序盤で退場するかませ犬はストーリーに復帰しないことを望みます

吉尾唯生

第1話

――――パシンッ

 乾いた音が部屋の中に響きわたった。


 私の目の前には一人の少女が立っていた。クセのないたっぷりとした赤みがかった金髪は激しく揺れ、アクアマリンのように透き通った色をした瞳は鋭く光り、水々しく血色のよい淡いピンク色の唇はわなないている。


 顔がカッと焼けるように熱い。頬にそっと手を当てた。ドクンドクンと脈打つ動きに合わせてチリチリした痛みが手のひらに伝わった。それで、頬をうたれたのは私だったということに気づいた。


「あなた、こんなことして恥ずかしくないの」

「えっ、何が? どうして……?」


 少女が庇うように立っている後ろには、破れた布を握りしめながら肩を大きく震わせて泣いている少女と慰めるように数人の少女がいて、しきりに私の方を見ては、泣いている少女に声をかけている。一体、何が起こっているのか分からなかった。


 教室の中は一瞬にして騒然たる空気に包まれた。それにドアも窓も開放されたままで中の様子が丸見えだったため、廊下を通っている誰もが足を止める。たちまち、ざわざわと騒がしい人の気配が増えていく。


 彼女たちに悪いが全く記憶にない。むしろ何があったのかこっちが聞きたい。朝、寮を出て、教室に入り、席に荷物を置いた……はず。そこで声をかけられた……はず。考えるほど頭の中に霧がかかったように思考が不安定になる。


 それに、さっきから私の前にいる少女の名前が思い出せなかった。ダークブラウンやブルネットの色が多いなかで、ひときわ目立つピンクブロンドの髪。印象的な色であるのに、思い出せそうで思い出せない。


 廊下からひときわ大きな声が上がる。声の方に顔を向けると真っ赤な髪のどえらい美少年が窓際に立ち教室内の様子をうかがっているのが見えた。


 派手な赤い色を見ているうちに、はっと思い出した。彼はオリヴァー・レイズル。隣にはタンポポのような黄色い髪をしたダニエル・グルルがいる。二人ともわが国の王族関係者で、ここリーヴス魔導学園の生徒会長と副会長だ。生徒達のまとめ役である監督生を表すゴールドのラインが入った黒いガウンをまとっている。


 そのとき急にピンクブロンドの彼女は勢いづいて口を開いた。

「私はあなたのしたことを全力で否定します。確かに魔素の量も身分も変えられない。だからって努力を笑い、悪意を向けるのは間違っています。この学園があなたのような考えの人たちばかりなら、私が変えてみせます」


 私は彼女の台詞じみた言葉を聞いて、いきなり頭を殴られたようなショックを受けた。前に聞いたことがあった。


「そ……そらみつだ」


 つぶやいた途端に頭の中に猛烈に記憶が駆け巡った。これは、『そらみつ』という乙女ゲームのストーリーモードの冒頭で流れるムービーでの台詞だ。このイベントの後、主人公は他のキャラクターたちに認知されるのだ。


 そうだ……ピンクブロンドの彼女こそ主人公であるアイラだった。ある事件から過去に計測されたことない魔素を体の中に持っていることが判明し、特待生として五年生の新学期から入学してきた。この国は魔素を持つものしか魔法が使えない。魔法を重んじるわが国は彼女のことを至宝と称えている。


 でも……彼女といつからクラスメイトになった? 私はこんな有名人をどうして忘れていた? 詳しく思い出せない。そうだったと言えばそうだし。はっきりと思い出せるのはゲームの中でのこと。ゲームと現実の情報がない混ぜになってしまって思いかけず目の前のことが作り話のように見えてくる。


 このゲームの中で主人公がすることは大きく三つある。攻略対象者と恋に落ちること、学園の問題ごとを解決して監督生なること、そして魔法の能力を磨き魔王を倒すこと。


 でも……もしここがゲームの世界と同じならば、現在進行形で初めてのイベントを達成するためのチュートリアル中だ。これはアイラが解決する一番最初の問題ごとで、監督生ロードへの華々しい幕開けなのだ。チュートリアルだから、もちろん彼女の正義が勝利する。


 黄色い頭のダニエルが胸ポケットから手帳とペンを出して、何かを書き付け始めた。黒のガウンは学園の中でも認められし者しか纏えないものだと教わった。彼らは罪を犯した生徒に彼らの裁量で罰則を与えることができる。全身から血の気が引いていくのを感じた。


 ここでの私はお世辞にも品行方正と言えないが、それなりに穏やかに学園生活を過ごしてきた。これからも真面目に過ごす予定だったのに。


 ヒロインたちが罪を認めよ! と、じりじり近づいてくる。

「これは学園長に報告する必要があるな」廊下からダニエルの声が聞こえた。


 私は頭の中が一気に真っ白になった。混乱で目の前がぼんやりとする。どう切り抜けたらいいかなんて何も思いつかない。でも、ここにいてはいけないことだけは分かる。


 私は彼女たちに「――ごめんなさい。私、何もやってない」と大きく頭を下げた。そして、とにかく外へとギャラリーたちを押しのけ扉をくぐり抜け全速力でダッシュした。







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