書きたいことを、書きたいままに、書いてみた。

愛猫家ZONO

 とある日の公園

 私は、休日に散歩をしている。

 今日は少し遠くまで行ってみたくて、いつもの散歩コースではなく知らない道を歩いてみた。

 丁度二月が終わる。

 風の冷たさも和らいで、陽射しの暖かさが、体に染みるような日だ。

 そのおかげで、少し暑い。

 真冬用の格好で、厚着をしている事もあるだろう。

 それでも、寒いよりは良い。

 寒いのは苦手だ。寒いというより、痛いのが許せない。

 いくら着込んでも、布で覆われていない箇所は寒風に晒され、凍えという痛みを覚える。

 だから、今日くらいの気温は好きだ。

 冬から春へ移り行く途中の、寒さの中に垣間見える暖かさが、とても心地良くて心が弾む。


 そんな事を考えながら歩いていると、公園があった。

 自分が、幼い頃に遊んでいた公園と比べると、殺風景だった。

 そこそこ広い公園だから、色んな遊具が並んでいる賑やかな光景を想像したが、実際にはブランコ二つと滑り台だけ。

 たったそれだけ。

 砂場もない。ジャングルジムや、回転ジャングルジムも無くて、流石に鉄棒くらいは、と、見渡してみたがやはり無い。


 現代社会では子供の怪我に敏感で、昔は普通に遊んでいた遊具も危険視され、撤去が進んでいると、そんな話を聞いたことを思い出した。

 確かに、子供の身に何かあったらと思うと、心配だろう。

 その気持ちもわかる。

 だが、胸の中に、なんとも言えない寂しさが残った。


 これも、時代の流れか。

 こうやって歳を取って、俺が子供の頃は、あーだった、こーだったと宣うようになるのだろうか。

 そうなると、嫌われるんだろうな。

 実際、自分が子供の頃に聞いていた、近所のおじさんの話なんて、ろくに覚えていない。

 そのくらいつまらなかった。

 子供の頃は、一刻も早く遊びたかったし、友達と約束をしてるわけでもなく、自然と公園に集まり、集まったメンバーで、何かしらやって遊んでいた。

 それを急に、近所のおじさんが割り込んできて、過去話を延々聞かされていた時は、本当に嫌だった。

 この感情を、心の奥にそっと閉まって、老後の自分の糧にしようと、静かに誓った。


 そんな事を考えながら、ボーッと公園を見つめる自分の耳に、子供の声が聞こえた。

 少女の笑い声だ。

 少年の笑い声もする。

 自分がいる場所の丁度反対側は、階段になっているようだった。

 小学校低学年くらいの少女と、園児くらいの少年が楽しそうに笑い、元気に走りながら階段を上がってきた。

 少女は軽快だが、少年にとっては階段が少し高いようで、辿々しい。


 階段を登り終えた少女と少年は、公園内で追いかけっこを始めた。


 少し遅れて、母親だろうか、女性がゆっくりと階段を上がって公園に入った。

 

 母親は、子供達が走り回るのを見向きもせず、すぐ側のベンチに腰掛け、スマホをいじり始めた。


「おかーさーん!」

 娘が、母を呼ぶ。

「なーにー?」

「ブランコいっていーい?」

「いいよー」


 母の許しを得て、娘は上機嫌に走り出した。

「まーくん、ブランコしよー!」


 弟は、まーくんと言うらしい。

 お姉ちゃんとまーくんはブランコまで走る。

 先に走り出していたお姉ちゃんは、まーくんに差をつけてブランコに到着する。

 私はてっきり、先に着いたお姉ちゃんがブランコに乗って遊び始めると思っていたのだが、意外だった。


「こけちゃだめよー!」

 お姉ちゃんはブランコの後ろに回り、まーくんを待っている。

 まーくんもニコニコに笑い、お姉ちゃんの元に駆け寄っている。

「はい、ここすわって。ちゃんともっててね。いーい?」

 まーくんはお姉ちゃんに促されるままブランコに座り、横のチェーンをしっかり握ったようだった。


「あんまり強く押しちゃダメよー」

 母親の声が響いた。

「はーい。わかってるー」

 お姉ちゃんも負けないくらい大きな返事を返す。

 お姉ちゃんはまーくんの背中に両手を当てた。

「いーい? しっかりね?」

「うん!」


 お姉ちゃんは、ゆっくりと、優しく、背中を押した。

 まーくんは、満開の笑顔を咲かせた。


 大人から見たら小さな揺らぎのブランコでも、まーくんは満足そうだった。


 お姉ちゃんは押すのを止めて、まーくんの横に移動した。

「たのしい? こわくない?」

 お姉ちゃんの問いかけに、まーくんは「うん!」と返事をした。


 まーくんは、自重でゆったりと揺らいでいる。

 だが飽きたのだろうか、「あっちいく!」と言い出して、ブランコから降りたがった。

「えー? あっちいくの?」

 お姉ちゃんだってブランコしたかったのに。そう言いたげでも、弟の言う通りにしてあげているお姉ちゃんは、年の割にしっかりとしたお姉ちゃんをしていた。


 まーくんはお姉ちゃんにブランコを止めてもらい降りると、走り出した。

 目標は定まっていないのだろうか、大きくグルグル走り回る。


 そろそろ私も帰ろうかと、公園から目線を外し歩く。

 そして、公園を通り過ぎた辺りでお姉ちゃんが叫んだ。

「だめーー!!」


 慌てて振り返る。

 お姉ちゃんはブランコに乗っていたようだ。急いで地面を踏みブランコを止めて降りた。

 まーくんは……走っていた。一目散に。

「まさる! 止まりなさい!」

 母親の声も響く。


 それもそのはず。母親が座っていたベンチ側の反対、私が歩いていた車道側の出入り口に向かって全速力で走っている。

 振り返った私の視界には、車道を走る乗用車。

 こんな時に……!

 今まで全くと言っていいほど車は通っていなかった。なのに最悪な巡り合わせのように走っている。


 気付いたら、私も走っていた。

 公園に向かって引き返していた。

 まーくんは、笑顔で走っている。楽しいんだろう。嬉しいんだろう。気になるんだろう。この公園の向こうには何があるのか。それか、まーくんの見えている世界では、車道側の出入り口の先に何かあったのかもしれない。野良猫でも渡って行ったのかもしれない。

 それでもこのままいけば、凄惨な事故になってしまう可能性がある。

 いきなり子を奪われる親。

 いきなり子を奪ってしまう運転手。

 誰も、誰一人幸せにならないやるせない事故になる。

 公園に近づけば近づくほど、周りを囲む植木でまーくんの小さな体が見えなくなる。


 車道を走る車は、自分の方に向かって走ってきていた。運転手と目が合う。

 いきなり走り出したんだ。異変を察知したんだろう。

「ストップ! ストップ!」

 なんとか間に合え。その一心だった。

 いきなりのことで、声が裏返っていたと思う。

 それでも通じた。車は減速して、避けるように大きく膨らんだ。


 まーくんは、大声を出した俺の方を見ながら飛び出してきた。びっくりしたような顔で、走る勢いは弱まっている。


 追いついた。

 なんとか走り続けるまーくんを止めて、すぐに抱き抱え公園に戻った。


 公園の出入り口付近には、お姉ちゃんと、蒼白の母親の姿があった。

 まーくんを降ろすと、母親の元へ走って行った。

「ぁぁ、よかったぁ……」

 母親は、ため息のような声が漏れるとしゃがみ込み、駆け寄ってくる我が子を抱きしめた。


 私もホッとしたのは束の間。先ほどの車の運転手。

 さぞ肝を冷やしただろう。子供の飛び出し、いくら気をつけようとも、完全に防げるわけではない。だから事故が後を絶たないのだ。


 車道に目を向けると、車が止まっていた。

 私が車に走り寄っていくと、車の助手席側、窓が開いた。

 だが、なんと言えばいいのだろう。

「先程はすいません。すぐに減速していただいて助かりました」


 私の言葉に、運転手はムッとしたようだった。

「あんたさぁ、子供の面倒くらいちゃんと見とけよ!」

 運転手は若い男だった。

 そして、勘違いされたようだった。

 それもそうか。今の光景を見て、旦那だと思われたんだろう。


「あの、私はただの通りすがりです。公園からダメって聞こえて、振り返ったら子供が飛び出そうとしてたもので……」


「あ? なに? あんた親じゃねえの?」

「はい」

「んじゃ、あんた謝る意味なくね? てか親誰だよ?」


 後ろから走ってくる足音が聞こえる。

 振り返ると母親だった。


「あ、あの、すいません。私が母親です」

「あー、あんたが親ね?」

「はい! 本当にすいませんでした」

「次ないよ? 俺がすぐに気付いたから良かったけど、他の人だったら子供死んでるよ?」

「……はい。申し訳ありません」


 なんとも意地の悪い言い方をする。


 運転手は、当て付けのように急発進して去っていった。


 暗い空気に包まれた。

 だがみんな無事だったのだ。それでいい。

「お母さん、お子さんが無事でなによりです」


「本当に……ありがとうございました!」

 よく見ると、先程の運転手くらいだろうか。若い母親だった。

 そんな人が泣きそうな表情で、深々とお辞儀してくるのだ。

 どうしたものか分からなくなった。

「い、いえ、大丈夫ですよ。ここは車道ですので、戻りましょう」

「あ、そうですね、すいません」

 終始申し訳なさそうに、俯くお母さんと公園に戻った。

 出入り口の所では、お姉ちゃんとまーくんが待っている。一部始終を見ていたようだ。


 まーくんは、お姉ちゃんにしがみついて怖がっている。


「おかあさん」

 お姉ちゃんは、なにを思っているのだろう。

 ただ悲しげな表情で、母親を呼んだ。

「もう、大丈夫よ」

 母親は、しゃがんで娘の頭を撫でる。


 一方まーくんの表情は、はっきりとしていた。

 幼いながらに、自分は悪いことをしてしまったんだということを、しっかりと理解したのだろう。

 いつ泣き出してもおかしくないくらいに、顔が強張っていた。

 それを見たからなのか、母親の声色からは優しさが滲み出ていた。

「まさる、いつも飛び出しちゃダメって、言ってたよね?」


 まーくんは、大声で泣き始めた。


「おいで」

 母親が呼ぶと、まーくんは泣きながらお姉ちゃんから母親に抱きついた。


 息子を抱えて立ち上がったお母さんは、私の方に向き直った。

 泣きじゃくるまーくんをあやす様に、背中をトントンと叩きながら「本当にありがとうございました。おかげで、こんなに元気です」


 私はその一言で、お母さんの安堵や感謝が伝わってきて心が暖まった。

「本当に良かったです。元気なお子さんに、弟の事をよく見てるいいお姉ちゃんじゃないですか。素敵ですね」


 お母さんと、お姉ちゃんは笑顔になった。

 

「それでは、失礼します」

 そろそろ帰ろうと一礼して去ろうとすると、お母さんから重ねて感謝を述べられ、お姉ちゃんからは「ばいばい」と言われた。


 なんとも子供は不思議である。

 目に映るもの全てが新鮮で、楽しそうで嬉しそう。

 大人になる過程で、慣れ親しみ過ぎて薄れていったものを大事に抱えているような、そんな存在な気がする。

 私自身、子供を育てたこともなければ、甥っ子や姪っ子の面倒をみた程度だが、それでも大変だった。

 子育ては大変なんだろう。最初の母親を見たときの印象も、どこか疲れ切っているような感じだった。


 それがたった今、別れ際に見た母親の表情は、子供の無事に心底安堵したような笑顔だった。


 親は子を思うもの。


 子が心身ともに健康なら、親はそれだけで安心するものなのだろうか。


 こればっかりは親になってみないと分からないのだろうが、突き詰めていけば、そこに行き当たるのではないだろうか。

 そんな事を考えさせられる出来事だった。


 綺麗事なんか通用しない、そんな様々な形の家庭がある中で、素敵な親子愛を感じられるほどの家庭を築けたら、それは幸せなんだろうなと、私はそう思った。

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