第8話
翌朝、朝食をとった後、私はノルテナフスに向かって真っ直ぐに歩き出した。青草が茂る道を歩き進めるにつれて草や木の枝の上から覆い被さるように蔓が絡みついている。昨日はまだ窓や壁などが所々見えていたのに、建物はとうとう蔓に飲み込まれ全て緑色一色になっていた。こうなってしまっては屋敷の側に近づくことが難しかった。誰かの訪れを阻んでいるようにも見えた。
しばらく緑の壁に沿って歩いていると這っていけば通れそうな隙間を見つけた。しめしめとばかり、ストロー帽を取り隙間に顔を突き入れ両手のひらと膝を地面につき、ウサギが跳ねるみたいに足を蹴り出して滑り込んだ。
隙間の中はどんよりと暗く、空気は澱んでいた。息をするたびに重苦しい気持ちでいっぱいになってくる。こんなものが無限に続いていたらと想像して私は身震いした。それでも進むしかないと力を入れて蹴り出したらスカートの裾を踏んでしまって前のめりに滑っていって顔を打ち付けた。
「ああもう!」
私はわざと大きな声で叫んで、地団駄踏んだ。イライラした気持ちに任せてスカートを腰までまくり上げて横結びした。本当なら体を締め付けているコルセットも外してしまいたいぐらいだった。前世の記憶が戻ってからというもの着ているもの全てに無機能さを感じ、身に纏うことを煩わしく感じていた。
いっそ脱いでしまいたい、衝動的にブラウスに手をかけたとき「もう見ていられない」とフィンの声が響いてきた。ハッとして顔を上げたところでツタのトンネルが闇の中に消え失せて、あっという間に屋敷のホールの中にいた。そして目の前にはフィンが青白い顔をして立っていた。
「あら? ご機嫌よう?」私は首を傾けながら言った。
「なにがご機嫌ようだ。君には慎ましさはないのか」フィンは手にぎゅっと力を込めて、顔を真っ赤にして目を吊り上げて私のことを睨みつけている。
フィンの視線が私のドロワーズに注がれていることに気付いて、結び目を解いてスカートを下ろした。
「屋敷も庭もここで起こること全部が俺には見えている。とにかく変なことはしないでもらいたい」
怒った顔をしてブツブツと文句を言っているフィンを見ていると弟と話しているような微笑ましい気持ちになってきて顔が緩んだ。
「で、お前は何しにきたんだ」フィンは私が来たことが不満らしい。私のことを眉を顰めて無言のまま見ている。
「えっと……魔法を習いに」
「――断る」フィンは間髪を入れずに答えた。それから、ぷいっと後ろを向いた。
「いやよ。良いというまで帰るつもりはないから」
私はフィンの背中にすがるような思いで手を伸ばした。もう少しでフィンに届くというところで足が空回りしはじめた。地に足がつかないような心地に怖くなって走るように足をバタバタと動かしたけれど彼に近づくどころか逆に遠ざかっていく。瞬き一つする間にフィンの姿は完全に見えなくなって代わりに蔓が絡みついた緑の壁が現れた。私は追い出されたのだ。
「信じられない。全く、どういう芸当なの?」
私は仕方なしに壁にもたれ込みぼんやりと空を眺めていた。空の高いところに鱗雲が広がっている。空だけは立派に秋になっているのに暑さは衰えず、じっとしていても汗が次から次へと滲み出てくる。帽子をとって団扇の代わりにあおいだ。
「クーラー欲しいな。携帯用の扇風機でも良い」
唐突な思いつきに興奮して、次々にかの世界の電化製品や食べ物を思い浮かべようとした。涼しい部屋の中で飲む冷たいジュースの味を想像してみて、ごくんっと喉が鳴った。どうにもならないことを考えてしまったと気付いて私は肩をすくめた。
「前世か……。記憶を持っていたって、いったい何の役に立つのかしらね」
私はなんとなく「そらみつ」が気になった。ようやく一つ目のエピソードに入って、攻略対象者である緑の髪のデイヴィッド・グランとその婚約者を中心にしたストーリーが本格的に始まったところだろう。
デイヴィットの婚約者に限らず、ヒロインのアイラに対抗するキャラクター達は結局戦い敗れて婚約を破棄される。その上に学園を退学させられる運命だった。
ヒロインは魔素を暴走させてしまい混乱状態となった婚約者や生徒達と魔法を使って戦っていた。負けた生徒が顔を押さえて苦しげにしているスチルもあった。
実は魔素が暴走する生徒を裏で手引きしていたのは魔王という存在。学園で起こる騒動は全て魔王が原因だった、なんて設定だった。そういえば……、フィンも魔素が暴走しているって言ってたっけ。魔王を倒せばフィンも救われるのかしら。
「でも魔王と戦うのよね。どうやって手から炎や水を出すのかしら」
私は何度も手を握っては開いてみた。魔法なんて出てきそうにもなかった。
「もしかして魔法のステッキなんてものが必要なのかしら」
私は大きなあくびをしながら指をステッキみたいに振ってみた。
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