正邪の秤
勿忘草。
第1話
授業終了を知らせるチャイムが学校中に鳴り響く。
終わった終わったと伸びをする者、部活に急ぐ者、土日どこかへ遊びに行こうと友人と楽しそうに計画を立てる者。多種多様に青春を謳歌しているクラスメイトたちを横目に、少年──
友達は要らない。誰かと心を通わせ合うには、自分を砕いて相手の型に嵌らなければならない。そうするのがひどく煩わしく思われるほど、自分の心は堅すぎる。琉生は常日頃そう思って生きている。
どうして自分は他と違うのだろうと思い悩むこともあった。だが、他人に合わせていくうちに、自分がじわじわ死んでいく気がして。それがあまりにも苦痛で、独りになることを選んだのだった。
──宗教戦争然り、人種差別然り、人間は多様性の生き物なくせに、多様性を嫌う。そんな人間が嫌いだ。そして、多様性だけを主張して周りに溶け込めない自分も、大嫌いだ。
「……あの壁の向こうの世界と、こちら側の世界、どっちが正しいんだろう」
ふとそんなことを思い、琉生は青い空を切り取る白い壁を見つめた。
西暦2×××年。
10年前、突如飛来してきた謎の知的生命体【天使】。彼らは人々から非社交性、悪性、不健全な心を、果ては個性を取り除き、仲間に引き入れていった。被害者は年々増え続け、総数は実に世界人口の過半数にまで及ぼうとしている。
天使たちの世界は争いも諍いも無く、見事に調和が取れている。一見すれば理想郷にも見えるだろう。現に、その理想郷を求めて自ら天使たちの餌となった者も少なくない。各国に残された人間たちはこの壁に囲まれたコロニーの中で暮らしている。
ここはM県S市。天使に半分食い潰された日本に残された領土の最西端にして、防衛の最前線に近い場所。
帰り道の途中にある行きつけの古書店に立ち寄ると、店先に本が並べられたワゴンがあった。ワゴンのPOPには『処分品です。外見の損傷は激しいですが、中身は無事ですので、よろしければご自由にお持ち帰りください』との文字。この店で不定期にやってる小さな催しだ。琉生も小さい頃、ここで古い絵本を無料で貰ったことがあった。
ワゴンを覗き込むと、例に漏れず装丁が古く色褪せや箔押しの剥げが目立つものばかり。だが絵本や洋書、百科事典など、本が人一倍好きな琉生にとってはどれも魅力的なものばかりに見えた。
ふと琉生は、その中にあった一冊を見る。
「……?」
その本は本来高級なハードカバーだったのだろうが、他のどの本よりも色褪せと文字剥げが激しく、題名が全く読めなくなってしまっていた。それなのに、琉生はその本が気になって仕方がなく思えたのだった。
「なんの本なんだろう…」
と、表紙を開いてページをめくろうとしたその時だった。
「個性…人間性は、悪性です」
男とも女とも、年齢の判別もつかない声に振り返ると、いつの間にか背後に奇妙な男が立っていた。顔はのっぺりとした白い仮面に覆われ、髪も服も靴まで、全てが白で統一された、なんとも不気味な男だ。
困惑する琉生に、男は構わず続ける。
「物語というものは、人間性が詰まっているから面白い。故にそれを読んで人間性を理解したものは、天使ではいられないのです。
悪性は浄化し、天使にしなければいけません」
男は仮面に手を掛け、おもむろにそれを外す。
みるみるうちにその肢体は膨れ上がり、背中からは白い大きな翼が生えていく。目の前の人間の形が、歪な──しかしどこか神聖なものに変わっていくありさまを、琉生は呆然と見つめていた。
「天使だ!!!!!!」
通行人の誰かが叫び、はっと我に返る。
今目の前にいるのは、2メートルほどもある巨大な哺乳類の胎児にも似た体に、その倍ほどはあるであろう大きな翼を生やした、人類共通の脅威【天使】だ。
捕まれば、自分が自分でなくなる。
ぞくりと背筋が粟立ち、背後にすぐ本棚があることを忘れて後退りする。
前方には天使、背後は壁、自分は特殊部隊でもなんでもない一般人。
(終わった……!!)
諦めかけたその瞬間。
バサッ パラパラパラ…
手から取り落として地面に転がっていたあの古びた本がひとりでに開き、物凄いスピードでページを捲り始めた。
目の前の天使に対する恐怖も一瞬飛び、琉生はその様子を唖然と見つめる。
「…なんだ…?」
「な、そ、それは…いけません!【イド】の覚醒は阻止しなければ!!」
狼狽した天使の声と同時に、本の隙間からふわりと黒い蝶が飛び立つ。その行方を目で追ううちに、琉生の意識は遠のいていった。
琉生が次に目を覚ましたところは、知らないベッドの上だった。
「……ここ、は…?」
「わぁ、目を覚ましたんだねぇ」
横からゆったりとした、鈴のような可愛らしい少女の声が聞こえてそちらを見る。すると、ベッドの横の椅子に一人の少女が座って本を読んでいた。
「よく生きてたねぇ、いい子いい子」
クリアブルーの瞳をたたえた丸い目を細めて笑う少女。ショートボブの金髪に黒いリボンカチューシャ、水色のエプロンドレスと、その姿はまさに『不思議の国のアリス』のアリスそのものだった。
「…君は誰?ここはどこ?」
矢継ぎ早な質問にも嫌な顔一つせず、少女は答えた。
「私は
「あ…アスク?」
知らない単語に首を傾げると、カツカツと高く靴音を立てて新たな人物がやってくる。
「
……起きたならさっさとベッドから降りろ。そして着いて来い。異議は聞かんぞ」
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