眠れない夜の、どこかの、誰か
眠れない。へとへとになるまで働いていたはずなのに。
帰ってきて直ぐは眠かった。
でも、帰ったらシャワーを浴びてご飯を食べて、ソシャゲのデイリーを消化して。
あー、ソシャゲのせいで眠れないのか?
いや、どうだろう。実際、ソシャゲをしても眠れる時は眠れるし、眠れない時は眠れない。
ああ、どうしたものか。
明日も仕事だ。だが幸いに昼からだ。まだ寝れる。その安心感が罠なんだろう。
まだ寝れる。まだ大丈夫。
そんな事を思って、だらだらとiPhoneを操作し、YouTubeを開く。好きなVtuberの配信を見る。コメントはしない。でもずっと見てしまう。
そしてそのうち寝ていたりする。
なのに今日は起きている。
なんとなく、そんな気分ではなかったのかもしれない。
最近、好きな配信者を見ていると、ふと思う。
“楽しそうだなぁ”
“良いよなぁ、ゲームやって喋ってるだけで生活できてるんだから”
そして気付く。自分の醜さに。
一番なりたくない自分に、なろうとしている。
いや、もうなっているのかもしれない。
一瞬抱いた自分の気持ちに、心底嫌になった。
YouTuberやVTuber、そしてタレントさんなど様々な媒体で自分を晒けだしてエンターテイメントを作り上げている人たちは、いわゆるバンドでいうところのボーカルのようなフロントマンだと思っている。肯定的な意見も飛び交えば否定的な意見にも晒され、誹謗中傷のように罵詈雑言を簡単にSNSに吐き出されてしまう世の中だ。
それなのに、それでも自分を晒けだすその姿勢や言動に、素直に尊敬させられる。
何故ならサービス業のアルバイトをしていた時の自分と重ねてしまったからである。
お客様に笑顔を振りまき、丁寧に、失礼がないように、そして気持ちよく帰っていただけるように、質問やお困りごとには真摯に向き合い対応する。
それでも、納得がいかない方々はたくさんいる。
毎日のように、どこの誰かわからない他人に、面と向かって理不尽な内容で怒鳴られる。
それに対応する為の会社から与えられた手札は、“心を込めた丁寧な謝罪”という聞こえのいいだけの唯の我慢の押し付け。
別にメディアにも出ていなければ、インターネット配信などやっていないこの身でさえも、『サービスへの不満』という正当性を帯びたような理不尽なクレームから発展し、個人的に口撃するような誹謗中傷にまで至る日々。
そんな経験を知った上で、何故配信やメディアに出たい、有名になりたいと思うのだろう? と不思議になったりもするが、それがその人の定めた目標や、挑戦したいという気持ちからの行動なのだろうと推測してしまう。
もちろん違う人も居るだろう。
そういうサービス業に不満があるのなら、さっさとやめて、サービス業ではなく違う職につけば、個人の悩みなんて即解決してしまう簡単な事なのに、今の環境に固執してしまう臆病で情けない自分がいる。
それの反動で、楽しそうにしている人を見ると、漠然と『人生楽しそうでなによりだな』と鼻で笑う醜い自分が出る。
その今の自分を客観視すると、その精神状態で今の道を歩き続ければ、罵詈雑言を吐き散らす絶対になりたくない自分が待っている気がして恐ろしいイメージが頭に湧く。
いやだ。それだけは絶対に嫌だ。
人の嫌なところは簡単に目に付く。だから否定するのは簡単だ。
だが肯定するには、その人のいい部分を意欲的に探す必要がある。
生きる上で、どちらを選択するかは自分次第。
それなら私は後者を選ぶ人間に成りたい。そうありたいと心から思う。
気付けばこんなふうに、ただボーッとどこかを見つめながら自問自答をやっている。
別になんて事ないものなのに、考え込んでしまってひどく疲れた気がする。
これなら寝れるかもしれない。
でもまだ足りない。あと一押しが欲しい。
体を起こして、ベッドから降りた。
足元に脱いだルームスリッパがあるのに、それを履かずに素足のまま歩いた。
フローリングが、やけに足に張り付く。
湿気だ。デジタル表記の置き時計に目を向けると、湿度八十四パーセントと記されている。
それは寝付けないはずだ。
気持ち悪い。ベタベタする。
耳をすますと、窓の向こうで音がする。
雨。それも結構強い。
湿気の正体はいきなり降り出した大雨だ。
轟々と唸りを上げて、雨が窓に叩きつけられている。
こんなに強い雨に気づけないほど、私はぼーっとしていたのか。
自分で自分を鼻で笑う。
エアコンの設定を、冷房から除湿にしたい。
リモコン、どこにやったっけ。
いつもあるはずの場所にない。リビングを見渡しても見当たらない。
あった。見つけた。だがなんでだろう? キッチンにあった。まぁいっか。
エアコンの設定を、除湿に変えた。
それでも、眠れないと思った。
理由はわからない。勘だ。長年の勘。
なにせ、三十年はこの体と付き合っているのだから、流石に感覚的なものは信用に値するだろう。
眠りにつくための、あと一押しを探した。
冷蔵庫を開いて、飲み物を見る。
「ウィスキーとアクエリアス、炭酸水、麦茶と、キムチ」
キムチは飲み物ではないか。
心の中で自分にツッコむ。
虚しくて笑えたものではない。
もう早く眠りにつきたくなった。一刻も早く。
ウィスキーと炭酸水を手にとった。キッチンのシンクに置く。
食器棚からグラスを取った。透明で、口が大きい。
冷凍庫の中にある、大きなブロックアイスを一つ手で掴み、グラスに入れる。
グラスは、ゴツゴツとした一つの氷でいっぱいになった。
グラスの中の氷を指で回す。なるだけ早く。早く。グラスが冷えてくれるように。
でも直ぐ諦めた。めんどくさい。マドラーなんて買ってない。もういいや。
グラスの中にウィスキーを注ぐ。
そして軽く回す。この匂いが結構好きだったりする。
次に、炭酸水を注ごうと開けた。
プシュッ! なんて爽快な音を期待していたのだが、そんな音はしなかった。
炭酸が抜けてる。いつ買ったっけ? 二、三日前? いや、もっと前だ。買ってきて、一口飲んで、冷蔵庫に入れっぱなしだったんだ。それもちょっとだけ、キャップの閉め方が甘かったみたいだ。
俺は、とことんズボラな人間だ。嫌になる。
もういいや。めんどくさい。
そんなこと、もういいんだ。
とりあえず酒だ。眠れない日には酒だ。と言っても日本酒なんて飲めない。自分はせいぜいチューハイや梅酒でいい。最近ハイボールにもハマっている。
その為に買ったんだ。この炭酸水と、ウィスキーを。
渋々と、元気のなくなった炭酸水をグラスに注ぐ。
右手には、ハイボールが入ったグラス。
それを持って、リビングの椅子に腰掛けた。
電気は間接照明だけ。
薄暗いが、ちゃんと足元は見える。明るい方より薄暗い方が落ち着く。
最初、ゆっくり飲もうと思っていた。
だが変な衝動に駆られて、一口で飲み干した。
飲んでみると薄かった。酔っぱらって眠りにつきたいと思いながらも、どこか酔っ払うことに抵抗しているんだろうか。
この後は、完全にやけを起こしたんだと思う。
グラス片手にキッチンに戻り、ウィスキーを注いでロックのまま飲み干した。
口に広がる独特の味。喉が焼ける。吸った息に乗って、香りが目の裏まで染み込むようだ。
長い、溜息が溢れた。
自分はまだまだ、子供のような味覚なんだろうか。
ウィスキーをロックで飲むには早かったようだ。
口の中に残る後味に、眉間を寄せてしまっている。
誰かが言っていたのを思い出した。
ウィスキーにはチョコレートが合う。
冷蔵庫を開ける。
あった。DARS。赤いパッケージのミルクチョコレートを手に取ろうとした。だがその横に並んでいた白いパッケージのホワイトチョコレートを取って、開けた。
一粒指で持ち上げると、冷えていて気持ちいい。
口に入れて、舌で転がす。
ゆっくり溶けて、チョコレートの優しい甘みが広がってゆく。
それがウィスキーの香りと混ざって、なんとも言えない美味しさと、安らぎのようなものをくれた気がした。
だがウィスキーの後味が強い。
それをなるべく緩和させようと、さっき飲んだウィスキーと同量の水をチェイサーとして飲んだ。
残る後味を和らげるために、チョコレートを四粒食べた。
そして、洗面台に移動し鏡を見る。
なんともまぁ、死んだ目をしている自分に笑いが出た。
歯磨きしたはずなのに、チョコを食べたせいでやり直し。
衝動に任せて飲んだウィスキーのおかげで、はちゃめちゃになった口内を、スッキリミントの歯磨き粉で一掃した後、体内に残るアルコールがお腹の内側から熱を発していた事で、酔っ払っているという事を自覚しながら、ベッドに戻った。
横になると、脳にアルコールが染み込むような感覚を覚えた。
アルコールの危機感と、これで眠れるという安心感の両方を心に抱きながら、いつの間にか眠りについていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます