病を誘発するほど日常に染み付いた行為になってしまったらしい。

 女性がこの駅前のスペースからそのまま抜けていくのを確認して、それから周囲をチェックする。

 日曜日の真っ昼間だというのに、驚くほどに人目が無い。

 このベンチのあるスペースで足を休めているのはもはや私1人だった。


(た、多分、みんなお昼だからどこかレストランにでもいってご飯を食べてるのかな……)


 こんな観光地に来てまでコンビニでご飯を買ってベンチのある場所で食べるようなマネはしないだろう。私はそうやってその違和感に納得をすると腰を上げて動き出した。

 さきほどまで女性のいたベンチの前まで歩いてきて、そしてその巾着バッグ手に取る。

 ずっしりとした重さが手に伝わった。

 そして中身を開こうとしたその時、

 

「あなたは人の物を盗るのが好きなのかしら」


 と、真横からしわがれた声が掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る