本音か建前か、罠か
たまたま東山と遭遇した歩美は、彼に流されるまジョーヌへ行くこととになった。
カランコロン、と来客を知らせる鈴が鳴る。
「すいません、もう閉店で。」
「マスター、久しぶり。」
「元気だった?」
「よォ。」
「ヒガシは裏口から入れよ、開店準備なんだから。」
「たまたまそこの喫茶店で会ったから連れて来ちゃったんだよなァ。」
「会ったからってお前、」
カウンターの扉を通り、店の奥へと進みながら話をする東山は峯田に耳打ちをした。
「思わず口説いちまった。悪ィな、怜央。」
「ヒガシ、お前!」
「彼女、いい女だよなァ。化粧っ気はないけど、話題は豊富だし気取らないし、何か色っぽいよな。俺も惚れたかもしんねぇわ。」
「調子乗ってんじゃねぇぞ、ヒガシ!」
峯田を挑発し続ける東山はニタリと笑い続ける。
「連絡先聞いちゃったから、今度はお茶でもって誘ってデートでもしちまおうかなァ。」
挑発をやめない東山の胸ぐらを峯田がつかんだ。
「ちょ、ちょっとマスター!?どうしたの!?」
「少し歩きゃラブホでも何でもあんだろ?人妻って骨抜きにしてくれそうで燃える。」
「やめ、ろ、」
右手を振り上げた時、バシャンという音とともに氷水が二人にぶつかった。そこにはピッチャーを抱えた歩美が立っている。
「やめなさい!何が原因かは知らないけど!マスターも手を離して。」
歩美がそう言おうと峯田の手が緩むことはない。しびれを切らした歩美がカウンターの中へ入ってこようと体の向きを変え、こちらへやってくる。峯田の手は緩むどころかどんどん力が増していく。
「本気になんなよ。九割冗談だよ。」
してやった顔の東山が峯田に笑った。食わされたんだと分かっても東山の胸ぐらを掴む手を離せそうにはなかった。
「マスター!本当に離してあげてってば!」
間に入るように立った歩美が二人を突き飛ばすような形で場を納めた。
「悪かった。俺もやりすぎた。」
「な?おかしいだろ、怜央のやつ。」
東山は歩美にそう話を振る。
「マスター、ちゃんと休んでる?大丈夫?」
「ちょっと疲れてるかも。」
「後片付け、私やっとくから。二人ともまずは着替えて。風邪引くよ。」
いや、でも、と峯田が突っ掛かったが、私がピッチャーの水かけたんだし、と歩美は笑って見せるだけだった。
二人で無言のまま着替えて戻るとカウンターの水溜まりはなかった。
「ごめん、そこの雑巾使った。床拭き用でしょ?」
「ああ、そう。ありがと。助かった。」
「咄嗟に止める方法がこれしか思い付かなくてごめんね、」
「いーのいーの。歩美さんが止めてなかったら今頃俺、怜央に殴られてたし。」
東山が茶化しても、峯田は乗らなかった。
「お礼にコーヒーご馳走するよ。」
「いいよ、悪いし。さっき東山くんとコーヒー飲んできちゃったし。」
「そっか。」
「ごめんね、」
そのごめんはお礼を断った謝罪なのか、うちではない店でコーヒー飲んできたことの謝罪なのか、こないだの告白を断るものなのか、峯田は考えて仕方なかった。
じゃあさ、と提案したのは東山だった。レジの下の棚をゴソゴソを探し、十枚綴りのコーヒーチケットを取り出す。
「これ、歩美さんのね。」
太いマジックで「あゆみ様」と書かれたチケットをレジ横のボードに貼る。
「これなら手ぶらでも来れるっしょ?」
にやりと笑う東山の横顔で峯田は察した。背中を押されているような気分で、今なら言える気がした。
「最近来てなかったし、ちょうどいいな。」
「けど、そんな、」
「あんまり来ないとまた何かあったのかと思うから、定期的に来てよ。」
もう彼氏にも、旦那にもなれない。彼女には家庭がある。せめて、話が合って何でも話せる友人程度の存在でいたい峯田だった。
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