第2話

 寝すぎたことによる頭痛に悩まされながら、琉生は現れて早々悪態をつく目の前の男を見上げる。

 見た目だけ言えば、とんでもなく整った顔の男だと思う。黒檀の髪に紅い瞳、そして何より雪のような白い肌。おまけに背もすらりと高く、均整のとれたまさに美貌の持ち主だろう。……未成年の前で煙草をふかし、初対面の人間に冷たい目と言葉を向ける人間でさえなければ、だが。


瑞姫みずき!調査は終わった?」

「ああ、現場の近くで天使を召喚した人間がいたらしい。チッ、これじゃあ何のために壁があるかわかんねえだろが……そこのモブ顔も、何ぼさっとしてる。ついてこいっつったのが聞こえなかったのか?」

「…えっ、モブ顔って僕ですか!?」


 驚愕の声を上げる琉生をスルーして、瑞姫と呼ばれた男は部屋を出てスタスタと歩き出してしまう。


「え、えぇー…?」

「ごめんねお兄さん、瑞姫ってああいう人だから…行こ?」

「う、うん…」






 瑞姫の後ろを数歩遅れて有栖と琉生は歩く。着いた先は『会議室』と印字されたプレートのついた扉の前だった。


 瑞姫が扉を開けると、その先には青空と草原、そしてお茶会のセットがあった。

 冗談ではない。綿雲の浮いた澄み渡った青い空の下、そよそよと風に揺れる緑の草原。そのど真ん中にフリルのテーブルクロスがかかった白い丸テーブルがあり、3人分のティーカップやポットが置かれている。3段のケーキスタンドには下からサンドイッチ、スコーン、ケーキが並べられた徹底っぷりだ。とても屋内とは思えない。もちろんVRや書割でもなんでもないのだ。


「……えぇええええええええええ!?」


 思わず盛大に叫んでしまった琉生を余所に、瑞姫は冷静に扉をそっと閉じる。


「……有栖、イタズラはよせ」

「え、朝のティータイムじゃなかったの?ごめんなさぁい」


 何故か怒られて謝る有栖に困惑していると、瑞姫は閉じた扉をもう一度開く。するとそこはもうごく普通の長机と椅子が並んだ会議室だった。


「え、え?えぇぇ…???」

「何をグズグズしている、座れ。時間が惜しい」

「アッハイ」


 琉生は促されるままに席に着く。向かい合わせるように座った瑞姫と有栖のオーラは、有栖はともかくとしてさながら圧迫面接のようだ。


「…形式上、挨拶だけはしておこう。天使討伐隊S市支部隊長の『雪代ゆきしろ 瑞姫』だ。こっちのは隊員の『雪代 有栖』」

「よろしくねぇ」


 差し出された名刺を見て、「瑞に姫とか女みたいだなぁ」と心中で思ったのが相手に伝わったのか、一気に不機嫌になった瑞姫が「言いたいことがあるなら言ってみやがれモブ顔」と睨みつける。整った顔で睨まれるのはやはり迫力が違うなと、琉生は少し震え上がりながら「なんでもないです」と答えた。


「お前のことは勝手ながら調べさせてもらった。

 敷辺 琉生。星峰せいほう高校普通科の2年。家庭環境は両親が多忙で留守がちなこと以外は至って良好。ただし友人と呼べる親しい人間は0。真面目だけが取り柄でコミュ力皆無の社会不適合者予備軍」

「ぐはぁっ」

「まあそれはどうでもいいんだが。…さて、敷辺。お前は天使についてどれだけ知っている?」

「天使について、ですか?…一般常識程度ですよ。

 10年前に地球外から飛来してきた謎の生命体だということ。独自の社会を築き上げ、そこは俗に【理想郷】と呼ばれること。…人間を自分たちと同じ天使に作り替えて、被害者総数は世界人口の過半数にまで及ぼうとしている、ということ」

「なるほど、驚く程に一般常識だけだな。なら、【本の虫】については知らないな」

「本の虫?本を読むことが好きな人を指す慣用句、ですよね…?」


 琉生の恐る恐るの返しを、瑞姫は「この文法で慣用句の話だと本気で思うなら国語のテストは0点だな」と切り捨て言葉を続けた。


「…6年前、天使にされた自衛隊員のうちの1人が、理想郷から帰ってきた。同様に行方不明だった他の一般市民13人と、1匹の黒い蝶とともに。

 隊員曰く、天使になったあと『とある本』を読んだら人間に戻れたということだった。他の市民達は隊員のあとに同じ本を読んで同様に人間に戻れたのだそうだ。

 そして、隊員が連れた黒い蝶。それは隊員の体に取り付くと不思議な力を奮い、襲い来る天使を次々打ち倒したのだという」


 本。黒い蝶。それらの現象に、琉生は覚えがあった。


「天使は非社交的、犯罪者・もしくは犯罪者予備軍、不健全な心を持つ者、果ては人間誰しもが少なからず持っている個性や自意識といったものを嫌う。それを取り除き、仲間に引き入れていくのが奴らの所業だ。

 対して物語というものは…というよりそれを書く人間は、個性や非社会性の塊だ。そんなものに触れて理解してしまった天使は、天使ではいられなくなる……というのが、奴らの行動や発言から推測される天使の性質だ」

「そして、物語をしたためた書物から生まれる、文字の塊で出来た黒い蝶。それが本の虫。この子達は、自分を目覚めさせた人の個性を引き出し、それから連想させられる不思議な力を与える…そんな力を持っているの。

 この本の虫の適合者【イド】を発見して保護して、訓練・研究して、天使を打ち倒す討伐隊としてまとめ上げる…それがASCのおしごと。ちなみにさっきこの部屋がお茶会仕様だったのは、わたしの能力のせいなのよ」


 有栖は指に留まった黒い蝶を琉生に見せる。その蝶の羽は、たしかによく見るとたくさんの文字が折り重なって出来ていた。


「へぇ……って、そうだ!たしかあの日、その蝶が──」

「言わなくても分かってるっつの。…昨日の午後4時45分、神永かみなが古書店でお前は天使と邂逅したはずだ。だが、俺たちが現場に急行した時、そこには本を抱えてグースカ寝るお前と、天使の亡骸があるだけだった。考えられることはただ一つ、お前がイドとして覚醒しているということだ。それなのに、検査ではお前の中からは何も検出されない。今のお前からは、本の虫との繋がりが見えないということだ」


「……え?」

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