第2話
講堂を出ると寮まで続く歩道は登校中の生徒たちで溢れかえっていた。腫れ上がった顔を誰にも見られないように一刻も早く寮まで帰りたかったのに、あまりの人の多さに走ることができなかった。頬を手で隠して深くうつむいて、なるべく落ち着いたテンポで歩いた。
秋になったとはいえ、まだジリジリと照りつける日差しの下、茶色や焦げ茶色の頭が講堂に向かってぞろぞろと歩いている。その中にひときわ目立っている青や緑の髪の毛の男子学生を見つけた。目立つというより異質な感じ。今までどうしてあの特徴的な髪の毛の色をおかしいと思わずにいられたんだろう。しばらく足を止めて彼らが通り過ぎるまで見つめていた。
もしかして……じゃなくて、ここは本当に『そらみつ《ゲーム》』の中なのかもしれない。
『そらみつ』こと『恋と魔法で色づくハートは空に満る』は巨大な魔法の力を発現させた主人公が魔法学園に入学し、赤・黄・緑・青・紫色の髪を持つ5人の少年たちと恋や学園生活を楽しみ、ついでに世界を脅かす魔王も倒すというゲームだった。
さっきの事件は転入後すぐのイベントシーンだ。物語がついに始まってしまった。私がまさか、かませ犬キャラだったなんて。イベント後に私がどうなったかゲームの中では描かれていなかったけど、問題を起こしたからと謹慎させられていたかもしれない。でも停学、いや退学なんてこともありえるかもしれない。そう考えていると目から涙が出そうになった。
ふと甘い花の香りがした。もう講堂と寮をつなぐ中間にある中庭まで来ていた。円形に区切られた中庭内を、螺旋状に絡められたつるバラが飾っている。なかでも、中庭から寮までの道に作られた何重ものバラのアーチは妖精でも出てきそうなぐらい幻想的で美しい。
「おや、忘れ物かい?」
ひょっこりと土にまみれた作業着を着た男性が現れた。中庭を管理しているアイザック・ウォーレザウト先生だった。帽子からは薄紫色の髪の毛がのぞいている。彼も攻略対象者の一人。私が答えずにいると先生が近づいてきた。
「その頬、一体どうしたんだい?」先生は身を屈め覗き込むようにして私の顔を見ながら尋ねた。
私ははっと気づいて慌てて両手で頬を隠した。
「大丈夫です。何でもありません」
先生はすっと私の顔に手をかけた。私は身をよじってみたけれど先生の手がさらに伸びてきて私の手を頬から引き離し、私の傷を露わにした。
「ふぅむ、すごい腫れようだ。誰かと大喧嘩でもしたのかい?」
「え……なんで……」
まさか、先生が一部始終を見ていたはずはないと思いながら、私は立ちすくんだ。
先生は一瞬、驚いたような顔をしてから、なんでもなかったみたいにエプロンのポケットから薬缶を取り出し、私の頬に丁寧に軟膏を塗ってくれた。
「あ……ありがとうございます」
ひどくきまりが悪くって、恥ずかしさで顔を赤らめながら、先生の顔もよく見ずに走り出した。
私は薔薇のアーチの中をがむしゃらに走った。中庭から寮までの道には足元から頭の上まで溢れるように薔薇が咲いている。視界一面に薔薇に包まれているここはヒロインとヒーローの定番のデートスポットでもあった。美しい彩りにいつもなら心が癒やされるけど、今はこの美しさが逆に苦しかった。
「何なのよ、もう」私は泣きそうになりながら、気持ちを振り払うよう必死に足を動かした。
目の前に青い空と石で舗装された道が見え始めてきた。もうすぐ寮だ、と思ったらほっとした。けれど、もうすぐアーチを抜けるというところで、誰かが現れた。
私は誰かを避ける間もなく突っ込んでいった。がくんとよろめき、そのまま放物線を描くように顔から地面に突っ込んだ。土埃を巻き上げ、ズルズルといくらか進んでようやく止まった。もう頬どころか、額と鼻の頭もヒリヒリと痛む。なんで今日はこんなのばっかりなんだろう。
「大丈夫か?」と声が聞こえたので、慌てて顔を上げるとそこには、濡れたような黒い色の髪の毛で銅色の涼しい目をした男子学生がいた。さらに黒いガウンをまとっていた。彼も成績優秀者か高位貴族に違いない。思わず息の飲み込んだ。
「お気になさらず。私なら大丈夫です」これ以上問題を起こすわけにはいかない。痛む体を押さえながらよろよろと立ち上がろうとした。
「震えているぞ。立てるか?」
目の前に手が差し出されていた。手の節々が太く厚く広い手のひらだった。思わず頼りたくなるような手だ。でもその手を掴まずに自分の力で立ち上がる。痛みに耐えながら膝を折り、深く頭を下げた。
「お気遣いくださいまして、痛み入ります」
ゆっくりと足を踏み出し、男子学生の横を通り過ぎようとしたとき腕を引かれた。急な力に抗えず、私は引かれるがまま男子学生に抱きつくようにして止まった。そのまま固く逞しい腕に抱きかかえられて、女子寮の門の前まで運ばれた。
彼は丁寧に私の体を降してから、深く頭を下げた。
「本当に悪かった」
「いえ、私の方こそ確認を怠っていました。顔を少し擦りむいただけですので、どうか頭を上げてください」
彼は伏し目がちに遠慮しながら顔を上げた。
「私は六年のジェイソン・スワルトゥルという。もし怪我がひどいようなら声をかけてくれ」
安心したように目を細めて、私を見つめ微かに微笑んだ。朝の光があたり深く赤い色が淡くきらめいている瞳が美しくて、私はどきりとした。
こんなときにジェイソン先輩に見惚れてしまった自分を内心恥ずかしく思いながら、挨拶もそこそこに全速力で寮の中に走り込んだ。
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