贈り物
すいとんを三人で食べたあと、歩美はパイを焼いた。さっき貰った薩摩芋に甘いソースをかけ、パイにしてみた。冷凍してあったパイ生地は三軒分にしてはかなり多く、薩摩芋のパイだけではやっぱり質素だった。
おやつに、と信治と千代子にパイを渡し、お礼を渡してくると家を出る。ジョーヌへと車を走らせ、いつもの席に座る。あげると言われたコーヒーチケットに払うなんて言ったものだから結構な量になってしまっていて、席に座れば自然と「いつもの」が出てくる。
「ねー、マスター。お腹空いてない?」
「そりゃ昼食なしだからね。」
「ハイ、差し入れ。味見して。」
「うまそうじゃん。頂きます。」
サクリ、という軽い音と薩摩芋の甘い香りが鼻をくすぐる。
「うま!レシピ教えてよ。アフタヌーンメニューに入れようかな。」
「美味しい?」
「うまい!あー、いいなあ。美味いよ、本当に。」
「ご近所さんから野菜貰ったから、お礼に渡そうと思って。」
「あー、それで味見かあ。」
「そう。あとジョーヌのコーヒーギフトも買いに。」
「毎度あり。けど、さっきのパイ美味かったなあ。」
「本当に本当?」
「うん。また食いたいもん。」
「マスターなら作れるでしょ?」
「まあね。もう大体の材料のイメージはできてる。」
「やだー。盗作じゃん。」
「いいじゃん。美味しかったもん。」
気がつけば、あの日の告白がなかったことのように接してくる峯田に歩美は困惑していた。けれど悪い気はしなかった。もしかしてあの日もそんなに大した意味もなく言ってるのかもしれない。
「そろそろお礼渡して来なくちゃ。」
「三つだよね?紙袋にいれてあるよ。」
「ギフトセットいくら?」
「コーヒーチケット二枚分。」
「今日で七枚減ったかあ。」
「けどまだまたあるよ。」
峯田が指をさした方には何枚も重なったコーヒーチケットの束があった。
ありがと、また来るねと、いつもの癖で小銭をテーブルに置いて店を出る。
「七枚じゃなくて六枚だよ。」
赤い車が走り去るのを見ながら峯田が呟いた。
歩美はそのまま、三軒の家を順に訪ねた。
「パイを焼いたんです。良かったら、召し上がって下さい。あと美味しいコーヒーなので嫌いでなければ是非。」
皆喜んでくれたようで少し安心した。一旦家へ戻って二人からパイの感想を聞こう。寒くて頭が少し痛いが、足取りは軽い。
「戻りました。」
「あゆちゃん!大変。」
「えっ、」
「お父さんが」
「何があったんですか!?」
「頭が痛い、吐きそうって頭痛薬を飲んだの。20分くらい前よ、」
「後は?」
「さっきから顔の血色が悪くて呼吸が荒いの。呼んでも返事もないし。」
「お母さん、救急車を、修平さんにも連絡してください。」
「ええ、わかったわ。」
「お父さん!お父さん!起きてください!お父さん!起きて!お願い!お父さん!起きて!歩美です!起きてください!」
呼び掛けを続けながら脈を測る。不整脈というより、ほとんど止まっている。頬を軽く叩いても、信治は意識がないままだった。
「あゆちゃん、胸骨圧迫?ってできる?」
「はい、」
またお父さんの心肺蘇生をするなんて思ってもいなかった。胸元を強く押しながらも呼び掛ける。
「お父さん、起きて、お父さん、お父さん、いやだ、お父さん、お母さんを一人にしないであげて、お父さん、お願い、お父さん!」
一つに結った髪が乱れて汗が止まらなくても、呼び掛け続け、胸を強く押す。
「お父さん!お母さん寂しいじゃない!まだだめだよ!お父さん!返事してよ、お父さん!」
「救急隊です。」
救急隊が到着したことで、歩美はやっと気が鎮まってきた。
電気ショックを受けた信治は意識を取り戻した。
「あなた!」
「お父さん!」
千代子も歩美も信治の手に吸い寄せられ、包み込んだ。
良かった、良かったと安心した千代子と歩美だったが、信治の口許が少し動いたのを見て、二人とも無音になる。
「千代子、すまない。心配かけて。」
「本当ですよ、もう、」
「歩美さん。すいとん、ほんとに、ありがとう。また、食べたい、あとね、」
話しながらも瞼がゆっくり落ちていく。
「作ります!作るから!お父さん起きて!起きて、またすいとん食べよう?」
「あんなやつと結婚してくれて、ありがとう。君はもう知ってるんでしょう?苦労を、かけてばかりで
ごめんね、」
信治は修平がしていることがわかっている口ぶりだった。
「お父さん!今はそんなこといいから、ねえ、息して!お父さん!」
もう、信治はダメだと歩美は確信に近いものがあった。何人も、そういう人を何人も見てきている。
修平に千紗のお迎えを任せ、千代子は信治とともに救急車に乗り込み、一足先に病院へ向かった。
「娘さんは火の元の安全をしっかり確認してから玄関の鍵もちゃんと閉めてから向かって下さい。」
「はい。」
救急車が発進しても尚、歩美は動けずにいた。
「どうしよう、お父さんが、どうしよう、」
遠くで携帯が鳴っている。千代子からだろうか。番号もろくに確認もせず通話ボタンを押す。
「もしもし?お父さんの、」
「ごめん、俺だよ。」
「マスター?」
峯田の声に少し安心感を得る歩美。さっきまでの殺伐とした、茫然としな気持ちは何処かへ行っていた。
「忙しそうだから今度にするよ。」
「ごめん、なさい」
「いや、俺こそ。」
何かが吹っ切れたように、車に乗り込み病院へ向かったが、あれから信治が息を吹き返すことはなかった。
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