第20話

 涙目で抱きつくティナを引き剥がすのは、それなりに時間がかかった。


 普段から日の出と共に目を覚ます習慣がついていたため、朝起きる事は何も問題無い。掃除を終えても6時の鐘が鳴ることは無かった。


 少し早いかなと思いつつも装備を整え、いざ出発と1階に降りてからが、地獄の始まりだった。ここは天界だ、天使に背き旅に出るという事は、地獄に足を踏み入れる事に他ならない、そういった印象さえ感じる程の圧力。涙目のティナが上目遣いでこちらを見つめて来るのだ。とてもじゃないが耐えられない。


 ガラス細工に見えるように調整した無属性の魔石を生成してネコの形に整え、革ひもで括ったネックレスを渡すと、幾分かはその涙を止めることが出来た。お世話になったお礼、俺とシャルにくれたプレゼントのお礼、そしてもう一度会うための約束。そう言ってなんとか彼女をなだめている間に、随分と時間が過ぎてしまっていた。


「⋯⋯行って⋯⋯らっしゃい」と何とか絞り出してくれたティナに手を振り、建物の陰に隠れるまではゆっくりと手を振りながら移動し、見えなくなったと同時に走り出した。


 いきなり遅刻はまずい。体感ではまだ大丈夫だと思うが、見える位置に時計塔なんぞある訳もなく、かく不安になりながらギルドへと急ぐ。


 ギルドに到着すると、依頼者と思われる商人と、そのほかにも数人がそこに立っていた。


「遅かったなぁ、と言いたいところだがギルド職員はまだ来てない、セーフだぜオルト坊」


 そこには見送りに来ないと言っていたフランクさんが居た。何だかんだで心配してくれていたのだろう。じゃあ、またなと俺の頭をくしゃくしゃに撫でると、昨日と同じくそっけない態度で離れていった。じゃあまた、フランクさん。心の中で呟くと、依頼主と思われる男性に話しかける。


「おはようございます、って昨日の商人さんでしたか」


 昨日、街に入る前の待機列で世間話をしてくれた行商人さんがそこにいた。やあ、と声を掛けられると、隣にいた別の男性にも声を掛けられる。


「君がオルトだね、僕はルーベルト。今回このパーティのリーダーをする予定になってるから、よろしくね」


 そういってギルドタグを見せてくる。Cランク冒険者だ。昨日ギルドで聞かされた通り、こちらもギルドタグを見せて挨拶をする。即席のパーティとなると一番ランクの高い者がリーダーとなるのが通例で、今回は事前に引率という形で手配してくれていた。


「今回は即席だから、仕事を受けられる難易度は一番下のランクに合わせられるって話は教わったかな?もし分からない事や思い出せない事があったら何でも聞いてね、代金はキチンと貰ってるから遠慮しなくていいからね」


 丁寧に喋る人だ。こういった引率を任せられるという事は、それなりに人望もある人なのだろう。物腰も柔らかく見える。


「お待たせしました、追加の人員が入りましたのでちょっと遅れてしまいました」


 そう言って現れたのは昨日会った受付のお姉様だ。隣にはフード、というよりポンチョを被った女性がたたずんでいる。表情は良く見えないが、身長は俺やティナと同じくらいか、もう少し高いだろうか。布地の服の上に革と骨と思われる素材で作った胸当てを装備し、下はホットパンツとくるぶしまでのブーツいう軽装だ。スラリと伸びた脚と、程よく引き締まったお腹が肌を覗かせており、ちょっと眩しい。そして左手には自分の背丈ほどもある長い杖を装備していた。


「ロザリアよ、Eランクの魔法使いウィザード、得意なのは火属性ね。お待たせしてしまって申し訳ないわ」


 少し高圧的な言い方が気にはなるが、本人に悪気があるという訳では無さそうだ。しかしこの声、昨日市場で聞いた声に似ている気がする。シャルにも念話で確認してみたが、ちょっと分からないという事で、一応警戒するという方向に落ち着いた。


「それじゃ出発しましょう。ギルドの確認も取れたなら、後は道すがらという事で」


 そう行商人が号令を掛けた所で、ルーベルトさんが荷台に荷物を乗せる。それにならう様に俺とロザリアも荷物を置き、歩いて荷馬車に追従する。


「行ってらっしゃい、良い旅を。またねシャルちゃん!」


 そう言ってこちらに手を振る受付のお姉様。結局名前を聞くことは無かったな、なんて思いながら街へと別れを告げる。戻って来れるのかは分からない旅の始まりではあるが、必ず戻ってこよう。そしてお世話になった人達に、恩を返せるように頑張ろう。感謝と決意をもう一度胸に刻み、ミルタの街を後にした。


 街の外周をグルリと半周すると、綺麗に整備された街道が見えてきた。土なのにヤケに整えられている事に驚くと、ルーベルトさんがすぐさま説明を入れて来る。単純に世話好きなタイプなのだろうか?


「街道の整備は土魔法で行ってるのさ。距離に応じて報酬が上がるから、みんなこぞって依頼を受ける人気の仕事なんだよね」


 ギルドだけではなく、街の領主からも代金が出るという非常に割のいい仕事らしい。公共事業というのはやはり重要で、街の活性化にも繋がると考えれば合点がいく。石畳では木製の車輪を使う馬車にはあまり良くないらしく、街中など一部でのみ敷かれているそうだ。魔法で整備しているという事もあって、大雨でもなければそれほどぬかるまず、補修も楽との事だった。


「さて、街道にでましたし、暫くは快適な道のりですので皆さん馬車に乗って頂いて大丈夫ですよ」


 行商人がそう提案してくれる。有難いとばかりにルーベルトさんが行商人の隣に座り、俺とロザリアは荷台へと乗り込んだ。


 ミルタの街から輸出される商品はそれほど多くなく、荷台の後ろ側は半分以上が空いていた。どちらかと言うと売却が中心であり、買って帰るのはお土産に近いものばかりだと行商人は言う。


 ミルタの発展は著しいが、特産物と呼べるものがそれほど多くない。とはいえ資源が豊かで治安も良いこの街は、冒険者の安住の地として密かな人気が出ているらしく、流入した冒険者がそこそこ金を落としている。そのため、商品の売れ行きはすこぶる良いといった状況だそうだ。マリアンヌさんの夫ハンドレットさんもこのタイプなのだろう。外で金を稼ぎ、街に戻って金を使う。そうやって経済をうまいこと回しているのだ。


 行商人の話が終わると少し気まずい沈黙が続く。初対面の人間4人ではこんなものだろう。御者台ぎょしゃだいに座ったルーベルトさんは周囲の警戒に気を使っており、会話にはそれほど参加してこないというのも効いている。見晴らしのいいこの平原ではそれほど脅威が無いとはいえ、油断は禁物なのだ。


(シャル、ちょっとロザリアにちょっかい掛けてよ)と念話で無理難題を吹っ掛ける。先ほどから向かいの少女はずっと外を眺めており、何を考えているのか分からないのが少し怖い。市で聞こえた声の主ではないかという疑念もあるが、こちらからは声を掛けにくい空気をまとっている。ここはプリティシャル様に任せるのが一番だろうと考えたのだ。


 シャルはその念話には答えなかったが、もそもそと動きロザリアの腕に頭をこすりつける。シャルの奥義、撫でての構えかまってちゃんだ。突然腕に触れられた驚きで一瞬身を強張らせてはいたが、それがシャルだと分かると直ぐに警戒を解き、撫で始めていた。


「⋯⋯ずいぶん人懐っこい魔獣ね、貴方は魔獣士テイマーなの?」


 よし、向こうから話しかけてきた。グッジョブシャル様、あとで旨い肉をご馳走しよう。


「いえ、俺は斥候スカウトです。この子⋯⋯シャルがまだ小さい頃から一緒に居るので人に慣れてるんですよ」


 ちょっと面接みたいな口調になってしまった。他人と話すのもだいぶ慣れてきたとはいえ、女の子となるとまだ少し抵抗がある。ティナはひたすらグイグイくるだけだったしな。


「そう、珍しいわね。普通は主人以外に懐かないものだと思っていたけど」


 なんとか会話が続いている。ここで止める訳にはいかない。続けて会話を広げていく。


「職業外での従魔契約となると、一般的には成体を従属させる形が多いと聞きますからね。しっかり人間に慣らしながら育てると、結構懐くモノらしいですよ」


「へぇ」とつぶやくと再びシャルを撫で始めるロザリア。結局会話が終わってしまう。特に関わり合いになるつもりが無いという事だろうか?だとすれば声の主とは別人なのかもしれないな。警戒はしなくても良さそうだ。


「オルト、北西方向にゴブリン1、距離は400って所だからまだ余裕はある。多分釣りだね。アレをやれるかい?」


 御者台に座るルーベルトさんから声が掛かる。ゴブリンと言えば一般的には魔物モンスターと言われているが、魔族に分類される生物だ。繁殖力が高く、群れを成して近隣を襲う事もあるため、見かけ次第処分するのが基本となっている。


「はい、行けます」と返事し、手早く荷物に括りつけていたショートボウを掴むと、荷台から降りて先行する。どうやらゴブリンは街道を外れた茂みにいるようだ。


「矢筒は持たないの?」


 見学とばかりに降りてきたロザリアが尋ねて来る。意外とこちらにも興味があるのかな?ルーベルトさんに目配せすると、まだ余裕があるからゆっくり説明していいよと言われる。


「矢筒はコレなんですよ」と左わき腹に付けられた長さ5㎝程の小物入れを指さす。留め金を外すと蓋部分が重力に従って垂れ、そこから矢羽の部分だけが飛び出す。


「へぇ、魔法の収納鞄マジックバッグなのね」


 興味津々に覗き込む彼女の行動に興が乗り、再び説明を続ける。


「ショートボウって威力や飛距離が無いので、こうして速射性と連射性を備えた位置に装備する事が多いんですよ。魔法の収納鞄は高価ですが、自分の命を守るモノなので無理しても手に入れる事が多いんです」


 ふんふん、と頷くロザリア。自分が持つ職以外とパーティを組む事が無ければ、意外と知らない事は多いものだと師匠も言っていた。今後の連携も考えると、知識を共有するのは大事である。


「そろそろ射れるかい?」


 歩きながら説明していた為、目標との距離は250m程と言う所まで迫っていた。もう少しだけ先行すると、足を止めて射撃の体勢に入る。


——シャシャッ


 2連射で矢を放つ。大きく弧を描く軌道だ。


「何故2発撃ったの?」


 再びロザリアからの質問。これには見てれば分かりますよ、と答える。


——ギャッギャギャッ!


 1射目が大きく外れ、20m程手前に落ちる。それを嘲笑あざわらうかのように両腕を上げ、鳴き声と共に踊りだすゴブリン。そして——


——ギャ!


 2射目が綺麗に命中する。胴体の真ん中を正確に射貫くが、即死には至らない。致命傷ではあるのでこれで良い。


「いい腕だねオルト。弓に関しては教える必要が無さそうだね」


 後ろから迫ってきた荷馬車からルーベルトさんの声が掛かる。どういたしましてと答えると、再び荷台へと戻った。


「1発目は囮って事かしら?」


 荷台で一息つくとロザリアが再び声を掛けて来る。先ほどの答え合わせがしたいようだ。


「その通りです。ロングボウを扱う狩人ハンターの様な速度上昇系のスキルが無いので、到達まで時間が掛かるんですよ。見られていると簡単に避けられてしまうので、2射目には認識阻害のスキルを発動して、1射目を囮に使うんです」


 おおー、と声を上げるロザリア。もしかしたらこの少女は単に人見知りなだけかもしれない。少しづつ口調と表情が砕けてきているのが良くわかる。


「獲物は回収しなくていいの?」と続けて質問が来る。ルーベルトさんが最初に釣りだと言った事の説明も合わせて行おう。ゴブリンは一匹だけ居るように見せかけ、周りに潜伏しているのだ、と。近づけば一斉に飛び出し、集団で獲物に襲い掛かる。なので近づかず、即死させずに周囲に断末魔を聞かせ、人間という存在の恐怖を植え付けるのだ。釣りを行う規模の集団であれば、多くても5匹程度、これぐらいなら放置しても問題は無い。


「結構エグいのね⋯⋯でも勉強になるわ」


 ちなみにルーベルトさんはロングボウ持ちの狩人だ。弓に関しては圧倒的にこちらより上手いので、参考になる事は多いだろう。旅の途中でどれほどその腕を拝めるかは分からないが、可能な限りその技術を吸収しようと思う。


「ロザリアは勉強熱心だね。ついでに言っておくとロングボウ系は一度に2本3本と引き抜いて射ったり、矢を回収して使う事も多いから昔ながらの矢筒スタイルなんだよね。これも魔法の収納鞄の仕組みが採用されてて、空になったらボタンを押すと次のセットが出て来るよ。大体20本ワンセットが基本だね」


 ロザリアの学ぶ姿に感心したのか、ルーベルトさんも自分の職業、装備について講釈を始める。折角なのでと今度は俺が御者台に移り、彼女の勉強に付き合って貰う事にした。


 色んな事に驚きを隠せないロザリアは、もしかしてお嬢様なのかな?と思いもしたが、どうやら彼女自身が後衛職の魔法使いであるため、同じ後衛職と組む機会が無かったそうだ。なるほど、というかこのパーティ全員後衛職じゃん、と今更気付いた自分に少し不甲斐なくなった。

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