また、従う

 そのとき、何かが起きれば、俺の首は切られることはなかった。


 俺は思い切り包丁を右から左へ引いた。

 うつむいた姿勢で切り裂いたためにズボンにはペットボトルを倒したかのごとく大量の血が降り注いだ。


「ごぽごぽ……」


 声にならない音がのどから聞こえる。肺からの空気が漏れる音だ。

 痛みが首から後頭部を貫き顎ががくがく震える。


 痛い

 痛い

 痛……い?


 気がつけば痛みが消えていた。俺は死んでしまったのかと思った。

 違う。

 ズボンが濡れて気持ち悪い。手から落ちた包丁がそこに落ちている。両手も血まみれだが、首の皮はつながっている。切り口がない。

 俺は喉を触った。喉仏がある。剃り残したひげの感触。


「どうして……」


「言っただろ」


 いきなりスピーカーから声が聞こえた。カマエルだ。


「何もかも説明したはずだ。最低限、ってさ。生きていけるってことは死なないってことだよ。これだから言語は難しい。テレパシーで伝えたいよ」


 ショックを受けて何も話せないでいた。


「聞こえてる? 声帯が再生したばかりだから話せない、なんてことはないはずだよ」


 俺は咳き込んだ。吐血した。


「ああ、喉に血が残ってたんだね。それじゃあ仕方ないか」

「ごほ、死なないってのは?」

「どれだけ切り裂かれようと、毒を飲まされようと、血を全部抜かれようと、君は死なない。まあ苦しむけどね。超速再生するからあんまり気にしなくていいよ」


 血まみれの体を見下ろした。

 死なない?

 死なない?


 じゃあ、


「俺の罪はどうなる」


 俺はまた人を殺してしまう。だから死のうとしたんだ。

 苦痛はある? 騎士たちに捕まったら永久に拷問をくらう。永遠の苦しみに落とされる。

 

 最悪だ。


「まあ、その話はいいよ。それより、さ」


『LEVEL UP』


 の文字がPCモニターに表示された。


「おめでとうLEVEL UPだ。一気にLV10だ。じゃあ、チュートリアルを始めよう」


 カマエルは俺がいないかのように話を続ける。


「LV10になると、ついに! 家の移動ができるようになる。おすすめはダンジョンの最後の部屋におくか、その近くに置くことだね。ダンジョン内に置くのがマストだね。ねえ聞いてる?」


「聞いてます、でもそれどころじゃないんです」


「君は従うことを選んできた。誰にでも従おうとするから問題なんだ。ある人に従えば、別の誰かが文句を言うだろう。競合は必ず起きる。今回だって騎士に従えば君が文句を言っただろ」


「じゃあ、誰に? 誰に従えばいいんですか?」


「私にだよ。ダンジョンに家を移せば騎士団の攻撃だって防げる」

「でも彼らを殺してしまうんじゃ?」

「殺すのは君じゃない。そして君は選択してない。どこに問題がある」

「人が死んでしまうんですよ!!」


「それのどこに問題がある!! 前の世界だって世界中で人が死んでいた。その原因が君にないとでも? ゴミを捨て、食べ物を捨て、エネルギーを消費していただろ。君は寄付もしたことがない。それにバタフライエフェクトだってある。君が蹴った小石が人を殺したかもしれない。調べればわかるが、君が一人も殺していない保証はない。いいか? 遠くで死ぬか近くで死ぬか、間接の度合いが遠いか近いか、それだけのことだ! 従え! 君にできて、君が最も傷つかないのはそれだけだ」


 閉口した。

 何も言えなかった。


「わかり、ました」


 やっと言えたのはそれだけだ。


「それでいい。ああそうだ。LV10になった記念に10000ポイントあげよう。それと外に箱がおいてある。開けてみるといい。きっと君のためになる」


 ぶつり。


 通信が途絶えた。


 風呂に入ってシャワーを浴びる。口をゆすぐ。

 ああ。

 どうしてこんな世界に。


 カマエルに従っていればそれは楽だろう。しかし本当にそれでいいのか。俺は高校以来初めて従うことに疑問を覚えていた。


 風呂を出て、血で汚れたフローリングを拭き、服を捨てて新しく着替えたあと、外に出た。

 たしかにそこには箱がおいてあった。かなり大きい。一辺が一メートル以上ある立方体。木の箱。

 

 釘で止めてあり手では開けられそうにない。どうしようか考えていると、自殺用にとっておいた騎士の剣があることに気づいた。

 蓋の隙間に剣を突き刺し、テコの原理で箱を開ける。釘がぎぎぎと音をたて外れる。

 4辺全てでそれを行い、両手で重い木の蓋を外す。


 中を覗いた。


「これが俺のためになるって?」


 箱の中で少女が眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る