第12話 パンドラの書

 家のドアを開けると、サツマ様が横から飛びかかってきた。

 どうも洗面所に隠れていたようだ。

 俺は身をそらして避けると、空振りを食らってガードガラ空きの背中に体当たりをかまし、壁に押しつけた。ばたつく腕を押さえ、締め上げる。

 サツマ様は低く呻いた。


「眼鏡っ! 何をするんだ。貴様、やはり只者ではないな」


「まんま熨斗つけて返すわ、その台詞」


「離せっ! 痛い」


「不意打ちに襲ってくる奴、簡単に離せるか。何が目的だ」


 体の前面を壁に押しつけられているため、奴は見返りの姿勢でこちらに顔を向けて答えた。


「貴様に聞きたいことがあったんだ」


「はあ? だからそんな厨二王国なんて知らねーよ。つーか、聞きたいだけなら普通に聞きゃいいだろ」


「フツウニキク?」


 サツマ様は日本人丸出しの一重瞼を見開いた。何故急に片言になる。

 抵抗していた力が抜ける。


「貴様は俺に隠し事をしている。だから、死なない程度に体に聞くしかない」


「前後の文が『だから』で繋がるのがおかしい。仮に俺が何か隠しているとしても、説得して話させるのが普通だろ」


「そういう奴は拷問しないと無理だぞ」


「言葉で説得したり、時に口を滑らすように話振って言わせるのが聴取者の腕の見せどころだろ。大体拷問で言わせた供述は裁判で使えない」


「裁判で裁けないなら闇討ちすればいい」


 やべえことを平然と言いやがる。


「そんなことより……」


 壁に張り付いたまま、サツマ様は言った。


「眼鏡、貴様の本棚に入っていた『設定資料集』はどうやって手に入れた。貴様、ルサンチマン王国のことなど知らぬと言っていたのに、むしろあの書にはルサンチマン王国のことが事細かに……」


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」



 今度は俺が暴走する番だった。

 こいつ見たの? あのノートを? 実家の家族に見られないよう、わざわざ引越しの時にも持ち出して、本棚の裏に隠しておいたのに。


 恋人も友達もおらず、公権力にガサをかけられる身に覚えのない俺なら、絶対に誰にも見つからないと思っていたのに。


 顔から火が出るどころか全身が炎上しそうだ。


 サツマ様を解放し、俺は羞恥のあまり崩れ落ちた。



「あれには、ボニー様と結婚して国王になり、子供が産まれるくだり以外は正確に俺やルサンチマン王国のことを書いてある。『世界の理の書』と呼ぶべき尊い書だ。眼鏡、お前も読んでいるのだろう? 何故俺のこともルサンチマン王国も知らないと嘘をついた」


「やめろ! 触れてくれるな! 読むも何も、あれを書いたのは俺だよ! 中学2年生の時に、もう一人の自分が異世界でナイトになってチートする妄想してましたあっ! 考えるだけじゃ足んなくて、授業中とかに設定資料集作ったり、小説書いたりしてました! 恥ずかしすぎて言いたくなかったの!」


 床に置いてある服や本を散らかすのも厭わず、悶絶する。俺は水から引き上げられた魚みたいにビタンビタンもんどり打った。


 やだあああ、よりによって本人に見られるなんてええ!

 こいつ痛いなあって、内心馬鹿にしてた奴なのにぃ!

 すっげえ死にたい。


「……」


 突然の発狂にサツマ様は呆然として言葉を失っているように見えた。

 そうだ。せめて自分が触れちゃいけないスイッチを押してしまったのだと悟り、空気読んで忘れてくれ。

 大袈裟に騒ぎながらも、こちらを見下ろす気持ち悪いくらいに自分と似た顔の表情を伺っていると、半開きになっていた唇が開いた。


「お主が書いたとは。まさか、お主は異世界を行き来する能力があるが、それが敵にばれるとまずいのか?! 敵はどんな奴だ。俺が始末してやる!」


 期待した俺が馬鹿だった。

 空気読めない上に、俺を上回る大馬鹿だ、こいつ。


 馬鹿すぎて頭痛がしたが、ふと閃いた。


 昼間唐澤から聞かされた仮説は、非常に認めがたいと受け止めていたが、あの仮説が本当なら、この厨二ロン毛ストーカー野郎が馬鹿なのも納得できる。


 俺は暴れるのをやめ、見えない敵討伐に燃えるサツマ様に向き直った。

 次は何事かとたじろいだ芋ジャージの肩を掴んで向き合い、ゆっくり落ち着いた口調で尋ねる。


「サツマ様、正直に答えて欲しい。お前、本当は俺の妄想なんだよな。彼女も友達もいなくて、拗らせた非モテが悪化して、脳に異常をきたし、厨二時代の妄想の産物であるもう一人の俺、つまりお前があたかも存在しているかのように感じるようになってしまったんだろ? オツムの病院に行くべきは俺だったんだ」


 俺そっくりの顔がみるみる無表情になり、はっきりとした侮蔑の相を浮かべた。


「何言ってんだ? 馬鹿か、貴様」

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