第16話 異常者と勇気

 我ながら、無謀なことだとは思っていた。

 考えのまとまらない頭で、それでも身体は動かして私は朝の準備を手早く整えると、玄関のドアを開ける。

 あかりちゃんは私じゃどうにもならないと、そう言った。

 そもそも何が問題なのかも教えてもらえていないのだから、あかりちゃんが悩む理由もさっぱりわからない。

 それでも、それを理解した上で私にできる限りのことは精一杯してあげたいという気持ちが、私の心の中でくすぶって止まなかった。


(あ、あかりちゃんには、元気でいてほしい……)


 両親を失ってからというものの部屋の中で1人惰性に生き、自殺未遂をしたそんな私にさえ、あかりちゃんは心配して優しくしてくれた。

 そんな彼女に私は心の底から報いたのだ。

 考えは何もない。ただ恩義に突き動かされるままに私はあかりちゃんの部屋の前まで行ってインターホンを鳴らす。

 ピンポーンと間延びしたチャイム音が鳴る。

 しかし、しばらく経っても部屋の中からの反応はない。

 もう一度押してみるも、同様だった。

 

(も、もしかして、もう学校に行っちゃった……?)


 かなりの意気込みで訪ねただけに、肩をがっくりと落として私は部屋の前から離れて1階へと降りていく。

 通学の時間にはまだ早いと思う位の時間なのに、もしかして意図的に避けられているのだろうか。


「あ……!」


 突然、正面から声が聞こえて顔を上げる。

 声の主は昨日あかりちゃんと言い合いになっていた女の子だった。

 視線は私に向いており、口を手で押さえている。

 どうやら私のことを見て声が漏れてしまったらしい。

 そんな反応に普段なら肩を狭めて素早く横を通り抜けるところだったけど、朝から勇気を振り絞ってきた今日の私は少し、いやかなり違った。


「あ、あ、あなた……あかりちゃんの……」

「へっ!?」


 恐らくこの女の子はあかりちゃんの同級生。つまり今の状況は、あかりちゃんの異変の正体を知る手掛かりが目の前にいるということだ。

 発揮されるべき場所で発揮されなかった私の中の勇気がくすぶって、私の臆病な面が抑え込まれる。

 何としてでもあかりちゃんの身に何が起こっているのかを聞き出したい一心に、私はヨロヨロとそのあかりちゃんの同級生と思しき女の子歩み寄る。

 緊張に息を「ハァハァ……っ」と荒くしつつも、頑張って声を掛けた。


「あ、あ、あの、き、ききき、聞きたいことが……!! ハァハァ……」

「ちょっ……何ですか、あなたは!? ち、近づかないでください!!」


 なんでだろうか、第一声で警戒されている気がしてならない。

 もしかして、緊張で声が上ずってしまっただろうか。


(お、おお、落ち着け、私……)


 意識して深く呼吸をする。

 新鮮な空気を取り入れて、代わりに緊張感を吐き出して胸の鼓動を落ち着ける。

 

「オエッ……」


 空気の吸い過ぎと緊張で横隔膜が痙攣し、えずく。


「ヒック!」


 しゃっくりまで出始めた。

 前傾姿勢のまま、女の子の顔色を窺うと……ダメだった。

 完全に引かれているのが分かる。笑顔を見せて警戒を解かなければならない。

 私は強張った顔の筋肉に強制指令を発動させて、頬を斜め横へと吊り上げる。なるべく自然体に、場を和やかにするようなそんなスマイルをイメージして。


「い、いヒヒヒッ! ヒック!」

「ひぃっ!!」


 不思議なことに状況を良くしようと頑張れば頑張るほどに雰囲気は最悪の一途を辿っていくようだった。


「私……!! 失礼します!! ゆ、友人の部屋に行くところなのでっ!!」


 そう言って私の横を通り抜けて、マンションの階段を昇って行こうとする彼女の腕を私は掴む。


「なっ……!? 何をするんですかっ!! は、離してくださいっ!!」

「む、むむむ、無駄だよ……ハァハァ……」

「無駄……って、なんで!?」

「あ、ああ、あかりちゃんは……も、もう……『いない』んだもの……ヒック!」

「――え……っ!?」


 この先の部屋に行ったとしても、もうあかりちゃんは登校してしまった後なのだから、この女の子が階段を昇っても無駄足になってしまう。

 そんなことで時間を割くくらいなら、今あかりちゃんの身に何が起こっているのか、知っていることを話して欲しかった。


「い、いないってどういう……」


 顔を白くする女の子に、私はニヤリと『フレンドリー』さを意識して「イヒッ」と微笑みかける。今度は蒼くなった。


「こ、ここ、言葉のままだよ。もう、『いない』の。だから行く意味なんてないから……そんなことするくらいなら私に教えて、あかりちゃんのこと。そ、そそ、それにあなたのことも……」

「……ぁあ、そんな……っ!!」

「だ、だだ、だから、教えて……?」

「いやよ……あかり、まさかこの人に……? いや……っ! そんなの……!」

「お、お名前……あ、あなたのお名前、教えて……?」


 うわ言を繰り返すような女の子の顔を覗き込むように、ニコォッと親しみやすさをイメージして浮かべた笑顔が最後の引き金だった。


「いやぁぁぁあああっ!! 異常者ぁぁぁあああっ!!」

「う、うわっ!?」


 女の子は私の腕を力いっぱいに振りほどき、私はその動作に身体を揺らされてマンションの壁へと倒れ込んだ。

 視線を元に戻すと一目散に駅の方面へと駆けていく女の子の後姿が見える。


「い、いったい何が……」


 私は貴重な情報源を逃がしてしまったことに俯きため息を吐く。


「……あ、あれ?」


 ふと地面を見下ろす視界に焦げ茶色の学校用のカバンが映った。


「さ、さっきの女の子の……」


 慌てて走り去っていったようだから、落としていってしまったのだろうか?

 多分、落とし物としては大きいものだからタイミングを見て、早いうちに取りに戻ってくると思う。

 だからそのままにしておいてもいいのだけれど。

 しかし、私はそのカバンを開けて中身を物色していた。

 

「あ、あった」


 お目当てはいつもの日課で盗んでいる財布ではない。

 私の手にあるのは学生手帳だ。

 先程の女の子の名前は『天野さくら』というらしい。

 しかし、私が一番に知りたかったのはそれじゃない。


「し、私立明野宮あけのみや高等学校……」


 このカバンの持ち主である天野さんとあかりちゃんは同級生。

 それならば、ここにあかりちゃんもいる。

 そうだ、落とし物を届けに行くという大義名分があるんだったら――。

 私はその学校用のカバンを手に持って、駅に向かって歩き出した。

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