第50話
ここ、シーランドはそれほど大きな街ではない。かつて滞在したミルタよりは大きいが、あの街が完成すればここよりは大きくなるだろう。そういった程度の広さだ。
だが、生活水準は違う。この街の特産物はガラスであるらしく、近場の海岸で取れる砂を用いて大量生産されているらしい。特に近年は、透明なガラスの生産が安定したと言う事もあってか需要が高まり、輸出産業が主流となっていると説明された。
観光資源には乏しいが、そういった需要もあってか街にはガラス細工を生業とした店が多い。特に調度品は人気が高いようで大抵の店に置かれている。ガラス窓も普及しており、大通りではガラス窓の存在しない建物を探す方が難しいといった具合だ。
休憩に入った喫茶店も驚くほど美しい。飲み物用のグラスから、お菓子を入れた食器までガラスで作られており、生活と密接な関係を結んでいる。そのお陰で、この街は全体的に高級感を
夜の街はまだしっかりとは見ていないが、街灯もユノクスの首都並みに整備されているらしい。屋敷の中も当たり前の様に明るかったのだが、貴族だからという訳では無く、この街全体が恩恵に与っているという事が
こうやって街並みを見ながら散策していると、貴族と街の関係性が見えて来る。当然明確な差はあるのだが、想像よりは大きくない。屋敷に招かれた身であり、ロザリアの家族だからと言う事でひいき目に見ている部分もあるのだろうが、この街と貴族の関係は良好な様に見える。搾取して私腹を肥やすというような悪徳さは微塵も感じられないのだ。
ミルタの様な木造が主流の街も好きだが、こういった石造りが主流の街もまた
だが、観光資源が乏しい事と、平和が続きすぎたこの街は、停滞していると言っていい。新しい価値観というものに強い抵抗があるのだ。保守的と言ってもいい。
隣を歩く女性、ロザリアの髪は美しく、そして非常に珍しい。ユノクスの首都シーヴァスでも同じような髪色は見かけることが無かった。彼女よりも色が濃い、赤髪を持つ者は数人見たが、それも珍しい部類だと言うのだからよほどだ。
そんな彼女を見る街人の目は、どこか不穏さを感じさせる。彼女が幼少期にここで過ごしていたことや、貴族の娘である事は周知の事実だろう。昔話を聞いた限りでは、彼女の奇行がその状況に輪をかけてしまったという事だ。
しかし、今目の前にいる彼女はそんな昔ともまた違う、どこにでも居そうなただの娘として振舞っている。礼儀正しく快活で、ごく普通に街の散策を楽しむ娘。
以前の彼女を知っている人間から見れば、それは奇特な状況だろう。フードも被らず、他人の目を気にしてキョロキョロしたりもしない。堂々と、何事もなかったかのように当たり前に今を楽しんでいる。まるで昔からそうだったかのような自然さで。
煙たがっているとか、嫌な噂話をしているだとか、そういう空気は街人からは感じられない。どちらかというと狐につままれたような混乱をしている様な感覚だ。
俺のような普通の人間と連れ立っている事もあってか、距離を置かれているとも感じない。直接あれこれ言ってくる人も居なかったが、それが丁度良いのだと思う。店員さんとの会話もスムーズで、
デートは順調だ。というより、自然体を意識し過ぎた事もあってか、あまりデートらしさは無い。どちらかと言うと買い出しついでの散策。本来の目的から考えれば、この方が良いとは思う。エスコートも出来ない身なのだからその辺は仕方ないのだが、あまりロマンを感じられないというのは少し寂しい。
「この分だとまた赤点ね。再追試かしら」
なんて笑う彼女につられてこちらも笑う。何だかんだと理由をつけて、再びデートの約束を取り付けるという彼女の行動がとても嬉しい。
多分、これが俺とロザリアの丁度いい距離感なんだと思う。焦らず、自然に。世界の
ほんの僅かな幸せが原動力で構わないのだ。大きな見返りを求めてはいけない。それは、破滅にも繋がる道だ。チートなんていう絶大な力に惑わされた結果を、俺達は良く知っているのだから。
何だかんだとあちこちを見て回った結果、大通りを半分も行かないうちに散策の時間は終わってしまった。まだ15時頃と早い時間ではあるのだが、これくらいには帰っておいでという話だったのだから仕方ない。それに結果は充分出ているだろう。噂はすぐに広がり、数日も経てば落ち着く筈だ。
「今日はありがとうオルト。まあまあ楽しめたわ」
「お褒めに与り光栄です、ロゼお嬢様」
「その呼び方⋯⋯気軽なのか固いのかわからないわね、ふふ」
ロゼ、という呼び方にはだいぶ慣れた。まだ気恥ずかしさは残るため、ちょっと茶化した言い方をしてしまう事もあるが、この分ならまあすぐ慣れるだろう。
だが彼女はそう呼ばれる事には抵抗があるようだ。以前にも言っていたが、ロザリアと呼ばれる方が好きなのだという。俺としてはどちらでも良いというか、本名で統一して貰った方が分かりやすいのだが。
あくまでそう呼ぶのはこの街でだけよ、なんて言われてしまった。ロザリアという名前を名乗るにあたって、何か思い入れでもあったのだろう。深くは詮索しないが、彼女がそう望むのであれば従うだけだ。
そろそろ屋敷へ向かおうとなった所で、急に雨が降り出す。太陽は出ているのにも関わらず、意外と強い雨だ。
「狐の嫁入りって奴か。面倒だな」
「鞄を持ってきてないから無限収納から物を出すのはマズいわ。走りましょ!」
そう言って駆けだす。幸いなことに屋敷とはそれほど距離が離れているわけでは無いし、雨に濡れる事は慣れている。それほど急ぐ必要も無いかと思ってはいたのだが、着ている服が問題だ。
「用意してもらった服を台無しにされるのは勿体ないな」
人目もあるので全力疾走と言う訳には行かないが、それなりに急いで屋敷へと向かう。しかし、その必要は無かったと言っていい。屋敷につく頃には既に雨が上がってしまっていたのだ。
「あちゃー、これぐらいなら雨宿りしてたほうが正解だったか」
別に雲行きが怪しかった訳ではない。それならどこぞの軒先でやり過ごすのが正解なのだが、駆けだす彼女につられてつい走り出してしまった。その行動はなんとなく楽しい気持ちにはなったが、ズブ濡れになってしまったのは頂けない。
俺もロザリアもびしょびしょだ。結局、用意してもらった服を守る事など不可能だった。魔法の類でなんとかしてしまう手もあるのだが、生地が傷んだりしないか不安なのであまり使いたくないという所でもある。失敗したかなコレ。
「そうでもないわ。ほら、あれを見て」
小高い丘の上、見晴らしの良い屋敷の周辺でしか見られない光景。海を背にした街並みと、その上に架かる虹。そして、雨で濡れたロザリアがこちらに振り返りながら笑っている。
それはズルい、本当に。一体何の褒美だというのだ。今回も赤点の男だぞ俺は。
大きな虹とは別に、彼女から滴る雨粒もまた、虹を描いているかのようにキラキラと輝いている。まるで、出来の悪い幼馴染の勉強に付き合う優等生だ。文句なしの満点、完璧な美しさを披露されてしまう。
多分、いや間違いなく俺はこの光景を一生忘れないだろう。
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