KILL YOU LOVE YOU

さとし

KILL YOU LOVE YOU

「逆光越しの憧憬」




 心身のコンディションは絶好調だった。

 葛木彩佳(かつらぎあやか)は、静かに深呼吸をした。

 十分前のアップ・トレーニングが怖いぐらいに身体をほぐしてくれた。いや、そもそも此処一週間の練習の成果が、如実に実感できている。

 ようやく、身体が「覚えて」くれた。それに伴う向上心と達成感が、後押ししてくれている。


 正方形に整えられた「リング」。その四方を囲む転落防止用のロープ。

 中央のニュートラルコーナーから数歩ほど離れた場所に、二人の女性が対峙していた。


 青コーナー、葛木彩佳。身長158センチ、体重48kg。茶髪のセミロングヘアをアップサイドにヘアゴムで纏めた、髪型。

 年齢、21歳。そして、伏目。


「いい表情だね、彩佳」


 赤コーナー、つまりは上位の「選手」が位置する所に、月江恵美(つきえめぐみ)はにっこりと笑いながら話しかける。

 身長162センチ、体重51kg。金髪のショートヘア。

 年齢、22歳。無垢な子どものような、きらきらとした目で葛木を見つめている。


 二人は頭にヘッドギアと、両手にオープンフィンガーグローブを。服装はスポーツブラに、身体にフィットした紺色のショートパンツと五分丈のレギンスを重ね着していた。

 お互いに色やメーカー、細かいところで仕様は違っている。


「馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれますか、月江さん」


 葛木は月江に対して、冷たく言い放つと睨みつけた。

 月江恵美。

 夕方は総合格闘技ジム「小百合」の会員。日中は、高齢者向けのデイサービスで働く支援員。

 学生時代は野球に打ち込んでいただけあって、その身体は筋肉質というべきものだった。

 十字に割れた腹筋。華奢ながらも、鍛え上げられた両腕の筋肉。まさしく、スポーツマンにふさわしい肉体。


 一方の葛木は、月江と同じ職場で働く「同僚」だった。年の差一年の先輩と後輩。

 スポーツは陸上部で長距離走を。それなりに体力は自信があるが、目の前に居る月江とは雲泥の差、というべき経験が出ている。


「1ラウンド5分だ」


 ニュートラルコーナーに審判兼小百合のインストラクターである、大森(おおもり)が葛木と月江にルールを説明する。


「ほら、彩佳。待ちに待った模擬戦よ。笑顔、笑顔っと」


 月江はクスクスと笑いながら、葛木の苦言を気にせず呼びかける。


「――」


 清廉潔癖が信条の葛木にとって、何事にも野暮で向こう見ずな月江は「大分」苦手なタイプだった。

 先輩の勧め――というよりかは、強引な勧誘で小百合に通うことになった葛木にとって、この練習試合。それはまさしく、願ってもない舞台だった。


 葛木は月江を睨みつけながら、アップサイド――両腕を胸元の高さまで上げた――で構える。それを見た月江もまた、同じ構え方をした。


「fight!!」


 準備が整った二人を見た大森は、試合開始の掛け声を出す。同時に、ゴングが鳴り響いた。


 先手を仕掛けたのは、月江だった。

 摺り足の要領で、大きく右足を前へスライドさせながら、葛木の顔面に向かって右ジャブを繰り出す。

 

「うっ」


 葛木は顔を逸らすものの、月江の先制ジャブに対処できずにグローブが頬を掠りながら当たってしまう。

 思わず呻き声を出しながら、追撃を仕掛けてくる月江に対して数歩、下がる。


「月江、前に出て。下がっちゃダメ」


 リングの下で、アドバイスを送っているインストラクターのアドバイスが薄っすらと聞こえてきた。

 距離を取る葛木に、月江は左足を大きく突き上げる。爪先の向かう場所は、鳩尾。

 月江は咄嗟に両腕の手首を交差させ、月江の前蹴りを十字受けした。


 肉を通り越し、骨に響き渡る威力。葛木は唇を噛み締めながら、痛みを堪える。

 前蹴りを防がれた月江は、すぐに左足を元に戻そうとした。その隙を突くかのように、葛木はお返しとばかりに月江の顔面に右ストレートを突き出した。

 

 月江、それを見透かしたかのように顔を逸らし、回避。

 葛木、悪寒が走る。


 月江は無防備に突き出された葛木の右腕を、自身の左脇に挟み込むように取った。直後、上半身を前屈みの体勢へ。

 脇固め。

 柔道では黒帯の月江にとって、それは流れる様な動作だった。


 既に右腕は捕られており、葛木は苦し紛れに左膝を突き出す。腹部を狙って、月江の腕力を少しでも緩めようとした苦肉の策。


「があっ」


 だがそれは、ちょうど前屈みをして葛木を押し倒そうとした月江の顔面に突き刺さった。

 思わず声を上げて、仰け反る月江。捕らえられた右腕の圧力も弱まり、葛木はすぐに引っこ抜いた。

 追撃を仕掛ける葛木に対して、月江はすぐに体勢を整えながら、距離を取る。


「狙ってやったの」


 鼻部を膝で強打された月江は、その二つ穴から垂れる鮮血を左腕で拭き取りながら、葛木に話しかける。


「試合中」


 葛木は聞く耳もたずの姿勢で、構える。そんな彼女に、月江は鼻血を垂れ流しながら、笑みを浮かべた。

 

 不細工。

 無様な醜態を晒しているのに、まるでそれを勲章かのように見せつける月江が嫌い。

 仕事中も、プライベートも、常に輝いている月江が嫌い。

 そんな明るく輝いている月江に照らされている、自分が嫌い。


 葛木は頭の中で渦巻く感情を吐き出すかのように、静かに深呼吸をした。

 一瞬の沈黙。


 数歩の距離を保っていた月江の姿が「消える」

 再び仕掛けてきたのは、月江だった。

 

 彼女はまるで這うように姿勢を低くし、テイクダウンを狙ったタックルを放った。

 

(月江、貴女はいつだってそう)


 葛木はそれを見切っていた。

 月江のタックルの軌道を読み取り、腰を狙っていくラインに沿って、左膝蹴りを放った。

 ウェイト、スピード、パワー。打撃技における三拍子が全て揃った一撃。

 

 鼻が圧し折られて、そのまま失神する月江の不細工な顔。そのままうつ伏せで倒れ、ノックアウトされる月江。

 そんな「憧憬」を思い浮かべる葛木だったが、左のこめかみに重い衝撃が走った。

 柔らかい素材の感触、その次に肉と骨同士がぶつかり合う痛み。


 左膝は未だ、月江の顔面を打ち抜いていない。それどころか、片足を上げている状せいで、頭部を襲う衝撃に踏ん張ることができなかった。


 崩れ落ちる葛木。揺らぐ視界には左足を伸ばして、右足で踏ん張っている不格好な月江の姿。

 まるで野球の投球、オーバースローのような姿勢。


(タックルを囮に。それで、左フックを)


 まんまと一杯食わされた葛木。彼女は尻もちを突きながら、すぐに立ち上がろうとする。


「だーめ。彩佳」

 

 そんな葛木をあざ笑うかのような、無邪気な声。その声の主、月江は葛木を押し倒すかのようにタックルを仕掛ける。

 軽い脳震盪の影響か、月江を押しのけること――既に無駄なことだが――が出来ない。


「止めっ――」


 練習試合故に、既に倒れた葛木の状況を見て、大森は制止を入れる。だが、月江はお構いなしに右腕を振り上げた。

 ジムの照明に照らされる、月江の右拳。それは振り下ろされるサインであり、葛木はマウントポジションに取られているのに関わらず、ガードしなかった。


「責任、取ってよね」


 たかが女がやる格闘技。護身術にしてはオーバーだし、そもそもそんなものは必要ない。

 それなのに、何度断っても、執拗に誘ってくる月江の存在。

 

 そう、こんなにのめり込んだもの、月江恵美のせい。

 キラキラ輝いている彼女を合法的に殴って、蹴って、極めて、ボコボコにしたい。

 

「ええ、ちゃんと取ってあげる」


 そう、彼女にのめり込んでいるのは格闘技のせい。

 格闘技のせいで、私は恵美にボコボコにされる。

 

「最低だわ、恵美」


「サイコーだよ、彩佳」


 お互いに真逆のことを言いながら、恵美は彩佳の顔面に右拳を振り下ろす。

 

 彩佳の意識が途切れる瞬間、照明によって、逆光に照らされる恵美の姿。

 それは彼女にとって、いつかは恵美に見せてあげる、「憧憬」だった。

 


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