第8章 クソババアと俺

第1話 田舎に泊まる

 灰色の瓦屋根の上に腰掛け、前方に広がる田園風景をぼんやりと眺める。

 既に1時間くらい同じ姿勢でいるが、日差しが暖かく、頬を撫でるそよ風が気持ち良くて、もう少し日が傾くまではここにいたかった。


 眼鏡の部屋は築100年の日本家屋の2階にあり、窓の外は4畳半ほどの物干し場だ。

 そして、物干し場からは簡単に屋根の上に登ることができるのだ。

 騙されるようにして派遣された眼鏡の実家であったが、眼鏡のアパート以上に田舎の山間の村で両親の手伝いをして過ごす時間はとても穏やかで、俺の傷ついた心を癒してくれた。


 しかし、今見える田畑も山も全部白波家の持ち物だなんて驚きだ。

 あの貧乏臭く安っぽい眼鏡と威厳の欠片もないパピィが、400年以上前から続く名家の末裔だったとは、にわかに信じ難かった。


「狭い家でめんご⭐︎」とパピィが言った母屋は家というより屋敷だし、門は時代劇に出てくる大名屋敷の門みたいだ。


 敷地内に広がる日本庭園は庭師に定期的に手入れをしてもらっているとパピィはなんてことない風に説明した。


 優しく上品で美人のマミィは俺の実母より、大分自由で伸び伸びとした余裕のある女性で、「家のお掃除が大変なのよ。お手伝いさんを雇うのはもったいないし」と微笑み、俺に廊下の雑巾掛けを命じた。


 俺の実家も決して貧しくはなかったが、豊かでもなかった。

 父は憲兵をしているので、多少普通より良い給料だったのだろうが、身の丈の財産しかなかった。


 何故、ここまでの格差が生まれた。


「別に俺が働いた金でこの家建てた訳じゃないし。先祖代々の持ち物だから、何となく維持してるだけだよ。パピィもしがない地方公務員だったから、この家維持するのも精一杯でさあ。爺さん死んだ時に相続税払えなくて、大分畑売っちゃたもん」


 昨日の夕食の席で、パピィはけろっとした顔で言っていたが、ちんまりと背中を丸めて鎮座していたグランマが顔をしかめたのを俺は見逃さなかった。


 そう、こちらの世界の祖母は存命だ。


 俺の祖母は俺が10歳になる前に、病で亡くなったのに。

 優しくて、温かくて、控えめで、いつもかわいがってくれた祖母のことが、俺は大好きだった。


 だから、白波家の居間に案内され、こちらの祖母がテレビを見て寛いでいる姿が目に入った時、俺は不覚にも涙がこみ上げてしまった。

 20年も前に二度と会えなくなってしまった祖母が、20年分の年を重ねて、元気そうに生きているのは、たまらなく嬉しくて、感激してしまったのだ。


 20年分の感謝を祖母に捧げ、20年分甘えるつもりでいた。

 それなのに、どうして世界は残酷なのだろう。


「2号! 何遊んでんだい! 3時から老人会の集会があるって言ったろ! もう出るよ。40秒で準備しなっ!」


 1階の玄関前から、よそ行きのコートをまとったグランマががなり立てた。

 ルサンチマン王国にいた俺の亡き祖母なら絶対にしない、鬼のような形相に乱暴な言葉遣い。


「……2号じゃありません」


「あ? 聞こえないね! 早く降りてきな。あたしゃ、老人会は一番乗りがポリシーなんだよ」


 何故俺が老人会に祖母と一緒に参加しなければいけないのかは分からない。

 でも、押しの強さが半端なく、漆黒の最強の番犬近衛師団長の職を追われ、異世界追放された挙句に、きのこ化してしまった俺に勝ち目はない。


 俺は渋々屋根を降りた。


 神様、どうしてあの優しかったお婆様がこんなクソババアになっているのですか?


 白波家にやってきてから何度も繰り返した問いを、神様にしてみたが、もちろん何の答えも得られない。


「おらぁっ! 早くせんかいっ!」


 のどかな農村にクソババアの雄叫びが響き渡った。

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