第2話 筑前煮
俺が転校したのは関東にある私立の学校だった。
偏差値は高くもなく低くもなく、そこそこの勉強しか出来ない俺でも授業についていけるレベルだ。
諸事情から俺はアパートで一人暮らしをする事になり、掃除や洗濯は勿論、自炊までするようになった。
前から料理は偶にしていたから苦にはならないけどな。
一番苦しかったのは転校初日の挨拶だった。
転校生イベントなんてのは学生からしたら夢が詰まったものであり、それがイケメンだったり美少女だったりすればラブコメが始まる予感がするのだが、生憎と俺はモブ……それ以下かもしれない。
身長は平均より高いのだが、体型のせいで小さく見られがちだ。目は死んでるしな。
「おい転校生。一緒に昼飯食べようぜ!」
「あー、先生に呼ばれているからまた今度な」
そんな予定は入っていないのだが、俺はせっかくの誘いを断った。
誰も知らないが、俺と一緒に食事すると気分が悪くなる人が出るかもしれない。
どこか人目につかない静かな場所でひっそりと過ごしたいのだが、初日なせいで学校の中がよくわからない。
場所によっては飲食が禁止な所もあるので悩む。
(便所……は飯が不味くなるからなぁ)
食事というのは味覚と視覚、嗅覚でも味わうので臭い場所はNGだ。
それに、便所飯なんてしているのがバレた日にはどんな陰口を言われてしまうかわかったもんじゃない。
「手頃な場所は……旧校舎か」
普通教室が集まっている新校舎と、パソコン室や図書室といった特殊教室が集まっている旧校舎があったので、俺はそこに目をつけた。
旧校舎の最上階は昼休みには人が集まらなさそうな教室が固まっていたからだ。
とはいえ、利用されていない教室には防犯の観点から鍵がかけられているので、入ることは出来ない。
「仕方ないけど階段に座って食べるか」
旧校舎の最上階から屋上へ繋がる階段ならば誰も近づかないし、落ち着くな。
そう考えて階段を登っていると、バタンという音がした。
屋上に繋がる扉?
「まさか行けるのか?」
高校生になったら屋上で告白したり食事をしたり昼寝をするなんてのは空想上の産物で、実際は立ち入り禁止になっているのが常識。前の学校でもそうだった。
だが、もしも行けるのならば……。
ロマンを求めてドアノブを押すと、扉はギギギと音を立てながら開いた。
鍵はかかっていなかった。
「スゲェ……夢が一つ叶った」
こじんまりとしているが、飯を食べて昼休みを過ごすなら充分だ。
入れた理由としては柵が高いし二重になっていたからかもしれない。これなら万が一の事故も起きにくそうだ。
「風が気持ちいいな。これからは毎日ここで食べよう」
これはとんでもない穴場スポットを見つけたかもしれない。
場所的に他から覗きにくいし、大騒ぎしなければ気付かれる心配も無さそうだ。
入ってきたドアのある小屋みたいな場所の影なら誰にも邪魔されずに安心して昼寝も出来るな。
そう思って俺は地面に座り込んで弁当を広げる。
初日なので購買のパンや弁当のメニューを開拓したくはあったのだが、昨日の晩飯を作り過ぎてしまったので弁当を持参する事になった。
「いただきます」
食べるのは煮物。竹の子やしいたけの入った地元の味。鶏肉と具材を最初に炒めるのがポイントだな。
「うむ。美味い」
煮物は冷えても美味しい。
竹の子のコリコリした食感と味の染み込んだしいたけ。にんじんも甘みがしっかりしている。
白米と一緒に食べていると、どこから音がした。
ぐぅ〜という腹の音だ。
「誰かいる?」
俺がいる小屋の反対側。丁度日陰になっている場所に行くと、人が一人居た。
制服の上から黒いパーカーを着てマスクをしている少女だった。
「……ちわッス」
「こんにちは……」
少女はスマホを片手に持って、もう片方の手でエネルギー補給用のゼリーを握っていた。
「なんか用ッスか?」
「いや、なんでも……」
睨むような目つきだったので、その場から離れようとする。
するとまた、ぐぅ〜という音が少女の腹から鳴った。
「……あの、良かったら少し食べるか?」
俺は手に持っていた煮物を差し出した。
ついでに、食事の後に使うかもしれないといつも弁当箱に入れていた爪楊枝を取り出して竹の子に刺す。
「いらないッス。食事なんてただの生命維持活動ッスから。必要な栄養素が簡単に短時間で摂取出来ればそれで、」
再度、ぐぅ〜と腹が鳴る。
少女は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「体は正直だな」
「セクハラッスよ……一口だけ貰うッス」
マスクを外して爪楊枝を手に取る少女。
顔のパーツが整ってるし、メイクをしているわけでも無さそうですっぴんで美少女とかレアだ。
俺がまじまじと顔を見ていたのに気づいたのか、少女はムスッとした表情で竹の子を口にした。
コリコリという咀嚼音が聞こえる。
「……美味しい…」
目を丸くして呟いた感想は俺が欲しいものだった。
「だろ?普段より煮詰める時間を長くしてしっかりと味を染み込ませたんだ。次はしいたけ食べてみて。こっちの方が汁がよく染み込んでるから」
「しいたけ美味いッス!」
さっきの不機嫌そうな顔はどこへやら?
少女はちびっ子みたいに目を輝かせて次から次へと煮物を食べ始めた。
幸せそうに笑いながら食べて貰えると作ったかいがあるってもんだ。
「こんな美味しい食べ物初めて食べたッスよ!」
「それは言い過ぎだって。食堂とか料理屋の方が美味しいと思うぜ?」
俺が作ったのは田舎の婆ちゃんがなんとなくで作っていたのを細かくレシピにして作ったものだ。
所詮は庶民の家庭の味なのでどこでも味わえる物だと思っている。
褒め過ぎじゃないか?
「私、外食とか殆どしないし。食事はいつもゼリーとかカロリー棒で、カップ麺やコンビニ弁当は体に悪そうだから食べた事ないんスよ」
「マジかよ。毎食それなのか⁉︎」
悪くいうつもりは無いし、忙しいけど短時間でお腹を膨らませるには便利だ。
でも、それだけで生活するってのは耐えきれない。味にも種類はあるんだろうけど、飽きるだろ。
「他の家族は?」
「母子家庭ッスけど、出張とか単身赴任が多い人なんでお金だけ貰ってます。お母さんが何食べてるかは知らないッスね」
おう。複雑なご家庭だったりするのか?
まぁ、このご時世離婚なんてありふれてるし、高校生にもなれば珍しいとも思わないけど、誰かと飯を食べる機会も無いのか。
「自炊とかしないのか?」
「料理してる暇あったら趣味に費やしたいんで。食事代だってちょろまかして余った分をゲーム代に注ぎ込んでいるんで」
おい。心配を返せ。
ただの節約じゃねーか。食事を犠牲にして遊ぶゲームがそんなに楽しいか?
食費を浮かせたいのはわかるけど、逆に高くつかないか?栄養食品なんて。
「でも、久々に味と食感がある物食べると美味しいッスね」
「さっき食事はただの生命維持活動って言ってたな。俺からしたら飯は趣味であり娯楽であり幸福だよ」
「理解出来ないッスね。ただ美味しいだけじゃないッスか」
「そうさ。ただ美味しいだけでこうして他人と話すきっかけにもなるし、時間と手間かけて作った俺の料理は褒められるし、お前はお腹と心を満たせた。それって凄いことじゃないか?」
「……臭いッスね」
「それ言うなよ」
自分でも恥ずかしくなってきた。
初対面の相手に何を言っているんだろうか俺は。偉そうに言える程の人間じゃないのに。
でも、何故か言いたかった。教えたかった。
食事ってあったかいんだって。
「ごちそうさまでした。ありがとうございますッス」
「残さず全部食べたな。いい食べっぷりだ」
煮物が入っていた弁当箱は空になった。
爪楊枝は最後まで止まらず、むしろ無くなったら悲しそうな顔してたからな。
そのおかげで俺に残されたのは白米のみになったけど、今日くらいは我慢するか。
さっきの美味そうに食べるコイツの顔をおかずにでもして……何か卑猥じゃないか?
「あの、良かったらお礼にどうぞッス先輩」
「先輩?お前一年なのか?」
「知らないで声かけたんスか?上履きの色とか制服のリボンの色が違うじゃないスか」
言われてみればそうだ。
「今日から転校してきたからさ。まだその辺をよく知らないんだよ」
「確かに見慣れない顔ッスね。先輩みたいな人って一度見たら中々忘れられなさそうッスけど」
はい。体型のせいで目立ちますよ俺は。
中肉中背の地味なだけの奴なら人混みに紛れたら分からなくなるけど、デブって一種のステータスだよな。デバフの意味で。
「屋上に来る時点で変だとは思ってましたけど、転校生ッスか……」
「もしかして立ち入り禁止だったりするのかここ⁉︎」
転校初日から校則を破るなんて俺はなんて事を⁉︎
そしてさも当たり前のように居たこの少女は飛行少女
だったりするのか⁉︎……非行な。飛ばないよ。
「推奨はされてないッスけど、立ち入り禁止では無いみたいッスよ。入学してすぐはそれなりに人が居たんスけど、わざわざ移動するのがダルいし、コンクリだから夏は暑いし冬は寒いし、景色も毎日変わらないんで一回来れば充分だって思ったんでしょうね。毎年そんな感じらしいッスよ」
「良かった…」
ホッとしたよ。セーフなんだな。
しっかし、この絶景でいかにもな学園漫画なポイントなのに人が少ないなんて勿体無いな。
まぁ、居ない方が穴場的な感じもして俺としても助かるんだけど。
「お前は毎日ここに居るのか?」
「そうッスね。教室と違って騒がしく無いし、風は気持ちいいし、昼休みは暇なんで」
教室が騒がしいなんて友達居ないのか?
俺が言えた義理じゃないが。むしろ、俺なんか教室に居ちゃいけないと思って自主的に出てきたわけだけどな。
「なら、明日から俺もここの常連になっていいか?」
「別に私に許可取る必要ないッスよ。お好きにどうぞ」
こうして俺は新しい学校で居心地の良い場所を見つけた。
そして新天地で初めて話せる相手もゲットした。
明日もちょっと多めに弁当を作ってみようか?
偏食な後輩の食べっぷりがやけに鮮明に脳裏に刻まれたような気がしたのだった。
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