第6話

 叔父の屋敷のすぐ裏手にノルテナフスはあった。木や花が建物を覆い、何年も使われていない古びた倉庫のようにも見えた。


「ノルテナフスはね、古い言葉で「魔女の家」というらしいよ。ここを作ったアリア・アヴローカが名付けんだ」


 生い茂った草木を避けるように進むと色あせた薄いクリーム色のレンガの壁が現れた。屋根一面にツタが絡まり、いくつもある小さな白い窓枠にも手を伸ばすように伝っている。ノルテナフスは古ぼけていて薄暗くて近寄りがたい雰囲気で、中から魔女が出てきても納得してしまうだろう。


「おんぼろで驚いただろう」


 私は叔父の言葉に首を横に振った。


「何度もおじ様のお屋敷には来ているのに、こんなところがあるの知らなかった。秘密のお庭みたい。とってもステキね。妖精でも出てきそう」


「妖精か…そんなかわいいものだったらよかったんだけど」


 叔父が立ち止まる。目の前にはレンガの壁以外に何もなかった。よく見ると建物には窓はあるのに扉がなかった。


「入口がないけれど、まさか窓から入るの?」


「まさか! 見ていてごらん」


 叔父はあははと笑いながら、なにもないところに手を触れた。数回小さな光が発光して、縦に長く光の筋ができたと思ったら、またたく間に中へと通じるドアが現れた。


 扉をくぐると真っ暗な場所に出た。私は反射的に隣にいた叔父の腕にしがみついた。何が起こるのか分からない不安に心臓がどきどきする。


 そのとき、壁につけられた照明に光が灯りホール内が一気に明るくなった。私たちは吹き抜けのある円形ホールの中心にいた。


 ホールを囲むように窓が並んでいる。格子状の窓の上にはステンドグラスをはめた半円の窓があり、その上には金色をした植物の装飾が施されている。窓の前に無造作に置かれたカウチソファの座面はベルベットのように艶っとしていて表面には複雑な模様が描かれている。窓と同じく金色のレリーフで囲まれている背もたれの上部の彫刻に照明があたりキラキラと光っている。


 金箔が施された豪華な家具や調度品なんて、今はもう本の中の挿絵や絵画でしか見ることができなかった。「時が止まっているみたい」私は思わずためいきをついた。


「ここは本当に時が止まっているんだ」


「えっ?」私は慌てて叔父の顔を見た。でも叔父は私の方を見ず前を見つめていた。


「なんだ、騒がしいと思って出てきたらハリソンじゃないか」


 サイズの合わないシャツとスラックスを履いた子供がいた。ずるずるとスラックスの裾を床に引きずりながら、こちらに歩いてきた。


「まさか……フィンか? 前に会ったときよりずいぶん小さくなってしまったな」叔父はフィンと呼ばれる少年を驚きながらも憂いを含んだような目をして見ていた。


「ハリソンの隣にいるのは誰だ?」フィンは私に怪訝な視線をむけてきた。


「姪のルナだよ」


 フィンは大きなため息をついた。一気に苦々しげな表情になった。


「もう俺のことはいい。誰も連れてくるなと言っただろう」フィンは叔父に向かって大きな声で叫んだ。


「君は一人でなんとかすると言っていたが、できなかったから子供みたいな体になってしまったのだろう」


「うるさい!」フィンは叔父に痛いところを言い当てられたのか目を逸らした。


「ルナは貴族のしがらみからは遠いところで育ってきたこともあって、発想が柔軟でたまに突拍子もないことを言って兄上の手をさんざん焼いてきた。それでもって向こう見ずに危険に突っ込むところもある。煩わしいことがいっぱいの君の役に立つかもしれない」


「ちょっと叔父様!」私は父と叔父が私について思っていたことを急に暴露されたような気持ちになって恥ずかしさで顔を真っ赤にした。


「どうやら話はここまでだ。さっそく、ごあいさつのようだ」


 フィンは皮肉に笑いながら足元を指差した。フィンの足裏から黒いモヤが吹き出した。モヤは蛇のようにウネウネと床を這いずり回りながら私と叔父のところにまでやってこようとしている。


「まあ、いい。コイツをどうにかできない限りは、ここにいられないのだから」


 モヤは密度を増して鞭のようにしなって私たちに襲い掛かってきた。叔父の顔を見ると叔父は真剣な顔をして私の目を見て口を開いた。


「ルナがここでする仕事はただ一つ。フィンから湧き出てくる魔素を無効化することだよ」


「無効化? ウネウネとしたのと戦うの? 攻撃魔法なんて学校で習ってないわ」


「………」叔父は私を見つめながらぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。


「よく分からないが、説明をしている間がない。気合で避け続けろ。後は俺たちがなんとかする」


 フィンと私の間に叔父が両手を広げて立ち塞がった。黒い魔素が叔父に向かって伸びてくる。叔父はジャケットの内側のポケットから素早く羽ペンを出して、黒い魔素に直接触れた。


 叔父は魔素に文字を書きつけていくような動きをしていた。いくつか書くと魔素は霧のように消えた。


 魔素が消える度にフィンは顔を歪めたまま、とても苦しそうに肩を揺らして大きく息をしていた。痛々しい顔を見ていて、じっとしているだけの私はやりきれなかった。


 いくら消してもまた新しい魔素が溢れてきて、いたちごっこに終わりが見えない。時間が経つに連れ、叔父もフィンも額にびっしりと汗を浮かべ明らかに疲れているようだった。


 叔父とフィンにとうとう痺れをきらしたのか、何本にも分かれていた魔素が集まり、ひと塊りの大きな槍状になった。魔素の槍は叔父が持つ羽ペンを簡単に弾き飛ばし、そのまま私の方に向かって勢いをつけて伸びてきた。


 私はひどく焦ってしまってとっさに足を動かそうとしたら絡まって、そのまま尻餅をついて倒れてしまった。


 もうだめだと思って私は目をぎゅっと瞑った。やがて訪れる痛みを堪えようと体に力を入れて待っていたけれど、一向になんにもやってこない。私はうっすら目を開けて見てみた。


 目の前で魔素が私を刺そうか刺すまいか思案しているかのように小刻みに揺れていた。私は驚いて瞬きを繰り返した。そのうちに闇の色をした魔素の中から視線を感じた。じっと見つめていると淡い金色の目と視線があった。


 その瞬間「アァァァアァアァァァァ……」と魔素は叫ぶような声を上げて、そのままフィンの影の中に戻っていった。




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