第2章 ハミルトン家の家事人形

page.12 新しい仕事場

 輸送トラックの揺れの中、私は拘束具に縛られた状態で転がっていた。

 隊舎から運び出されて2時間、次第しだいに他の車とすれ違う音が聞こえなくなった。人の少ない方へと進んでいる。トラックの揺れがだんだんと大きくなっている。舗装されたハイウェイを降り、悪路を走行しているのだ。


 これからゆく先で私が何をするか? 全てがもう、どうでもいい。そこに大義がないことだけが確かなのだ。

 あぁ、ジーク。私はなってしまう。大義なき家事人形ハウス・アンドロイドに。


 トラックの揺れが止まった。男が私を乱暴な手つきで荷台から降ろし、地面に転がす。私の操作説明書マニュアルも、そばに投げ捨てられた。


 そこは、コンクリートによる舗装ほそうも施されていない道。周りには十軒にも満たないほどの民家しかない。小さな村だ。


「悪いが、酔狂な老夫婦に会うのも、危険な人形アンドロイドのお目覚めに立ち会うのも、ごめんだ。今日お前を届けることは連絡済みだから、そこに転がってればそのうち拾ってもらえるだろう。あばよ」


 そう言うと、男は輸送トラックへ乗り込む。私を置きざりにして、去っていく。勝手にしろ。


 私は拘束具に包まれたまま、去っていく男と反対側を見上げる。


 私はどうやら、門の前に転がされたようだ。門の向こうに見えるのは、背の低いがきに囲われた庭。そこには、私のオフライン・データベースでは参照しきれない種類の草、花、木、そして虫たちが存在した。その奥にあるのは、大きなレンガ造りの屋敷。外壁には好き放題につるい、こけえている。そして、それらの緑に埋もれるようにしてクリーム色のドアがひとつ、閉ざされている。


 ここが私の、新しい仕事場か。




 ……。


 門の前に捨てられて、かなり経った。夕日が沈みかけ、空は紫色だ。


 あの男、本当に家主に連絡したのか? あるいは、私の新しいあるじは彼の言う通り、認知機能に問題があるのではないか?


 ふん、別に構わない。このままずっと転がされていたとして、騎士隊舎で棒立ちでいるのと何も変わらない。いっそのこと、放っておいてほしいくらいだ。


 そう思った、そのとき。クリーム色のドアが開かれる。その扉を開いたのは、柔らかい明かりに照らされている、腰の曲がったひとりの老人。


 それは、私のもとまで歩いてくる。スピードは非常に遅いが、妙に体が揺れている。


 やっと側まで辿り着いた。転がっている私を覗き込んだのは、髪が白く染まったご婦人だった。


「あら、まあ」


 ひどく短い距離をゆっくりと歩いた彼女は、しかし肩で息をしていた。


「ごめんなさいね。待たせてしまったみたい」


 ご婦人は、私を起こそうと拘束具の紐を引っ張る。


 よせ。恐らく貴女の体重と筋力では不可能だ。そう伝えてやりたいが、私は今、発声器の使用も許されていない。


 マニュアルを参照し、ごく簡単なしかるべき手順を踏むだけなのだ。そうして自律許可を与えてさえくれれば、発声も、自立も、拘束具の破壊も自由なのだが……。


 私は、唯一許されたメイン・カメラの動きで操作説明書マニュアルを指し示す。


「あら、なぁに? ぱちぱちして、可愛かわいらしいのね」


 違う、操作説明書マニュアルだ。操作説明書マニュアルを見ろ。


「ああ……これ? このご本が読みたいのね?」


 私が読みたいのではなく、貴女が読むのだ。ええい、じれったい。


 しかし、なんとか注意は操作説明書マニュアルへ向いた。


 ご婦人は、よろめきながらそれを拾うと、何かいいことでもあったかのように笑った。


「ふふ、ごめんなさい。老眼鏡を取りに戻るわね」


 もうしばらく、ここで横になるはめになりそうだ。




 屋敷の門の前で転がっていると、一台の車が屋敷の前に停まった。旧式のガソリン車だが、よく磨かれていてびひとつない。エンジンが停止し、ドアが開く。


 そこから降りてきたきたのは、ひとりの男性だ。仕立ての良い茶色のスーツを着て、背筋をしゃんと伸ばしている。だが、白く染まった髪と髭は彼が老人であることを示していた。刻まれたしわの数と深さは、ちょうど先ほどのご婦人と同じくらいだった。


「おや、君はひょっとして、私たちの新しい家族ではないかな?」


 そう言うと、紳士は私を助け起こし、抱き上げた。年齢あたりの筋力は、かなり高いように思える。


「すまなかったね。エヴェリンは、君に気付いてないのかな」


 紳士が私を抱いて、門をくぐる。庭の中を玄関へ向けて歩いていると、ちょうどドアが開く。出てきたのは、老眼鏡をかけたご婦人。


「まあ、アルバート! おかえりなさい」

「ただいま、ハニー。私たちの大切な彼を、あんなところに転がしておいてはだめだろう?」

「老眼鏡をとりに戻ってたのよ。この子がね、このご本を読んでほしいと言うから」

「君はもう、彼と話したんだね。君は草木と話すのも、私よりずっと得意だものな。では、温かい部屋で読んでやろう」


 そして、私はついにクリーム色の扉の向こう側へ招かれたのだ。


「ようこそ、私たちの新しい家族。今日からここが、君のホームだ」

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