第18話 覚えた
「――それじゃあ、私、来客用玄関まで送っていきますね」と、あかりちゃんがスライドドアを開けた。
「う、うん。き、今日は本当にごめんなさい……突然……」
「お姉さん? もうそれは無しですよ。そもそも私が心配をかけてしまったことがきっかけなんですから」
「ち、違うよ、それは私が勝手に――」
「――だから、無しです。こうやってどっちつかずになってしまうんですから」
あかりちゃんは両手の人差し指で『×』を作ると微笑んだ。
そうやって言われてしまうと、もうそれ以上謝れなくなってしまう。
私が頷くと、あかりちゃんはまた笑顔で応えてくれた。
(な、なんだか、以前のあかりちゃんに戻ったみたいだ……)
廊下を歩きながら、明るさの戻ったあかりちゃんの表情を見てそう思う。
もしもこのままいつも通りの彼女に返ってくれるならどんなにいいことだろうか。
しかし、恐らくそうはならないだろう。生徒指導室でのあかりちゃんの言葉を思い出した。
『また来てたんですね、さくちゃん……』
『もう来ないで、って言ったのに……』
毎朝一緒に登校する仲の友達に対して、彼女はそう言ったのだ。
最初はもしかしてケンカでもしたのかもしれないと考えた。しかし、それはあかりちゃんの性格を考えるとあまりにも不自然なのだ。
私の用なコミュ障に対しても分け隔てなく接してくれる彼女が、たかだかケンカくらいでそこまで友達を突き放す対応をするだろうか。私は、しないと思う。
「ね、ねえ……あかりちゃん?」
「どうしましたか? お姉さん」
かけられた声に微笑みながら振り向いてくれるあかりちゃん。
私は少しの間、迷う。
願わくば、今のこの温かなあかりちゃんとの時間を壊したくない。そう思ってしまったのだ。
でもその迷いは一瞬だった。だって私はこれからもあかりちゃんと穏やかな時間を共に過ごしたい。
私は意を決する。
「なにが、あったの――?」
「……!」
あかりちゃんは私の質問に、弾かれるようにして視線を逸らしてしまう。
少し、胸が痛んだ。
「い、嫌なことを聞いて、ごめんなさい……」
「……」
「そ、それでも、私、放っておけなくて……」
「……お姉さんに、関係のあることではないんです」
絞り出すようにしてあかりちゃんは言う。
私はそれに当たり前のようにして頷いた。
「だ、だよね……。で、でも関係がないからこそ、気兼ねせずに話せることも、あると思う……」
私の言葉に、何を思ったのかあかりちゃんは歩くのを止めて立ち止まる。
「……どうしてそんなに、心配してくれるんですか……?」
「だ、だって……あかりちゃんは私のことを心配してくれて、髪を切ってくれて、優しくしてくれた人だから……」
「……」
あかりちゃんは私の答えを聞いてから、立ち止まり、黙り込んでしまう。
しかし口を開いたり閉じたりが繰り返されるのを見るに、何かを言おうかどうかを迷っているようだった。
それであかりちゃんの心の整理がつくのであれば私はいくらでも待とうと、そう思っていたその時だった。
「――へぇ、不審者のお友達がいるんだねぇ。矢澤」
突然、聞く者を不快にさせるような愉悦の感情が乗せられた声が背中からかけられる。振り向けば、あかりちゃんと同じ色の制服に身を包んだ男子生徒が幾人か立っていた。
「富田、くん……」とあかりちゃんが呟くように言った。
薄茶色に髪を染めた真ん中の男子生徒が、侮蔑するような表情でそれに鼻を鳴らして応える。
「HRを全部サボるとはとんだ不良だねぇ。内申が下がっても知らないぜ?」
薄茶色が笑うと、周りの男子生徒たちも笑った。
「ごめんなさい。私、お姉さんを玄関まで送って行かなくちゃいけないから」
あかりちゃんは男子生徒たちに背を向けて私の手を掴むと、再び歩き始める。
大股で、一刻も早くこの場から離れたいとでも言うように力強く私を引っ張った。
「オイオイ、待てよ~」と、薄茶色とその取り巻きは私たちの背中を追って来る。
「俺たちまだ、話してんだぜ?」
「私は話すことないから」
「HRサボって俺たちのことも無視? ハッ、何様だよ」
ドンっ! という音とともにあかりちゃんが前のめりに倒れそうになる。手を繋いだ私もそれに引っ張られてよろめいた。
「な、な、何をするの……っ!?」
目を剥いた。今この薄茶色はあかりちゃんの背中を蹴飛ばしたのだ。その靴跡が制服にくっきりと残っている。
あかりちゃんに蹴飛ばされる理由なんて何もない。訳が分からない、見下したような視線をこちらに投げる薄茶色たちを見る。
「『な、な、何をするの……っ!?』ってさ、ドモり過ぎだろ」
薄茶色が言って、取り巻きたちが笑った。
「お前、コミュ障? 社会不適合者ってやつ? ヤバくね?」
「ヤバいヤバい。マジでいるんだな。生で初めて見たわ」
男子生徒たちの笑い声が廊下に響く。
「お姉さんを悪く言わないでッ!!」
私の肩を引いて、あかりちゃんが前に出る。
「富田くん! 私のことは別に好きに貶したらいい! けど関係のない、お姉さんを巻き込むのはやめてッ!」
「真実を真実のまま伝えて何が悪いんですかー? 正義漢ぶってさぁ、ウザってぇよお前。なんつーか、寒い」
舌打ちしてそう言った薄茶色――富田に、取り巻きは「それな」と私たちを嘲るように笑って同意する。
(な、な、なんなんだ、コイツらは……!)
この傍若無人と言って過言ではないその振る舞いに、なぜ誰も止めに入らないのだろうか。その明らかな不自然さに、私は辺りを見渡した。
(お、おかしい……)
体操服を着た生徒たちが、教科書を小脇に抱えた生徒たちが、この狭い廊下を私たちを避けるようにして歩き抜けていく。
教師が呼ばれてやってくる様子もない。
誰も、何も見えていないかのように、こちらをチラリと一瞥することもない。
これじゃあまるで、この富田たちの蛮行が学校全体で黙認されているようじゃないか。
「そうやって優等生やってコソコソ内申稼いでさぁ、ズルいよなぁ」
富田はそのあと、親の仇でも見るように憎々しげにこちらをにらみつけて、それだけ言い残し背中を向けて去って行った。
「……ごめんなさい、お姉さん。巻き込んでしまって……」
「う、ううん。わ、私は、全然……」
あかりちゃんは先ほどまでの明るかった表情が嘘のように、暗い面持ちでそう言うと再び私の手を引いて歩き出した。その力はとても弱く、儚さを感じるものだった。
――富田。薄茶色の頭をした富田。
私はその名前を覚えた。
私は、その名前を、覚えた。
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