吹雪の夜、君をのせて
鈴本 龍之介
吹雪の夜、君をのせて
これはある男の悲運か? それとも夢か?
この日、気温が氷点下まで下がりとても寒い夜だった。
「はぁはぁ……」
車とは鉄の塊である事を忘れてはならない。
「頼む……猪とか狸であってくれ……」
時に、それは人の生の幕を閉じてしまう。
車から恐る恐る降りてきた男は、都築 裕紀。
彼は何処へ向かっていたのか、何のためにここに来たのか、そんな事は人を轢いてしまえば関係ない。
「……嘘だろ、おい! 大丈夫か、しっかりしろ!」
意識がない、返事もない、呼吸もない。
この瞬間に彼は、人を殺してしまったのだと気づく。
こんな時、人はえらく冷静になる。
だが、この時代に携帯はない。
つまり誰にも見られていなければ、
誰にも言わなければバレる事はない。
そんな彼の悪事を神様は見ていたのか、気付かなければ良いものが視界に入ってしまった。
「何だこれは……?」
死体の右手には手紙が握られている。
しかし、死体からわざわざ手紙を取って読みたいだろうか?
その答えは簡単、隠されたものは見たいのが人間だ。
彼は死体の手を開き手紙を拝借する。
内容はこうだった……
田舎に住んでいた手紙の持ち主は、遠距離恋愛をしていた。今まで手紙のやり取りだけだったが、今回ようやく直接手紙を届けに行けるという内容だった。
死んでしまったのは年頃の女性。
一人の男性を一途に想うそんな彼女の命を奪い、そしてそれを待つ相手の気持ちも奪った。
彼は嘆いた……が、嘆いただけだった。
――2時間前
男女の別れとは様々な形がある。
「あなたは今まで何してくれた?」
「まあまあしてきたと思うけど……」
「まあまあ? あなたの申し訳程度のお給料で今までやりくりしてきてたけど、毎晩飲みに行きたいからとお金頂戴って言ったり、相談もせずに高い買い物をしたり、終いには今の会社をクビになったのに家でごろごろ。これでまあまあしてきたって言うの? あなた、私のために何にもしてないのよ」
「それは……」
「もういいの、ここにサインして。離婚しましょう」
「ちょっと待ってくれ!」
「もう待ったの、たくさん。それにもう待てないわ」
必ずしも結婚をした相手とは上手くいくとは限らない、相手が人間ならぶつかる事もある。
そうしてぶつかって壊れたのが、都築だ。
彼は度重なる失態を気付かぬうちに繰り返し、不満のスタンプカードを知らぬ間に完成させ離婚という賞品と交換してしまうことなった。
「これからどうしたら……」
失って気づくとはよく言ったもので、彼は意味もなく飛び出し車を走らせた。
何処へ行くともわからぬまま、山道へ。そして、事故へ。
――人の不幸とは、他の不幸を呼び寄せるのか?
都築には僅かながら、良心が残っていた。彼は轢いてしまった彼女の無念を晴らそうとこの手紙を届けに行く、自分への贖罪のために。
幸い彼女の鞄の中には地図があり、目的地であろう所には印がつけてあった。
ここしかない、ここでなくても届けなければならない。
それが彼なりの償いの仕方だったのだ。
死体を車の後部座席に乗せ、都築は車を走らせる。
おそらく場所はここから車で15分のところだが、今晩は酷く吹雪が強い。
これでは非常に困る。
なぜなら、手紙には待ち合わせ場所の他に時間が書いてある。迫る時間は後二十分。
こうして、都築と名も知らぬ少女の短い旅が始まった。
車を走らせること十分ほど、普段ならばもう目と鼻の先まで来ているはずだがこの吹雪の中では進まぬ。
離婚と人身事故の二つを一日でやってのけた都築は心の持ちようがわからない。
「俺、今日奥さんと離婚したんだ」
突然死体に語り出す彼は構わずに続けた。
「俺としては色々尽くしてやってたつもりだったんだよ。でも実際は何にも出来てなかったしむしろ迷惑だったんだなって」
相槌も打たれぬ静寂で彼は決意した。
「それで気づいたんだよ、俺は必要とされてないって。でも今変わらなきゃいけないって、君の手紙を届けに行かなきゃって誰かの役に立ちたいんだ……」
知らない間に流れていた。
頬を伝う涙は暖かかったが、冷たい彼女はもう戻らない。
嗚咽を押し殺して車を進めた。
吹雪はより強さを増しているが、お構いなしにスピードを上げる。
おかげで、予定よりも十分ほど遅れて目的地へ着いた。
地図では分からなかったが、どうやら待ち合わせ場所は喫茶店のようだ。
「今から君の代わりにこれを届けてくる」
都築はそう言って喫茶店へと向かう。
この強い吹雪、お客は帰りの心配をして早々に店を後にしている。残る客はおそらくこの手紙の受け取り人だ。
店のドアの鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
店主のその声よりも早くふり向いたのが一人の青年。
しかしその顔はどこか残念そうだ。
「遅いねぇ、その彼女さんは」
「ええ、この吹雪ですからちょっと時間がかかってるのかもしれないですね」
お呼びでないのは都築だ、店全体がそんな空気で充満してる。しかし、都築は彼女にならなければならない。
この期待をぶち壊して、二人を奈落の底に落としてやらなければならない。
「あ、あの……」
「注文かい?」
店主は仕事をするが用があるのは奥の青年だ。
「いや、そこの君……青木君かい?」
「何で僕の名前を……?」
「実は…………」
ここで正直に話すべきか、それとも彼の為に嘘をつくか。
都築は短い時間で一つの答えを選んだ。
人の役に立つ方と選んだのは……
「君に手紙をと頼まれたんだ」
正しいことを教えるのが彼の為と思いながら、保身に走ったこの男。変わりたいと泣いたのは嘘なのか?
ただ、自分に酔っていただけなんじゃないか?
「そうなんですか!」
喜ぶ青年が哀れで仕方がない。
俺は偉いことをしてるんだと言わんばかりに向かいの席に座る。彼はまだ変わっていない。
「でもなんであなたが……?」
少しばかり表情が緩やかになった青年を見てまだ嘘をつく。
「いやぁ、たまたま山道を通りかかったら人が倒れてたもんでねぇ。助けてあげたらこれを渡して欲しいって言われちゃって急いで来たんですよ」
「え!? 美保が倒れたんですか!!」
「え、いや、あの、きちんと家まで送り届けたから心配いらないよ」
こういう時の嘘は後先のことを何も考えていない。
「美保が心配だ……家を教えてください!」
「大丈夫だ、親御さんも心配いらないと伝えて欲しいと言っていた」
「そうですか……」
無事で安心した事と、デートが無くなってしまって複雑な思いが入り混じっていた。
相手が青年だったからいいものの、この男まだ自分が可愛いようだ。
「お客さん、コーヒーでいい?」
店主もどこか緊張の糸がほどけたかの様な顔をしながら注文を取る。
「この子待ち合わせ時間過ぎてからずっとソワソワしてて、見てるこっちが心配だったんだよ」
「こうやって誰かを誘うのは初めてなのでどうしても……」
「でも大丈夫そうで良かったじゃないか」
ここにいる全ての人が笑っている。
穏やかで心地良い幸せな空間になるのは何故なのか。
それはこの男が何事もなかったかの様に笑っているからだ。
しかし、誰もこの男が青年の彼女を殺してしまったなんて気付かない。なぜ青年が彼女と知り合ったのか、想像よりかっこ悪いと思われたらどうしようとか、今日という日を楽しみにして寝れなかったとか、まだまだ彼の未熟な部分を大人達が優しく包み込んで話を聞き入れる。
「本当は今日、この近くにある丘に星を見に行こうとしてたんですよ」
今日のデートは星を見に行くというロマンチックな青年の話に都築は、
「星っていっても今日のこんな吹雪の日じゃ星なんて……」
「吹雪なら止んでるよ」
店主が窓を指差した。
さっきまで視界も悪く星なんて見えないほどの吹雪だったのが、まるで嘘の様に止んでいた。
「天気予報では吹雪は止むといっていたのでちょうどいいかなと思ったんですけど、関係なくなっちゃいましたね……」
「そろそろ店締めるから男三人で星でも見に行くか」
デートの下見をしておけとでも言うような笑顔を見せる店主は何故こんなにも若者の恋を応援するのか?
そして都築の腹の底はどういう思いなのか?
答えは分からぬままデートの予行練習が始まるのだった。
落ち込んでいた青年の顔にも少しの光が差している様に見えるのは、月が出てきたからか。
「ここは知る人ぞ知る絶景スポットだ」
店主は誇らしげに自慢をし、他二人は幾多の星の輝きに言葉を失った。
「こんなにも綺麗なんですね」
「俺もまあまあ生きてきたけど、こんな絶景は初めてだ」
そして誰も言葉を発しなくなった。
言葉などいらない、目から入る光だけで自分はこんなに幸せなんだと感傷に浸る時間だ。
「これを美保と見れたらもっと幸せだったのかなぁ」
ロマンチックこの上ないデートだが、おそらくこの二人なら嫌味のないお似合いなデートだっただろう。
残念そうにしている青年に店主がある話をしだした。
「私はね、二十年前に妻を亡くしているんだ」
唐突なカミングアウトに返す言葉を探しているが、見つからない。それを知ってか店主は続けた。
「いいんだ、何も言わずに聞いてくれ。私は脱サラをして三十歳であの喫茶店を開いた。お客が来なくて辛いかもしれない、でも妻と一緒にいるのが幸せな私にとってこれ以上ない生活が始まると思った。けど、そのすぐ後に妻は事故で亡くなった」
店主の顔から涙が星の光に反射してきらり一粒落ちた。
「私は憎かった、とてもとても憎かった。相手を殺してやろうかとも思った。でもそれじゃあ妻は帰ってこない、悲しむだけだ。だから私は妻の分まできちんと生きようと決めた」
もう泣いてはいなかったが店主の顔は遠くを見ていた。
「つまりは何が言いたいかというと、愛するものは突然いなくなる可能性があるということだ。後悔することなくその人を幸せにしろという先人からのエールだ」
先ほどまでしんみりしていた店主の顔はただの気さくなおじさんの顔に戻り、青年は泣いていた。
しかし、この話を聞いて何か思わなければならない人間がもう一人いる。
「…………」
都築は何かを押し殺している様に見える。
自分が殺したせいで後悔する、しかも若い青年が。
店主の話は少なからず、彼の心に響いた。
ここで天は彼に味方をする。
「おー、流れ星だ」
「今日は流れ星が見える日だって聞いてデートに選んだんです」
「君もロマンチックだねえ……そうだ、流れ星と言ったら願い事だ。誰もいないみたいだしせっかくだから大声で叫ぶか」
青年もロマンチックだが店主も気を利かせて粋な計らいをする。
店主は肩をグルグル回しながら準備体操をし、
「まずは私から……彼の恋が上手く生きます様にー!!」
どこまでも人の良い店主は慣れない事をしたのか少し照れていた。
続いて、青年の番だ。
「よし、……彼女が運命の人であります様にー!!」
青年もまた顔を赤らめていた。
本音を大声で口にするのは恥ずかしい事だ。
だがすごく気持ちがいい。
そして最後は都築。
気持ちは固まったようだ。
流星に願いを込めて叫ぶ。
「……俺は青木君の彼女を殺してしまったー!!」
二人の顔が一瞬で真顔になる。
「君、そんな冗談は嘘でも言うもんじゃない」
さすがの温厚な店主もこれには怒りを表した。
しかし都築は続けた。
「いえ…………本当です」
声のトーンから本気だがまだ受け入れられない二人。
「う、嘘ですよね……?」
青年は顔が強張ったまま口だけを動かした。
しかし都築ははっきりとした口調で続けた。
「嘘じゃない、俺は君の彼女を車で轢いてしまった。妻に離婚を切り出されぼーっとしていたんだ。でもそれもこれも全部俺が悪い」
店主はまだ冗談だと疑っているが、都築が車の後部座席に乗せているそれを見せると納得せざるを得なかった。
「僕にも……僕にも見せてください……」
青年は幾ばくかの葛藤の末、導き出した答えなのだろう。
まだ会ったことのない彼女との最後の別れを望んだ。
「こんな、こんなに綺麗で透明感のある子だったんだ……手紙から想像していた以上でした。そうか……ごめん」
青年は泣いていた。目を真っ赤にして泣いていた。
「実は前に一度会わないかとやり取りしたことがあったんです。でも、僕の勇気がなくて……あの時会ってれば、あと一つ踏み出せればこうはならなかったですかね……」
誰に聞くでもない、青年は冷たくなった彼女を抱いたまま一人にしてほしいと言った。
都築と店主は車から離れ、話をする。
「あんた、死体を車に乗せて来るなんて頭おかしいよ」
「分かってます、あの時は頭が混乱して……でもあの子が持っていた手紙を渡さなきゃいけないと思ったんです。だから野ざらしにしておくのも可哀想だなと……」
「すぐに救急車を呼んでいれば間に合ったんじゃないのか」
「どうにもならなかったんです……俺が全て悪いんです」
「この後どうするんだ?」
「警察署へ自首しに行きます」
そう車へと向かう都築は青年にこう言った。
「君の大切な人を殺してしまった、それは本当に申し訳ないし謝っても謝っても謝りきれない。だから俺が刑務所から出てきたら何をしたって構わない、殺したって構わない」
都築は誠心誠意謝ったが、青年が返した言葉で気づかされる。
「謝られても困ります。一番悲しい思いをしてるのは美保なんです。僕に謝るよりも彼女に謝ってください。そして殺してやりたいぐらい憎いですけど殺しても美保は喜びません。だから精一杯自分のした事を償ってください、そうじゃないと美保が報われないです」
青年は都築がこれまで生きてきて自分がしてきた事がどれだけズレていたのか、自分が良いなら良いではない。
相手がいるなら相手のためを思って行動しなければいけない。
今までの独りよがりな人生にようやく気付いた。
「すまない……」
その一言だけしか出なかった。
「もうしばらく二人にさせてください……」
青年は彼女を抱きしめたまま泣いていた。
「昨日未明から行方が分からなくなっていた牧野美保さんが遺体で発見されました。警察によると、昨晩警察署に「車で轢いてしまった」と三十代男性が自首をしに来たことで事件が発覚したようで、男性を自動車運転過失致死の容疑で逮捕したということです」
取り調べを受けた都築は嘘偽りなく全ての事を話した。
こうして若い男女の恋を引き裂いた都築は拘置所へと送られる。一人になって全て話して心が軽くなった彼は、自分の人生をどれだけ無駄にしたのか、どれだけの人に嫌われていったのか初めて知った。
その晩、こんな夢を見た。
轢いてしまった彼女が夢に現れてこう言った。
「私は死んでしまって悔しいし悲しいけど、気にしないで。青木さんにあんなに愛されてたって知れてよかったから。そして、あなたが気づくきっかけになったなら私は人のためになれたのかなって思えるから。だからあなたもこれから誰かの為に死ぬ思いで愛してあげて」
寝ているはずの都築の頬を涙が伝う。
吹雪いていた彼の心の中は
少しづつ晴れ間が差し込んで来たようだ…
吹雪の夜、君をのせて 鈴本 龍之介 @suzunoto-ryu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます