第5話

 政狩山。

 標高は比較的低く山道もなだらか。緑も多いため、気候が穏やかな時期は子ども連れやお年寄りがハイキングに来ることも多い。

 だが、麓にわずかだが理想郷の壁がかかっており、そのせいで10年前から客足は減少している。


「丸太橋、熊澤!!っ…くそ、天使どもめ…!」


 消防隊員の金森は、噴水ホースに足をとられ転びながらも、天使を睨みつける。

 火は無事に消せたものの、突如現れた天使に消防車を横転させられ、同僚2人が目の前で天使にされたのを間近で見せつけられ。今や5体の天使に囲まれてしまっている彼は、文字通り八方塞がりの状態にある。


「誰が天使になんかなるかよ…お前らなんかただのエイリアンだ、侵略者だ!そんな奴らに人間をどうこうされてたまるかよ!!」




「腰抜けが何言ってんだか。だが、よく言った」


 金森の目の前から、1体の天使が吹っ飛んだ。


「え…?」

「『光り輝く乙女の剣よ、この手に。……ヴォーパルソード!』」


 次いで、詠唱と共に剣を持った少女が天使を一刀両断する。


「もう大丈夫だよ、お兄さん。あとは私たちに任せて」


 自分の身の丈ほどある剣を軽々と振るって笑う少女と、対照的に仏頂面の男。その背後で、天使2体が地に伏す。

 男に蹴り飛ばされた1体は、そこから身体中にボコボコと紫斑ができ、もがき苦しみながら腐り落ちていく。

 少女に斬られた1体は、縦に両断されてなおもたもた動いていたが、やがて動かなくなった。

 天使の亡骸はやがて光を帯び、粘土細工が形を変えるように、やがて2人の人間に戻っていった。


「…どっちも人間だったらしいな」

「お兄さん、天使になった人はまだいる?」

「あ、も、もういません!」

「わかった!」






「…いや、無理だこれ」


 天使3体vs瑞姫と有栖の戦いっぷりを見て、琉生は立ち尽くしてしまった。


『まあ仕方ないよねぇ、あの子らの戦いに一般人が入るのは無理って話だ』


 右耳の小型インカムから、呑気な千紗の声が聞こえる。非戦闘員の千紗は、インカムと自動追従ドローンカメラを通じてオペレーターを務めるのが主なのだそうだ。

 と、そんな話をしている間に、あっという間に1体、2体と天使が倒されていく。


「ASCの人たちの実戦…すごいですね…」

『うんうん、すごいだろう?特にみーくんのあれ、エグいよね〜。流石【女王様】だ』

「女王様?」

『そう、みーくんの本の虫は白雪姫の【女王様】。毒霧を纏ったり、接触して毒を注入したりして天使を倒す。

 アリスは文字通り【不思議の国のアリス】。あの子が空想したことは本当になる。もちろんあまりに激しい現実改変はリスクがあるけどね。…って、るいるい危ない!!』

「っ!?」


 視界の端に白いものが見え、琉生は反射的に身を翻す。残り1体になった天使が、猛スピードで逃げてきたようだ。


「ぼさっとすんなモブ顔!死ぬぞ!!」

「す、すみません!!……あれ…?」


 瑞姫の怒号になんとか返事をするが、ふと違和感を感じる。




 ──なぜ天使は、琉生の元に飛んできたのに、琉生に手を出さなかった?




「……もしかして…」


 琉生は、意を決して走り出す。


『ちょ、るいるい!?』


 それと同時に、天使がまたも瑞姫たちを離れてどこかで飛んでいこうとする。その先には、今しがた天使から人間に戻った2人と金森が逃げ込んだ消防車の陰。


「っ、しまった!!」

「私が行く!…え、琉生!?」


 丸腰で天使の行く先に飛び込んだ琉生に、有栖は目を見開く。


「やめろぉおおおおお!!!!」


 天使から3人を庇うように、琉生は天使の前に躍り出る。イドでさえ丸腰では取り込まれるだけだと言うのに、あまりにも無謀。誰もがそう思った。


 ……だが、天使は琉生に触れることなく、ピタリとその動きを止めた。


「…………やっぱり、僕を取り込もうとはしないんだな」


 息を切らし、脚を震わせながらも、まっすぐ天使を見据えて琉生は言う。


「…今のあなたは【空の蛹】。我々に最も近しい人類ですから」

「空の蛹…?それはどういう……っ!」


琉生の質問に答えることも無く、天使は強い風を起こしながら羽ばたき、壁の向こうに逃げていった。











「本部からの指示は、めい姉さんの検査結果を伝える前なのに上が独断で出したやつらしいよ。今姉さんが上司に向かって烈火のごとく怒ってるって。ハゲジジイざまぁだわー」


 本部からの電話を切って、千紗が愉快そうにケラケラと笑って電話内容を伝える。


「そうかよ」

「ほぇー」

「いやホントに死ぬかと思いましたからね…はーつら…」


 支部長のくせに興味なさげな瑞姫と、子どもゆえよくわかってない有栖に代わり、げんなりとした琉生が応える。


「でも、【空の蛹】か…初耳の言葉だね。るいるいの体質含め、これは更なる調査が必要になるねぇ」

「となると、やはり現場で直接天使と対話を試みる必要もあるだろうな」

「そうなっちゃうねー」


「…と、言いますと……」


 琉生が恐る恐る声を上げると、瑞姫が人の悪い笑みを浮かべて答える。


「決まってんだろ、また戦場に駆り出されんだよ。せいぜい頑張れやモブ顔」

「大丈夫大丈夫、私も琉生のこと守るから!」

「ドンマイ、るいるい!」


 ASC日本S市支部休憩室に、大きな大きなため息が響いた。

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