告白

 東山が出勤してきたから早々に席を立った歩美は内心慌てていた。冗談だと分かっていても尚、峯田の言葉を嬉しいと思ってしまった。落ち込んだ気持ちを紛らわす為だと分かっていても、だ。

 修平が浮気をしている、そう気付いてから、こんなに気持ちが浮ついたのは初めてだった。もしかして、反応をからかわれているのではないかとも思ったが、峯田が相手ならそれでもいいと思った。同じように車が好きで、話も合う。聞き上手だけど、常連客に歩美の知り合いもさして居なければ、彼が誰かに吹聴してまわることもない。けれどジョーヌになかなか足が向かない日々が続いた。

 いつもは行かない喫茶店に行っても何だか落ち着かない。話し相手も居ない。そんな歩美を喫茶店の窓から見ていたのは東山だった。

 俺には関係ない、その喫茶店を一度通り過ぎ、ジョーヌへと向く。今日の客足はどうだろうか。


 ただの常連客、そう思っていた歩美にいつの間にか惹かれていた。毎日ではないものの、一人でふらっと来て雑談をする。車とバイクが好きで話が合って、そんな彼女をある時までは独身だと峯田は思っていた。

 カウンター席に座った歩美にいつものブレンドを出した時、彼女の左手を見て、そういう人がいるのと理解した。彼女が通い始めて三ヶ月になる頃だった。諦めるほどまだ好意を持っていない。そう言い聞かせて、いつもと変わらないように接した。子供同士でトラブルがおきて親同士で話し合った相手の親がモンスターペアレントだったという愚痴や職場のお局さんとの話、いつも峯田は聞き役に徹する。

「マスターっていくつなの?」

 いつだったか、そう聞かれた日があった。

「三十一だよ。」

「じゃあ、うちの主人と同じ年だ。」

「えっと、お姉さんは?」

「唯川。わたし、ゆいかわ あゆみ。」

 ただの顔馴染みの客の名前なんて知るはずもなく、お姉さんなんて呼んだ自分が恥ずかしかった。

「唯川さんは?ご主人と同じくらいの年?」

「うん。二つ下。」

「初めて知った。年も名前も。」

「ただの顔馴染みだもんね。」

 化粧っ気がなく、よく大口を開けて笑う彼女がやけに綺麗に見えた。きっとご主人もそういうところに惹かれたんだろう。結婚してると分かっているし、もう好意は抱かない。そう決めていた筈だった。なのに。

 俺ならそんな顔させない、なんてどうして口にしてしまったのか自分でもわからない。好意を抱かない。そう決めた筈なのに、彼女を困らせた。気に留めた様子はなかったけれど、あの日から彼女は店に来ていない。その真実が物語っている。


 その頃、東山は歩美と向かい合ってコーヒーを飲んでいた。

「珍しいですね、店以外で会うなんて。」

「最近よく来るんです、ここ。同じ幼稚園のお母さんに教えてもらって。」

 東山は確信した。あの日の告白を歩美が気に留めていることに。

「それより、東山さんはこんな時間にここに居ていいんですか?開店準備とか、」

「まあ、たまには。歩美さんがいるのが見えたんで。口説いておこうかなって。」

 ハハハ、と笑う東山だったが目は笑っていない。

「またそんな冗談言って。」

「それは俺だから?」

「えっ?」

「怜央ならなびいた?」

「まさか。」

「怜央のヤツ、最近なんかおかしいんですよね。歩美さんもなんとか言ってやってくださいよ。」

「最近、ジョーヌに行ってないの。知らなかった。どこか悪いのかな、」

「たぶん恋煩いかな、俺が思うに。」

「恋、かあ。マスター独身だし彼女いないからいい人居るといいんだけどね、」

「それがなかなか叶わない片思いっぽいですよ。アイツ、最後に別れた女がなかなかヘビーだったから。久しぶりにそういう気になってくれて俺は応援したかったんだけど。」

 歩美の手がグラスに当たり、水が零れる。ワンテンポ遅れて、ああごめん、私そそかしくて、と歩美がおしぼりでテーブルを拭くのを見て、東山は確信した。彼女は動揺している。あの告白は無駄じゃなかったぞ、怜央、そう心で呟く。


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