一番

 彼女は俺の一番だった。初めて会ったのは車のイベントでだった。派手な真っ赤のライダースジャケットに豹柄のワンピースというかなり無茶苦茶なファッションで誰よりも目立っていた。高いピンヒールを履いていて、それで運転なんてと遠目に見ながら思った。きっと高嶺の花、美人なのだろうと思いながら声をかけた。

「どうも。あーちゃん、ですよね?」

「そうですけど?」

「おれ、」

「あ、もしかしてペイくん?はじめまして。」

「えっ?」

「あっ、ごめんなさい。」

「いえ、何で分かったのかなって。」

「そのキャップ。」

「あ、同じの持ってるんだっけ。」

「うん。今日は被ってないんだけどね。」

 自分の二つ下とは思えないくらい大人びた話し方が同世代と違うように感じた。飛びきり美人でもなく、アイラインはハッキリと描かれているのに濃いと感じない。こちらが化粧が崩れるのではないかと心配するくらい、大きな口で笑う彼女が印象的だった。職場の最寄り駅が同じで住んでる場所も近くて今度飲みに行こうと連絡先を交換した。


 彼女は忙しい人だった。仕事は毎日残業続き、休みに車かバイクで友達と会ったりして過ごすという。仕事終わりに今日飲みに行かないかと誘ったら残業があるから無理と断られた。何時でもいいからと無理を言ったら八時くらいになるけど、それでもいいならと約束をした。

 いつも決まって八時、入って早々にビールを注文してカウンターで二杯くらい引っかけて、それぞれ帰る。仕事の日もハッキリとアイラインを描いていた。

「あーちゃんさあ、男居ないの?作んないの?」

「車もバイクもいるから、彼氏は別に。」

「俺は彼女欲しい。誰か紹介してよ!」

「そう言ってるうちは彼女なんかできるわけないじゃん。」

「できる!ちょっと小柄でー、スタイルがよくて、巨乳で可愛い彼女がいつかできる!」

「バカじゃないの。」

 毎度そう話すのが決まりのようなものだった。バカじゃないの、と彼女が笑って言う。そうだよなあ、俺にはやっぱり無理だよなあって言いながら、雑談がまた始まる。それがお決まりだった。

 彼女のことは好きだったけれど言ってしまえば、こうやって飲みに誘うことすらできなくなる。だけどある日、いつもよりちょっと飲み過ぎて口が滑った。

「あーちゃんさあ、男作んないの?」

「作らない。」

「なんで?」

「車もバイクもメンテナンスさえしてれば裏切らないけど、男はどんなに好きでも裏切るから。」

「あーちゃんはさモテるでしょ、俺と違って。」

「モテるっていうかヤリたくて近づいてくる感じだよ。みんな視線はここだから、」

と、歩美は胸元を指した。

「あー、わかるかも。あんまり意識してなかったけど、盛りの男にはいい的だよな。」

「なにそれ。嫌な言い方。」

「あーちゃんはかわいいよ。黙ってたら本当にかわいいし。」

「黙ってたらって所が余計なんだけど。」

 あはは、と笑いながら俺の腕を叩く手の小ささに、つい守りたくなると思った。他の誰かに守って欲しいのではなく、俺の手で守りたいと。

「男除けとしてさ、付き合ってみる?俺ら、」

「えっ、」

「俺さ、あーちゃんのことしょっちゅう呼び出したりとかしてさ、最初は友達として接してたんだけど、なんか気付いたらあーちゃんが居ないとつまんないんだよね。」

 話すのをやめたらもう二度とまともに会えない気がして、そのまま修平は話し続けた。

「俺が彼氏じゃ、無理そう?」

「酔いすぎじゃない?」

 ジョッキを口元に運びながら、彼女が聞く。

「酔ってるけど、酔ってないとこういうこと言えねーしさ、男除けとして付き合ってみない?」

 アルコールのせいなのか、緊張してるのかよく分からない心臓の高鳴り。背を伝う汗。彼女は酒に強かった。俺が知る女性のなかで誰よりも。

 立ち上がって頭を下げると、自然に右手が出た。ぎゅっと目を瞑っても居酒屋の喧騒も聞こえないくらい、心臓がバクバク言っている。すっと目を開けると自分の足がカタカタを震えている。

「はい、」

 差し出した右手を彼女が取る。初めて触れた彼女の手はビールを飲んでいたわりに、ひんやりと冷えていて、俺と同じように小さく震えていた。

「や、やったぁ、」

 ヘナヘナと情けなく椅子へ座り込む。

「兄ちゃん頑張ったな!俺から祝杯だ。」

 やり取りを見ていた大将が二人分のビールを置く。

「ご馳走になります!」

 俺の震える手と足とは裏腹に、彼女は豪快にビールを流し込んだ。

 姉ちゃん、いい飲みっぷりだ!めでたいな、という声を聞いて安堵する。ちょうど、会計をしていたおじさんがカップル成立だって?祝儀だ、奢ってやるなんて言い出し、本当に二人分払っていってしまった。

 兄ちゃん確りしろよ、姉ちゃんのが強そうだからな、と見ず知らずの人に祝われ、激励された。

それが俺と彼女の記念日。その時は彼女と結婚するなんて思ってなかったけれど、彼女と結婚を後悔したことはなかった。一番綺麗な人と結婚した、世界一の幸せ者だと思っていた。それなのに。

 俺は職場の女性に惹かれた。知り合った頃の彼女によく似ていて、気が付けば目で追っていた。懐かしいような、そんな気分のはずだった。彼女が好きだと自覚しても、好意を伝えられても、彼女を抱けなかった。彼女を苦しめてしまうと分かったから。今でも十分苦しませているのに。

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