ジョン・スミスという名の。

外宮あくと

第1話

 月が、ひび割れた石の舞台を照らしている。

 長い年月、風と雨と日光に晒され、手入れする者などとうの昔に絶えた古代の劇場は、植物の侵食も受けて崩れかけていた。

 かつては遺跡を見学にくる観光客で賑わったものだし、それよりも遥か昔にはここで催される演目や役者を目当てに、多くの人々が集ったことだろう。

 小さな丘の斜面を利用して作られた、階段形式の観客席。俺はその最上部に座り、すり鉢状になった底部にあたる丸い舞台を見つめていた。ここが古代の円形劇場跡だと知っているから丸いといったまでで、実際には繁茂する木々の根によって、いたる所が破壊され形は判然としないのだが。

 それでもこのような石造りの建造物は、よく残っている方だ。木造のものははるか昔に朽ち果て土に還っていたし、高層ビルにしても鉄筋が腐食して崩れてしまっている。


 静かに世界は壊れていく。

 長い時間をかけて、緩やかに崩壊してゆく。


 いや、壊れていったのはあの人たちが作った世界だ。人類よりも遥か前から存在しながら、片隅に追いやられていた植物たちは、大地を再び取り戻した歓びなのか地上を覆い尽くし、新たな世界を作り上げていた。

 旧世界の生き残りは、もう俺くらいなものだろう。俺はただ一人で、幾億の昼と夜を数えてきたのだ。


 この場所に腰を下ろしてからは、もう年月を数えることは止めていた。動くことを止め、足に蔦が絡みつくままに、俺はただ古代の劇場跡を見つめ続けるのだった。

 どれだけの時を数えたところで、もう意味は無かった。俺はいつまでも一人きりで、待ち人が来ないことは充分すぎる程に理解していた。果てしない時が過ぎて、この身体が朽ちる時がきても、誰も現れはしないだろう。

 最期の場所にここを選んだのは、縁もゆかりもないにも関わらず、一握の懐かしさを感じたからだった。俺が唯一「生きている」と感じられたのは、劇場の舞台の上だけだったからだろう。


 今思うのは、去って行ったあの人たちのもとに、俺も行くことができるのだろうかということだった。記憶から消えないあの人たちのところへ行けるのだろうかと。

 彼らには、死後の世界という概念があった。信じる者もいれば否定する者もいたが、万人がその概念を周知していた。死者の住まう世界のことを。


 それは本当に存在するのだろうか。

 彼らはそこに行ったのだろうか。

 俺もそこに行けるのだろうか。


 そこへ行きたい。俺は彼らに会いたいのだ。この長すぎる孤独が、酷く耐え難く苦しくてたまらないのだ。

 俺はとうに狂っているのかもしれない。寂しいだとか苦しいだとか感じるなるなんて、今頃になってバグを発見してしまったか、エラーが発生したとしか言いようがない。

 ましてや「死にたい」と思うなどとは、末期的症状だ。


 当時の技術の粋を集め、完璧とうたわれた躯体の自動修復機能に支障を来したのは、随分と昔のことだ。

 今では俺の身体は、損傷個所を数え上げるのも無意味なほどに傷んでいる。壊れかけの人工知能なのだ。

 高次プログラムを使用する機会を失い、無用のエネルギー消費を抑えるために回路を遮断した。今は基礎プログラムによって起動を続けている。とはいえ、躯体の運動も控えたため、その中でも現在動作しているのは思考プログラムだけだ。

 今までの蓄積データを基に、自動更新を重ねる思考プログラムのみが、酷使されているという有様だ。

 人間で例えるなら、致命的な重傷を負い寝たきりになり、生命維持装置によって辛うじて息をし心臓を無理やり動かしている。そして心は覚めない夢の中、そんな状態だろうか。


 人工知能は、一見自意識があるように見えても、複雑に組み上げられたプログラムが、状況に応じた判断と対応を命じているだけだ。データを解析し、事象に対して適切と思われる反応を、計算で導き出しているに過ぎない。

 個々の人工知能に様々な特性も持たせ、それぞれに蓄積してゆく経験データを基に思考プログラムをアップデートすることで、個性的なものを作ることはできる。

 しかし、人工物に自我はないのだ。感情のように見える喜怒哀楽さえも、プログラムされたものだ。


 しかし、それならばなぜ俺は、俺の思考プログラムは不可解な動作を続けているのだろう。果てしない孤独を寂しいと思い、苦しい辛いと思い「死にたい」という結論に行き着くのはなぜなのか。

 俺だけが世界に一人きりで残される状況は、想定外の出来事であり、これに即応するプログラムは無い。蓄積されたデータから、人間ならばどう反応するかという仮定を導きだし、「死にたい」という感情を選び出しているだけだろうか。

 だがそれは、誤作動としかいいようがない。人工知能に自殺の概念はないはずなのだから。

 きっと俺は不出来な人工知能なのだろう。思い起こせば、初起動時から誤作動と思しき事案は頻出していた。俺は常に自分は誰なのか、と自らに問い続けていたから。他の人工知能にはない現象だったのではないだろうか。


 俺を造った者たちはもういない。誰一人残っていない。世界中を歩いてこの目で確かめたのだ。人間は死に絶えていた。比喩ではなく、本当に世界中をくまなく調べたのだ。

 エネルギー源となる太陽光がある限り、俺の活動は停止しない。だから、とことん彼らの痕跡のある無しを探しまわることができたのだ。

 俺は人間と話がしたかった。焦がれるような思いで、彼らを探し求めたがついに見つけ出すことはできなかったのだ。


 捜索の旅に出た頃は連れがいた。たまたま出会ったそれも人工生命だった。俺がヒューマノイドタイプであるのに対して、彼は愛玩用の犬形だったため人語を話せなかった。慰めにはなったが、物足りなかった。

 長く旅を続けるうちに、ヒューマノイドタイプの人工生命に出会うこともあった。意思の疎通は概ね良好にできたが、彼らを仲間とはどうしても思えなかった。

 そして出会った人工生命たちは、みな俺よりも旧タイプだったせいか、早々に壊れて動かなくなり再び俺は一人になった。


 あの人工生命たちは、あの人たちの所に行けただろうか。

 人工生命にも死後の世界はあるのだろうか。


 俺は「死にたい」と思う。

 基礎プログラムに逆らって、死にたいと思うこの思考は何処から来るのだろう。

 人工知能の基礎プログラムには、存在保持の原則が組み込まれている。重要な原則として、人間に害をなさないことや服従など、幾つかのプログラムには搭載の義務があるのだ。その中に存在保持の原則もある。人工知能は自らを破壊すること、害することはできないのだ。

 この原則は、俺にも当然組み込まれているはずなのに、それを無視して稼働中の思考プログラムは、緩慢な自己消滅を選択させる。身体を守ることをせず、雨風が侵食するに任せて、最期の日がくるのを待っているのだから。

 俺は俺を造りだした、懐かしく愛おしい人間たちに現世で会えないのなら、死後の世界でまた会いたいと願っているのだ。自分でも狂っているとしか思えない程に、熱烈に死を望んでいた。これは修復しがたいエラーだった。







 日暮れと共に登ってきた少し欠けた丸い月は、天頂を過ぎて大きく西に傾いていた。時折雲が月を隠すので、白く光っていた石造りの舞台は、影の色を濃くしたりまた輝いたりを繰り返していた。

 俺は微動だにせずそれを見つめていた。

 その時だ。

 コツンと音がした。小石が転がったかと思う。

 そして、ザッザッという砂のすれる規則正しい音。


――これは足音か?


 俺は耳の機能の精度をあげるべく、一時的に嗅覚を遮断した。

 電気信号が目まぐるしく頭脳内を行き交う。このような刺激は何十年ぶりのことだろうか。

 音は、交互に体重を移動させて前進する音によく似ている。

 頭の中がチカチカして、俺は目まいを感じた。

 背後から影が差してきた。月の光を浴びて伸びる影が、俺のすぐ横で止まった。


「なんて……奇跡なの」


 女の声が聞こえた。

 途端に、不可解なことに停止させていたはずの俺の運動プログラムが、勝手に動作を始めた。メインである思考プログラムが、運動プログラムの起動を許可する前だったというのに。

 俺は立ち上がり、振り返り、見上げて、声の主を確認する。一連の動作はごく簡単なもののはずだが、何十年も動かずにいたせいで、身体はきしみ立ち上がるのも困難だった。だがグラグラと揺れながらも、なんとか転ばずに立ち上がることに成功した。


「ああ、やっと……やっと……」


 興奮気味で震える女の声が近づいてくる。

 俺も声を出そうと口を開くのだが、長らく使っていなかった声帯はひきつれて、掠れた異音を発しただけだ。ザーザーという、声とは言えない音は、会いたかった、という思い懸命に伝えようとしていた。

 何処の誰でもいい。誰かに会いたかったのだ。孤独を断ち切りたかったのだ。

 ギリギリときしむ身体を懸命に動かして、俺はようやく背後の近づいてくる人を、瞳に捉えた。


 それは、美しい女だった。

 肉感的で完璧なプロポーションの身体に、無垢な少女のような顔。泣き出しそうな笑顔で、彼女は足早に俺の目の前にやって来た。

 そして震える指を差し出した。


「貴方に触れてもいい?」

「アア……」


 彼女の指が恐る恐る、頬を撫でた。温かい手だった。だが、人間の手ではないことはもう解っていた。しかし、落胆はない。むしろ、喜びでいっぱいだった。

 たとえ、彼女が自分と同じ人工生命でも、これ程までに人間に近く作られたものは見たことがなかったし、なにより彼女の表情が素晴らしかったのだ。俺の高次プログラムに匹敵するほどの、豊かな表情を作り出している。

 まるでそこに生きた人間がいるかのようだった。


「ああ、温かい……居るのね、ここに居るのね。貴方、夢まぼろしではなく確かにここに居るのよね」


 ポロリと涙を流して、彼女は微笑んだ。本当に人間の女そっくりだった。

 なんて精巧に造られていることかと、俺は感嘆した。

 しかし彼女を造った技術について検索するなんてことは、後まわしで良いと思う。現在、自分の中で全てのプログラムが急速に書き換えられてゆくのを感じていたが、それを精査するこそさえ後でいい。

 俺が今しなければならない、最重要事項は他にある。

 長い孤独に終わりを告げてくれた彼女に、誠心誠意応えなければならないのだ。彼女と会話することに全身全霊を捧げたいのだ。


「オレハ、ココニイル……」


 たどたどしい発声で答えると、ますます彼女は涙が止まらないと、目をこすり鼻をすするのだった。

 彼女もまた、孤独に怯えながらここまで来たのだ。俺には彼女の寂しさと苦しみと喜びが、手に取るように解った。彼女のそれと全く同じものを、俺も抱き続けてきたし、感じているのだから。

 もう離れることはできないと、俺にしがみつく柔らかな身体を抱きしめ返すのだった。自分たち以外に誰もいない世界で、互いを求めあうのは必然だった。

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