第7話
「あー終わった…」
天使に襲われた日から、ちょうど2週間経った金曜日の午後。とうとう全ての教科の中間テストが終わった。
──何故だろう。あの日から、他人と過ごすことがそれほど苦じゃなくなった気がする。
最初はASCの面々とのやり取りで慣れたのかとも思ったが、どうもそうではない。以前は耳にも入らなかった同級生たちの雑談に、話しかける訳では無いが耳を傾けることが多くなったのだ。微塵も興味のなかったはずの流行り歌やドラマ、芸能人にも食指が動き、なんとなく見てみようかという気にさえなってくる。これはどういう変化なのだろう、琉生自身にもわからなかった。
「……まあいいや、帰ろう」
「遊ぶのは?」
「やっぱり来たよハイド、君背後から来るの好きだな」
およそ2週間ぶり、累計3回目の登場のハイドに、琉生はもう驚かなかった。
「というか本当に僕と遊ぶつもりだったのか…」
「当たり前じゃん、友達だもん」
「………え?」
友達。
生まれてこの方縁のなかった言葉に、琉生は思わず聞き返した。
「?どしたの琉生」
「え、友達…?誰が誰の?」
「アタシが琉生の」
「いつから???」
「アタシは琉生の友達だよ。ずっと、ずぅっと」
なんでもないように笑って言う彼女に、何も言えずに黙り込む。
「そんなことよりさ、何して遊ぶ?琉生の行きたいとこでいいよ!」
「行きたいところ…」
「……で、本当にここでよかったの?」
市立図書館という、おおよそ高校生が遊びという目的で来るところではないスポットに来て、琉生は聞く。
「琉生が行きたいところなんでしょ?ならいいよ。アタシも本好きだし」
「そうなの?」
「あ、今意外だなって思ったでしょ。これでもけっこう読んでる方なんだよー。あ、これ昔好きだったな〜!」
そう言ってハイドが棚から取り出したのは、児童文学コーナーの長編小説。
琉生もそれは読んだ覚えがあった。ドラゴンのいる世界で、主人公が色んな種族の仲間と旅をする物語。中学校の図書室で初めて見て、夢中で読んだものだ。
「それ、僕も読んでた」
「だよね、知ってる!あと最近読破したのは、洋書コーナーのー…これ!」
「ちょ、それ僕も読んだけどかなり難解な内容だったような…」
「うんうん、すっごく難しかった!でも全部わかった時のスッキリ感がすごくってー…」
ハイドは他にも色々読んだ本を挙げたが、それらはどれも琉生自身も読んだ、その中でも好んで何度も読み返した本ばかり。他人とここまで本の話で盛り上がることのなかった琉生は、思わず声を抑えるという図書館のルールを忘れかけるほどだった。
「…そういえば琉生、金曜日に古書店で見つけた古い本、読めた?」
「え…なんでハイドがそれを…?」
「いいから。読めた?」
本棚と本棚の狭間、琉生は少し不審に思いながらも、「……読めなかった」と答えた。
土曜日にASCから返却された本は、中身が真っ白になってしまっていた。千紗曰く、天使に触れられたことにより浄化され、白紙になってしまったのだろうとの事だった。元々表紙も色あせていたことから、縦書きだったのか横書きの洋書だったのかすら分からない。
「んー、そっかぁ…まあ読めてたらこんな2週間も苦戦してないもんな、自分の【物語】を知るのに」
「悪かったね勘が悪くて…でも、なんで自分の能力を知るために君の正体を推理しなきゃいけないの?」
「んー?さぁ、なんでだろうねー」
ニマニマ笑ってはぐらかすハイドを、琉生はジト目で見る。
ハイドは不思議だ。雰囲気は琉生と正反対なのに、趣味嗜好(少なくとも本の好み)は恐ろしいほど似ている。傍若無人かと思えば意外と大人しく、子どもっぽく拗ねたかと思えば時折慈母のように微笑む。なんとも掴みどころのない少女だ、と琉生は思う。
「…ハイド、っていう名前は、偽名なんだよね…本名は?」
「ん?うーん、生まれた時につけられた名前はあるんだけど、それは琉生たちからすればあだ名にしか聞こえなくて…でもハイドって名前は借り物で…うむむ、説明が難しい…」
「借り物?」
「うん。でも、上手くいったら本当にアタシの名前になるんだ」
「???」
頭上にクエスチョンマークを飛ばしていると、ハイドは「わからなくていいよ」と苦笑する。
「……ねえ、ハイド。君は──」
「ッ!!!」
ハイドがいきなり琉生をしゃがませ、頭を守るようにその上に覆い被さる。
何を、と問う間もなく、本棚が倒れてきて彼らの上にドサドサとハードカバーの厚い本が何冊も落ちてくる。
「天使だ!!!!」
誰かが叫ぶと同時に、静かな図書館が阿鼻叫喚の嵐と化す。
「っ…ハイド、大丈夫!?」
「アタシは大丈夫、普通の人間より丈夫なつくりしてっから。琉生は?痛いとこ、ない?」
「無い…けど、本棚動かさないと…!!」
琉生の目の前で、本棚がゆっくり元の直立に戻る。周りに大人はいない。琉生は動いていない。どう見てもハイドが立ち上がりながら背中で押し戻したようにしか見えないが、少女1人に動かせるほど軽いとは思えなかった。
「琉生、立てる?」
「う、うん…そうだ、ASCに連絡しないと…!」
琉生が立ち上がって携帯を取り出した瞬間。
「ASCなんて要らねぇよ。俺たちだけで十分だ」
天使の前に躍り出た男が、手に持った銃で天使2体を撃ち落とした。
呆然としている琉生の目の前で、男は天使の亡骸の一方、人間に戻ろうとしているそれを組み敷き、その頭に銃を突きつける。
「え、──ま、待て!!なんで人に戻ってまで撃つんだ!?」
「こいつが天使を召喚したからに決まってんだろ」
「でも、天使召喚者はASCでの事情聴取のあと、裁判を受けるんじゃ…」
「……小僧、お前ASCの奴か。イドじゃないならスタッフのバイトでもやってんのか?まぁそこはどうでもいいけど…
……お前ら、天使召喚者の再犯率がどんだけか知ってるか?」
琉生だけでなく、周囲の人間たちに突然の投げかけられた質問に、琉生は眉をひそめる。答えがないのを確認し、男は4本指を立てた手を掲げた。
「約4割だとさ。10人ムショから出たら4人またやるんだ、しかもそのうち3人が刑期未満で脱走している。ならそんな生ぬるいこと言ってねぇで殺しちまった方が後が楽だろうが」
「そんな…っ」
理屈ではそれも正しい答えかも知れない。だが、そんなことは人道的に間違っている。でも目の前の男は本気だ。言葉で止めるのは難しい、けど今から走って組み付くのは体格差的に叶いっこない。どうすれば、どうすれば。思考がぐるぐると巡る。
「……琉生は、どうしたい?」
ハイドの一声が、琉生の頭の中の霧を晴らした。
「答えて。『理屈や倫理』じゃなく、『衝動』で。アタシがそれに応えるよ。
琉生は、どうしたい?」
ハイドの言葉が、頭の中を滑っていく。意味は理解できないのに、その言葉が、常識に囚われ弱くなった自分の中の衝動を呼び覚ます。
「……あいつを止めたい」
ハイドは返事の代わりににんまりと笑った。
──その笑顔を最後に、琉生の視界は暗転する。
「──……おい。おい、起きろモブ顔」
目を覚ますと、琉生は不機嫌な瑞姫に見下ろされながら、図書館の床に転がっていた。
「ったく、反社会的勢力と謎のイドが戦ってると聞いて来てみれば…またてめぇは寝てやがったのか」
「反社会的勢力…謎のイド……っ、そうだハイド!!雪代さん、その謎のイドがハイドです!僕を助けてくれて、それで…そうだお礼しなきゃ、あの子はどこに!?」
「落ち着け寝坊助。それらしき奴はここにはもういねぇよ」
「そんな…」
その言葉に、琉生は目を伏せる。ふと自分の手を見れば、右手をついた下に何か本が落ちていた。
その本の名前は、『ジキル博士とハイド氏』だった。
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