第7話

 お湯をティーポットに注ぐ。お湯の中で茶葉が踊り、淡い赤い色が優しくにじみ出てくるのを見てポットの蓋をかぶせた。さぁて次はと、小さなキッチンを見渡した。


 黒いモヤモヤが消えた後、フィンに案内されたのが応接室と続き部屋になっているこのキッチンだった。コンロの前には鍋やフライパンがつられ、カップボードの中にはティーポットやカップが棚に規則正しく並べられている。


 紅茶が入った箱もいくつか置いてあった。見たことのないパッケージに興味をひかれ、箱の表と裏とくまなく見ていたら年号が刻印されているのを見つけた。控えめに薄く書かれた年号は百年以上前のものだった。


「ひゃっ」私はびっくりして箱を取り落とした。コトッと乾いた音を立てながら応接室の方に転がっていった。箱を拾いながら応接室の様子をうかがうと叔父は目を閉じてソファーに深く座り、フィンは腕を組んで壁にもたれ立っていた。私が立てている音以外はシーンと静まり返っていた。


 私は銀のトレイにお茶の準備をして応接室に運んだ。わざとらしく咳払いをしてテーブルにトレイを置いた。


「叔父様、お茶の時間にしませんか。フィンも立っていないで座ったらどうです」


 叔父はうなずくと閉じていた目を開き背筋を伸ばした。フィンは渋々といった感じで席に着いた。


 私はティーポットの蓋を取って、茶葉を軽くスプーンでかき混ぜて、お茶会を取り仕切る女主人のような気分で優雅にティーカップに注いだ。甘い香りがテーブルの上にふわっと漂った。


 それから、馬車の中で食べるはずだったビスケットを盛り付けた皿をおいた。話は長くなるに違いないから甘いものが必要だ。本当はサンドイッチでもあればいいのだけれど。叔父とフィンの顔をうかがうように見た。


「時間もあることですし、あらいざらい、お話を聞かせてくださいね」


「ルナ、もしかして怒っているのかい?」


「怒っているも何も……償いがどうのとか、世話をするとか、叔父様はそんな話ばっかりで。もっと具体的なことを教えてほしかったわ。戦うってわかっていたら準備だってしてきたのに」


 ゲームの中と同じように、ここでもモンスターとの戦闘があるのなら武器の一つや二つ用意してきたのに。攻撃魔法の呪文の名前だって思い出してきたのに。私はそんなことを考えていたら、昂る気持ちを抑えられなくなっていた。


「そういえば叔父様はペンようなもので戦ってらしたけど、同じようにできるかしら? 私、いままで武器なんて扱ったことないですけど、どうやって戦えばいいですか?」


「戦うだって? なんて物騒なことを言うんだ。あれは魔素同士が接触して力を及ぼすとき、その力に対する反作用としての魔素エネルギーを送り込んで力を減少させているんだ。基礎的なことは学園で習っただろう」


「なんだ……魔法を使って戦うんじゃないんだ」ゲームの中のヒロインたちのように魔法で派手にドンパチ繰り広げるのかと思っていたから、私はなんとなくがっかりしてしまって、ため息をついた。


「ハリソン、こいつには帰ってもらった方がいいんじゃないか?」といままで黙っていたフィンが呆れた声を出した。


 私はフィンの毒のある声を聞いて無性に腹が立ち、ソファから立ち上がり言った。


「ここまで来たのに、今更帰れません!」


「帰れ」フィンが大きな声で叫んだ。


「フィンもルナも落ち着きなさい」叔父は怖いぐらい冷静な目をして言った。「フィン、君には誰かの力が必要だと私は思うんだ。君を一人にはできない。君の側にルナを置いてくれないか。ルナならきっと助けになるはずだ」


 フィンは耳に両手を当ててイヤイヤと激しく首を振った。


「世話なんかいらない。俺は何も食べず、眠ることも必要ない。一人で大丈夫だ。話し相手もいらない。頼むから放っておいてくれ。誰も俺のそばに寄らないでくれ」


 フィンはソファから勢いよく立ち上がると両手を体の前に突き出し私と叔父の体を押した。私たちの体は急に重さを失って真っ逆さまに穴に落ちていくような浮遊感に支配された。私はたまらず上に向かって手を伸ばした。手を伸ばした先にフィンの顔があった。ふと目が合う。その途端にフィンの金色の目が見開き、だんだんと光が消えていくように虚で寂しい色になった。私は何も言えずただ眺めるしかできなかった。フィンの目があまりにも悲しみにあふれていて、魔法のことで興奮してしまった私が馬鹿みたいに思えて、胸が潰れそうになった。



 気がつくと私と叔父は、ツタが絡みついた屋敷の外にいた。二人ともぼんやりとした顔で本邸までの道を歩いた。


 叔父はぽつぽつと話し始めた。


「私たちはね……彼の魔素を暴走を抑える手助けする代わりに、魔素を制御する方法を教わっているんだ。ここに来るまでに乗った魔導列車もアヴローカ家の先祖がフィンから教わったものなんだよ」


 魔導列車が生まれたのはおよそ80年前ほどだ。キッチンで見た紅茶箱の製造日は更に昔ものだった。


「フィンって本当に何百年も前からあそこにいるんですね」私は言ったそばから怖いとも悲しいとも言いようのない気持ちになった。


 叔父は力なく微笑み、そっと首を横に振った。


「彼は仕方なくあそこにいるんだ。私たちが頼るから。我が一族は彼の人生を食い潰してきた。できることなら彼を解放してあげたいんだ」


 私はチラッと目を上げて叔父を見た。叔父はひどくやつれ青い顔をしていた。私はなんと言って良いか分からず黙り込んだ。


その後は、フィンことが頭から離れなくて、食事もほとんど喉を通らなかった。叔父から与えられた部屋に入ると窓からノルテナフスの小さな屋根が見えた。窓に手を当て目を閉じるとフィンの苦しげで今にも泣きそうな瞳が浮かんでくる。


 思いを振り切るように勢いよくベッドに飛び込んだ。枕に顔を押し付け私は考える。「そらみつ」のストーリーから退場したんだから私は自由に生きてもいいはずだ。これからは物語に左右されず私の人生を歩めるはずだ。アヴローカ家のしきたりなんてのも知らない。私は私の思いのままに生きていく。あんな顔はもうさせない。私はそう決心した。




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