第21話

 それからは、順調すぎる程順調であった。先ほどのゴブリン以降、魔物に遭遇することは一切なく、ただ長閑のどかな風景を眺めるだけの旅路。周囲の警戒は俺とルーベルトさんの二人が適任という事で交互に行っていたため、暇を持て余したロザリアはシャルと一緒にお昼寝に興じるという有様だった。


 唯一の見どころと言えば森を抜ける最中に野生の鹿と遭遇した事であった。警戒に当たっていた俺が鹿に気付づきその旨を報告すると、すかさず荷台から飛び降りたルーベルトさんが一瞬で鹿を狩るという離れ業を披露したのだ。


「少し離れますね」と言って獲物を回収しに行くルーベルトさん。それを見たシャルが、ボクも行きたいと念話で伝えて来るので、皆に聞こえるように「シャルも手伝っておいで」と発言した所で、既に鹿は木に吊られ血抜きまでされているという状況になっていた。


 恐るべき早業はやわざである。その後も馬車から眺めている間に皮が剥がされ、内臓を抜かれた鹿がただの『食料』になるまでを、まるで暇つぶしのショーでもご覧あれと言わんばかりの速度で行うルーベルトさん。移動中の馬車から見える範囲、時間でその全てを終えてしまったのだから、馬車に乗った全員が驚きを通り越してただ笑い、同時に拍手するしかなかった。


 周囲警戒の手伝いとばかりについていったシャルは、そのご褒美にと鹿の肝臓を貰い、そのまま生で食べていた。口のまわりを血で真っ赤に染めていたが、それをロザリアが取り出したハンカチで甲斐甲斐しくも綺麗に拭いてくれていたのには驚いた。女性だからそういうのは苦手だろう、なんて先入観を持っていた自分の失礼さを深く反省する出来事であった。


「さっきのは狩人ハンターのスキルなのかしら?」と相変わらず熱心に聞くロザリア。それに対してルーベルトさんは、仕留める際に矢にかけた硬直スキルと、木に吊った後に行った血抜きのスキルだけで後は彼個人の能力だなんて言うので、再び馬車が湧く事となったのは言うまでもない。


「いやはや、ルーベルトさんのお陰でいいものが見れましたし、こうして獲れたての鹿肉が頂けるとは本当に有難いですなぁ」


 まだ日暮れには早い時間だったが、本日分の移動距離は充分稼いだという事で夕食となった。ルーベルトさんが仕留めた鹿肉を振舞ってくれるとの事で、食事は随分と豪華だ。更には、タダで貰うのは悪いからと言い出した行商人さんまで果物や野菜を振舞う事になり、本当に旅の最中かと思うほどの贅沢な食事を堪能した。


 夕食を終えて少し経つと、夜のとばりが下りて来る。この世界の夜は長い。光に満ちていた日本と違い、暗くなれば活動を終えるのがこの世界の常識だ。


 夜の見張りは俺とルーベルトさんが交代で行う予定で、急遽パーティに編成されたロザリアは頭数に入っていなかった。だが、昼寝をしていたせいで眠くない事と、何もせずに報酬を貰うのは忍びないと言う事で、交代までの見張りに付き合って貰う事となった。


——パチッ、パチチッ


 春とはいえ夜は冷え込む。そのため用意されたたきぎの爆ぜる音を聞きながら、俺とロザリア火を囲んでいた。


「ねぇ、オルトはどうして冒険者になったの?」


 当然の如く暇を持て余したロザリアが話しかけて来る。どう説明しようか少し迷ったが、師匠の設定どおりの話と、拾ってくれた師匠に恩を返す為と語る事にした。


「冒険者は助け合いと学んだけど、そうじゃなかった時の俺はただ助けられるばかりだったからね。恩人を助けられるだけの力をつけて、キチンと恩返しがしたいんだ」


 なんて、歯の浮く台詞である。本心ではあったが、当然それが本当の目的ではない。目の前の少女に嘘を付く事と、簡単に嘘をつけてしまう自分に嫌悪感が増していく。


「立派な心がけね。私の場合はもっと利己的と言うか⋯⋯死にたくないから冒険者になったって感じだもの」


 死にたくないから、とはまた不思議な理由だ。死にたくなければ冒険者をやるよりも街で仕事をして暮らす方が遥かに死ににくいだろうに。そう思ったが、それをそのまま言えるような雰囲気では無かった。どこか辛そうな顔をしている彼女に踏み込むのははばかられる。だが同時に、出来る事なら助けになりたいとも思ってしまった。


「そう言えばロザリアはずっとフードを被りっぱなしだけど、何か事情が?」


 出来るだけ遠回りで、彼女の事情について聞いてみようとする。もしかしたらそれが冒険者にならなければいけなかった理由かもしれない。直接的に聞いて気分を害されるよりは、逃げ道の多い質問の方が良いだろう。


「ああ、これね。普段から被りっぱなしだから忘れてたわ」


 そう言ってフードを外した彼女は、あまりにも美しかった。月明りと焚き火に照らされたその淡いピンク色の髪は、まるでその寵愛ちょうあいを一身に受けるかのように光り輝いている。前髪の3割ほどは三つ編みにされて後頭部に流され、そこでまた太めの三つ編みにされている。残りの前髪もぴったりとピンで止められており、フードを被った際にはみ出ないように整えられていた。


「綺麗だ」


 思わず率直な感想が口からこぼれ落ちてしまう。


「そう、ありがとう。でも私は、この髪の色が嫌いなのよ。ストロベリーブロンドだなんてお上品な名前が付けられているけど、私はオルトみたいな何処にでもいるダークブロンドが良かったわ」


 ロザリアはそう言うが、丁寧に整えられたその髪を維持するのは非常に労力が掛かるだろう。編み込まれた髪をほどけば、腰ぐらいまではありそうなほど長さを維持しているのだ。心の奥底から嫌っているという訳では無いと信じたい。


「お父様やお母様もこの髪が綺麗だと言ってくれたわ。でも街の人はそうじゃ無かった。まるで珍獣でも見るかのような視線に晒されて、言い寄られる事も多かったわ。街中であるにも関わらず、さらわれそうになったこともあってね。それ以来はずっとフードを被って生活してるの」


 幼いころからずっとそうだったなんて言われれば、当然何年も辛い思いをして来たことは想像にかたくない。それが彼女の美しさを褒めたたえる行為であったとしても、行き過ぎれば当然トラウマやコンプレックスと言ったものに結びついてしまう。贅沢な悩みだ、なんて言われたこともあるのかもしれない。理解者が現れなければ、群れの中で孤立する存在にしかならないのだ。


「フードを脱いで生活するのは難しいのかもしれない。でも俺はその髪、ロザリアに似合っててとても素敵だと思うよ」


 同じ様に美しい髪を持った少女、ミルタの街で別れたティナを思い出しながら言葉をつむぐ。彼女と同じような温かい環境で育っていれば、きっとロザリアも辛い思いをしなくて済んだのではないだろうか。


「オルトに言われるのは余り嫌な感じがしないわね。誉め言葉として受け取っておくわ」


 そう言って僅かに微笑むロザリア。笑顔も相まってか、驚くほど綺麗に見える。そういう笑顔が出来るなら、少なくとも人間に絶望している訳ではない筈だ。彼女の両親はきっと数少ない理解者であり、彼らの為に髪を伸ばしているのかも知れない。他人ではなく自分に原因があると考え、自分の髪が嫌いだと言って隠している。とても優しい少女なのだろう。


「ピンク色の薔薇ローズと言えば、花言葉には幸福って意味もあった筈だよ。ご両親はそういう意味も込めてその名前を付けたんだと思う。何より魅力的なその笑顔を隠して生活するのは、ちょっと勿体ないかなって思うよ」


「——ぷっ、あははははは」


 突然笑い出すロザリア。一体何が可笑おかしかったのか。一生懸命親身になろうと語った言葉が笑われてしまうのは、ちょっと悲しい。


「何よその歯の浮く台詞セリフ!まさか口説いてるの?あはははは。キザ過ぎて涙が出てきちゃった、一体何食べて生きてきたらそんな言葉言えるようになるの?それに花言葉だなんて、あははははは」


 言われて気付く。そして顔から火が出る。尚も笑い続けるロザリア。これは正直やってしまったと言わざるを得ない。ああ、もう多分ロザリアにはこれからずっと揶揄からかわれる運命が確定してしまったのだろうな、完全にやらかしてしまった。トテモツライ。


「はぁ、驚くほどスッキリしたわ。フードを取るのは簡単じゃないけど、ちょっと努力くらいしてみようかなと思えるくらいにはいい言葉だったわよオルト」


 ああ、もうどうにでもなーれ!


 こうして楽しい楽しい旅の一日目が幕を閉じた。二日目と三日目の午前も同様に過ぎ、その間現れたゴブリンをロザリアが得意の火魔法で仕留めたりもしたが、それ以外の脅威は無い穏やかな旅だった。途中何度か別の行商人とすれ違う事もあり、比較的安全なルートが開拓されているのだろうという事を思わせる。


 ロザリアは結局その間もフードを取ることは無く、こちらを揶揄う事も無かった。だが、わだかまりの様なモノは解けたらしく、時折笑顔を見せながら会話をするようになったのは大きな収穫だ。今後の彼女の人生に、少しでも助力できたのかもと考えると心は晴れやかだった。


 そして三日目の夕方、今回の旅の目的地であるこの国ユノクスの首都、シーヴァスへと旅の一行は無事に辿り着いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る