第3話

「そ、それってどういう…僕はその【イド】というものではないんですか?」


 いきなり明かされた事実に、琉生は困惑する。


「簡易の検査結果ではそうなるな。だが居合わせた通行人の証言によれば、ちょうどお前が倒れていた位置から黒い巨大な獣のようなものが出現し、天使を喰い殺したとのことだ」

「…覚えて、ないです。本に触ったら、黒い蝶が出てきて…そこから、記憶がなくて」

「…まあいい。それに関しては後日改めて詳しい検査を行うとして、もう今日は帰ってもいいぞ。それと、お前には今後ASCの監視下に置かれてもらう。理由は言わずもがなだ、異論は認めない」

「は、はい…」


 と、瑞姫が話を切り上げようとしたその時。


「ちょっと待ったー!!!!」

「!?」


 扉を蹴破るほどの勢いで、一人の女が飛び込んできた。


「酷いじゃないかみーくん!こんな面白い子を私に紹介しないなんて!!白紙ブランクノートになっても人間の意識を保っているなんて相当のレアケースだよ!?」

「てめぇに紹介する必要はねーだろ引きこもりクソビッチ」

「はじめましてるいるい、私は神永かみなが 千紗ちさ!いつも贔屓にしてもらってる神永古書店の娘で、ラプンツェルのイドだよ!!」


 勢いと唐突に付けられた『るいるい』なる珍妙なあだ名に気圧されながら、琉生は「よ、よろしくお願いします…」と握手を交わした。ラプンツェルの名に相応しく長く艶やかな栗色の髪にシックなロング丈のワンピースと、見た目だけ見ればお淑やかな深窓の令嬢といったところだが、先程からの言動が全てを台無しにしているような気がする。


「あの、ところでブランクノートって…?」

「ああ、天使に人間性を抜き取られて、なおかつ完全に天使化していない状態を私たちはそう呼称しているんだ。白紙状態の人間は皆一様に自我を失って、生命活動を放棄して死んでしまうのだけれど…だ・け・れ・ど!君は何故かそうではない!きちんと自分で考えて喋って、動いて、息をしている!!これは日本で、否、世界でもきっと初めてなことなんじゃないかな!?ねえねえみーくん、この子もう予定ないでしょ?ちょっと敷地内を案内していいかな?かな?」

「おーおー勝手にしろ」

「ねえ瑞姫、私も行っていい?」

「……昼までに食堂」

「はーい!」

「おっ、両手に花だねぇるいるい!それじゃあ行っくぞー!」

「おー!」

「えっ、あ、はい!?」


 返事もしてないのにトントン拍子で施設見学が決まり、琉生はあれよあれよという間に引きずられていってしまったのだった。






「案内とはいっても、そんなに広いところじゃないんだよねー。M県自体そんなに都会じゃないから、人員も少なくって。あ、ここがシュミレーションルームね。ホログラムを使った天使との仮想戦闘訓練ができるよ!今は…あー、使用中みたいだ。この激しい打撃音はハナビかな?」

「ハナビ…?」

赤嶺あかみね ハナビ、『赤い靴』のイドだよ。ダンスと戦いが大好きなんだけど…能力の影響で体の制御が効かないから、ちょっと心配」


 分厚い自動ドアに窓はなく、中の様子は窺い知れない。だが、十分に強度もあるであろう壁越しにも感じられる衝撃と音からして、どう考えても生身の人間に出せる音ではなかった。


「と、止めなくてもいいんですか?」

「まあ監視員が止めてくれるでしょ。…っと、噂をすれば」


 プシュ、と音を立てて自動ドアが開き、中から背の高い女が現れる。ひっつめ気味に後ろで束ねた長い黒髪に、スポーツブラとスパッツといった女性らしさの薄い見た目だが、その引き締まった体と切れ長の目からは、歴戦の女戦士にも似た凛とした美しさがあった。

 だが、何より目を引くのは、彼女の脚だろう。ハナビと呼ばれた彼女の両脚は、膝の上からメタリックレッドの機械的な義足となっていたのだ。


「おっつーハナちゃん!今日は義足ぶっ壊れなくて良かったねー」

「そのダサいあだ名なんとかなんないの?……ん、誰そいつ。新入り?」

「うん、ちょっと訳ありで即戦力じゃないんだけど、一応施設見学だけでもと思ってねー」

「ふぅん…。…あんた、名前は?」

「あ、し、敷辺 琉生です!よろしくお願いします…」

「……」


 じっと見つめられ、琉生は思わずたじろぐ。なんとも目力のある瞳だ。吸い込まれそうだ、とも思ってしまう。

 数秒の沈黙の後、ハナビはすっと口を開いた。


「ヒョロい」

「えっ」

「運動嫌いなの丸わかりだわ、実戦までに鍛えなよ。ま、とりあえずよろしく」


 言いたいことだけ言い切ったという顔で、ハナビはそのまま歩き去っていった。


「………」

「ごめんね琉生、ハナビああいう人なの…」











「…ASCには、色んな人がいるんですね」


 ひと通り施設を見て回ったあと、休憩に立ち寄ったレクリエーションルームのベンチに座り、無邪気に遊ぶ子どもたちを眺めながら琉生は言う。あんな小さな子どもたちもイドなのだというから驚きだ。


「たしかに年齢層広いよねー、定年前のおっちゃんからあんなロリショタまで…」

「いえ、それもあるんですけど……個性的な人達ばっかりで」


 琉生の言葉に、千紗と有栖は顔を見合せ笑う。


「そうだねぇ。イドは個性の力だから、みんな個性がいっぱいなんだ」

「とりわけこの国では、小さい頃から個性を抑えつけてあれはしちゃダメこういう子になりなさいってガミガミうるさい学校なんてものがあるじゃない?イドは個性や個人を侵されると、より力を増す。だから日本は他の国よりイドの数は少ないんだけど、個人の力が強力な傾向にあるのだよ」

「なるほど…」

「引いたかい?」


 千紗に顔を覗き込まれ、琉生は目を伏せる。

 たしかに、ここの人達はみんな、社会から見た『普通の人』からはかけ離れている。普通を謳う者たちから爪弾きにされたり、普通に馴染めず自分から孤立していったりした人達ばかりだ。

 だが、個人個人の小さな諍いはあれど、叩きあったり除け者にしたりといった姿はどこにもない。みんな適切な距離感を保って生きているのだということが、彼らの生き生きとした目から見て取れた。


 ……僕なんかより、彼らの方が生きているように感じる。


「…だいじょうぶだよ」


 はっと顔を上げると、有栖が目の前に立っていた。


「普通じゃなくていいんだよ。みんな違って、みんないいんだよ」


 そう言って微笑む、自分より年下の彼女に、琉生は羞恥からか何も言えず黙り込んでしまった。











「琉生!おーい、琉生ー!」


 昼前になって、ASCから帰ろうとした琉生を、背後から誰かが呼んだ。有栖でも千紗でもない、聞いたことの無い少女の声だ。


「なーなー琉生ってばー」

「うわぁ!?」


 返事をせずにいると、不意にガバッと背後から覆い被さるように抱きつかれ、琉生は大袈裟に声を上げて驚いてしまう。


「あはっ、良かったー気づいてくれて!久しぶり、琉生!」


 にぱっと嬉しそうに笑う少女に、琉生は酷く戸惑った。久しぶりと言われたが、琉生には彼女に顔に見覚えが全くなかったからだ。

 薄茶の無造作なロングヘアに色素の薄いヘーゼルのつり目、他校の制服と思しき丈の短いプリーツスカート。どれも身に覚えがない。何より、自分にはこんなに親しく笑いかけてくれる友はいないはずなのだ。


「え、えっと…どちら様でしょうか…?」


 琉生の一言に、少女は一瞬傷ついたように今にも泣き出しそうな顔をしたが、俯くと何でもなかったかのようにパッと手を離した。


「あーあ、やっぱり忘れちゃったかー。ひっでぇなー、あんなにそばにいたってのに」

「いやほんとにごめん、僕小中高はおろか保育園でも友達らしき友達はいなかったから。あとキャッチも宗教勧誘も結構なんで」

「そういうんじゃないっつの、ばーか。…ま、わかってたよそれくらい。アンタにとってアタシは要らないものだった、そういうことだ」


 棘のある、しかしどこか悲壮感のある物言いに、いくら身に覚えがないからといっても罪悪感を感じてしまう。


「とまぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。琉生、知りたい?自分の【物語】が何なのか」

「!」


 何故会ったばかりの彼女がそんなことを知っているのか。疑問に思ったが琉生はそれに食いつかずにはいられなかった。


「でも、タダでは教えてやれないな。アタシがヒントをやるから、自分で考えな?

 早速最初の手がかりだ。次の3つを思い出せ、そうすれば自ずと自分の物語が見えるだろう。

 ひとつ、自分の本来の性格。

 ふたつ、アタシが誰なのか。

 そしてみっつ、…自分が過去に捨てたもの。

 制限時間は今日を含めて100日。それまでいくらでもアタシに質問してくれていいし、何度でも解答していい。ただしそれを過ぎれば……さてどうなることやら。まあせいぜい頑張ってくれよ?」

「ま、待って!!」


 路地裏に消えようとする少女を、琉生は震える声で呼び止めた。


「……君の、名前は…?」

「…………アタシは『ハイド』。本当の名前じゃないけど、今はハイドだよ」


 じゃあまたね、琉生。

 ハイドと名乗った少女は、今度こそ薄暗い路地裏に消えていった。

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