訓練と猫と少女

第9話

 小屋の中に入ると、外見からは想像できないほど広く作られていた。一人住めれば良いという程度の小さな山小屋かと思っていたが、中は壁で仕切られた複数の部屋が用意されていた。なんでも天然洞窟を改造した小屋らしく、崖からはみ出ている部分はほんの一部、暖炉や調理の為の煙突を出すためだけの部分だそうだ。


 そして驚くことに、この小屋には床暖房まで設置されているとの事。『魔道具生成マジックアイテムクリエイト』を所持したアインス会心の作だとの事で、鼻を高くしながら小屋の機能を説明している様は、褒めて褒めてと自慢する子供にも見えて、まるで実年齢を感じさせなかった。


 リビングダイニングキッチンLDKと言っていい大きな部屋の奥まった場所には重そうな扉がついており、そちらは元の洞窟に繋がっているとの事。奥の洞窟は行き止まりになっており、天然の湧水が湧いているため生活水として重宝しているそうだ。常に涼しく保たれている洞窟内は、小屋付近で取れた獲物を保存しておく冷蔵庫の代わりにもなっている。


 アインスは冒険者を引退した後、近くの街からここに移り住んだらしい。この山小屋は単なる居住区と言うわけでは無く、付近に時折現れる魔獣や、増えすぎた野生動物を間引きする事で街の安全を守る仕事を行うために用意されたモノだそうだ。狩りで得た獲物は、月に1度訪れる街の衛兵に引き渡すことで、ちょっとした贅沢品を購入する資金の足しにしているとの事だった。


 先ほどふるまわれたレモンとはちみつのジュースも嗜好品の部類に入るから、飲んだ分は働いて返せよと言われた時には流石に抗議した。が、当然の様に聞き入られなかった。働かざる者食うべからずと言われてしまえば両手を上げて降参するしかない。


——夕食は貧相なものだった。干し肉とジャガイモのスープ、固くなったパン。そりゃ異世界だもの、日本に居た頃の食事を求めるのは酷よね、等と思っていたが、意外なことに味付けは悪くなかった。どうやら調味料はそれなりに普及しているらしい。


「味噌も醤油も塩も胡椒もマヨネーズもあるぞ。なんなら手押しポンプや手押し車や水車も普及してるし、香り付きの石鹸やシャンプーやらリンスやらコンディショナーも存在してる。娯楽で言うならリバーシやチェスなんかも当然の様にあるぞ」


 塩は普通だろ、と思いながら話を聞いていたがそりゃそうか。既に何人もの転生者がこの異世界にやってきているのだ。テンプレな革新的アイテムは出尽くしているといっていいのだろう。


「銃火器の類も存在してるが、魔法と比べるとイマイチ過ぎて普及はしてない。趣味か研究の領域だな。銃弾一発よりファイアボールの方が強い世界じゃ面倒が多すぎる」


 火薬や電気エネルギー、化石燃料なんてのも普及していないらしい。魔力が満ちたこの世界では、そういう物より魔力の方が効率が良いという事だろう。電池の代わりに魔石を利用した魔道具マジックアイテムも普及しているのだ。確かに必要は無いだろう。


「さて、おしゃべりはこれくらいにしてお前はもう寝とけ。ベッドは奥側のヤツを使っていい。俺は付近の見回りをしてくる」


 そういうとアインスは壁に掛けてあったナタを手に取る。に湾曲した特殊な形状は、確かククリと呼ばれるタイプの武器だったろうか。


 日が落ちてまだ間もない。地球で言えばまだ19時前後といった所だろうが、この部屋には時計が無い。多少不便ではと考えたが、TVなんかある訳もないので夜の間に起きてる意味は無いのだろう。日の出とともに活動し、日の入りとともに活動を終える。森で生きるという事はそういう事なのだろう。


 現代っ子がこんな時間に眠れるか、しかも固い布団で。なんて考えていたが、言われたとおりにベッドに入ると驚くほどスムーズに意識が落ちていく。色々あったしやっぱ疲れてたのかね。


——目を覚ますと既にアインスは活動を始めていた様で、昨日と同じく薪を割る音が室内に響いていた。日本にいた頃には考えられないくらい快適な目覚めで正直驚くばかりだ。これも魔法の力なのか、それとも単純に沢山寝たからなのか、若返ったことが影響しているのかは良く分からないが、ともかくいい目覚めだった。


 外の空気を吸いに行くと、まだ空が白み始めた程度だった。多少の肌寒さはあるが、目覚めには丁度いい空気だ。グイと背筋を伸ばして異世界の朝を堪能していると、薪割り中のアインスから声が掛かる。


「おはようオルト。そろそろ起こそうかと思ってたが丁度良かったな」


 わざわざ名前を呼んだのはステータス定着の為だろう。気になってステータスを開くと、土坂有史どさかありふみ(オルト)とカッコ書きで昨日つけた名前が表示されていた。改めて面白い仕組みだなと感心する。


 薪割りを終えたのか片づけを始めたアインスに習って、同じように片づけを手伝う。あまりにもアインスが軽々と木片を持ち上げていた為、重量を見誤って転びそうになったのは内緒だ。いやバッチリ見られたけれども。


「さて早速今日から訓練開始だ。まずはその辺に立ってくれ」


 アインスが指定した位置に立つと、彼が唐突に脱ぎだしたので驚く。


「服なんてすぐボロボロになるからパンツ以外は全部脱いどけ。あ、俺は脱ぐ必要ねぇか」


 笑いながら答えるアインス。仕方なしに脱ぎ始めるが、改めて彼との差を思い知らされる。いやぁ、完全にヒョロヒョロですわマイボディ。正確な数値は分からないが、こちらの身長は150cmと少しくらい、体重は45kgも無いだろうとアインスは見立てた。かたやゴリラは2m近い身長と、150kgを超える体重を誇るらしい。


「お前が本当に俺と同一人物なのか不安になってきた。ていうか俺にもそうなれって言われてもちょっと無理な気がするぞ⋯⋯」


 訓練を、始める前からもう挫折。オルト、心の俳句。


「いや、こうなる必要はねぇよ。俺の場合は趣味で育ててた部分もあるしな。それにこの世界じゃ筋肉イコール強さとはならないから安心しろ」


 それは良かった。折角転生時にちょっとイケメンにして貰ったんだ。どちらかというと細マッチョくらいで止めておきたい。


「さて、まずは一発」


 下らない事を考えていると、目の前に仁王立ちしていたアインスが視界から消える。その瞬間——


——ゴキィ、ベキベキベキ


 体の内側から嫌な音が聞こえる。目の前にはアインスの巨体、いや壁だ。身体に彼の拳がめり込んでいると認識した直後には、大きく後ろに吹き飛ばされてアインスの姿が遠くなっていく。


——ボキン


 今度は背中側からかなりマズい音がする。木にぶつかり背骨が折れたのだろう。これはあれだ、死んだな。


 一瞬遅れて痛みが湧き出す。声を出そうと口を開けると熱い液体が口からこぼれ落ちる。間違いない、これは自分の血だ。もしかしたら内蔵の一部も含まれているかもしれない。


 続いて落下。完全に力を失った身体では受け身など取れる筈もない。顔からそのまま地面へと倒れこむ。痛い、死ぬほど痛い。いや、というかこれは死んだ。


「ガァーーーー!」


 声にならない叫び、なんとか声を捻りだせたと思ったその瞬間、身体の痛みが収まっている事に気付く。


「もう治したぞ、さあ立てオルト」


 ついでに漏らした分も綺麗にしといたぞ、と真面目な声で伝えるアインス。一体何が起きたか理解する前に、思わず声が出る。


「何すんだテメェ!!」


「訓練だ。超回復って言葉知ってるよな?地球基準の」


 超回復、それは筋肉のトレーニング方法などで度々耳にする言葉だ。疲労してボロボロになった筋肉を1日から2日かけて完全に休ませる事によって、急速に筋肉が肥大化する現象と言われている。


「これは言ってみればソレの異世界版だ。ボロボロになった部位を一瞬で超回復して身体を作る。骨も同じように強化出来て非常に効率が良い訓練方法だ」


 冗談ではない、致命傷を与えられてすぐさま回復し、再び致命傷を与えるという訓練を行うとアインスは言っているのだ。それはもう、訓練では無く拷問の類なのでは無いだろうか。


「かつて俺たちが地球で行った仕事、その被害者の痛みだ。トラックにかれるなんてのは、これくらい痛いんだろうな」


 そう言われてふるい立つ。これは罰の一部だ。一方的に暴力を与えていたあの時には想像もつかない、逆側の視点。彼らはこの異世界に転生したとはいえ、とんでもない苦痛を味わった筈だ。それを今、身をもって理解しろとそういう事なのだろう。


 立ち上がり、最初に指定された位置へと戻る。泣き言なんて言ってられない。覚悟を決めろ。


「いい顔になったなオルト。ようやく男の顔だ」


 ニヤリと笑うアインス。今度は防御しろとうながす。そう言われてもどうしたものか良く分からないので、とりあえず両腕を十字にして腰を落とす。


「これは、切り落とされた左腕の分!」


 なんかとんでもない台詞が聞こえたな、と思った瞬間には両腕がヤバい事になっていた。防御の姿勢をとった所で当然耐えられる訳など無い。もはやよく分からない音とともに両腕が砕け、そのまま肋骨も粉砕していく。


 先ほどと全く同じ流れだ。違うのは追加で両腕も折られただけで、防御の意味など欠片も無かった。木にぶつかって背骨が折れるのも全く一緒。地面に付く頃には全ての傷が治っているのも一緒だった。


 痛い。身体は完全に治っている筈なのに、全身を痛みが駆け巡っている。先ほどアインスが発した冗談に反応する余裕も無い。だが、それでもこの訓練は行わなくてはならない。なんとか再び指定の位置へと戻る。


「いい根性だオルト。もう一度行くぞ、次もちゃんと防げよ」


 言われて先ほどと同じ体勢を取る。だが直後に訪れた痛みは、先ほどとは違い下半身からだった。


——バキッベキッ


 丁寧に両足の太腿ふとももすねを砕かれる。当然立っていられる訳も無く、その場に崩れ落ちる。


「防げと言ったよな。こちらの動きも見ずに何を防ぐ気だったんだ?」


 恐怖。完全に身体はその感情だけに支配されていた。これから訪れる痛みに耐える為だけに備え、目をつむり守りを固めただけの体勢。当然ながら下半身は隙だらけだっただろう。どんなに怖くても目を開いて動きを見ていろだなんて、全く容赦のない話である。


 先ほどアインスに言われた言葉を思い出す。漏らした分も綺麗にしておいた、と。あの時は自分でも分かっていなかったが、今度は明確に分かる。身体はいう事を聞かず、ただ震え、同じく涙もせきを切ったように流れ出していた。


 10分ほどそのまま動けず倒れこんでいた。その間アインスは何も言わず横に座り、ただじっと待っていた。ようやく涙も止まり落ち着いてきた所で、なんとか口を開いた。


「流石にコレは⋯⋯精神の方が耐えられそうにないな」


 これからまだ何度も何度もこの訓練を行うのだろうと考えると、どう考えても頭がおかしくなるのが先だと、そう感じた。だが、その不安はすぐに払拭ふっしょくされる。


「今日の訓練はもうこれで終わりだ。あとはゆっくり休んでいるといい。俺はこれから仕事があるからな」


 この訓練の効果は絶大だ、毎日朝から晩までやる必要は無い、とアインスは続ける。身体は瞬時に治せるが、心は当然そうも行かないと言う。毎朝ワンセットで1週間も行えば、そこいらの冒険者よりは遥かに頑丈になる。なんて言われたが、強くなる喜びよりも1週間耐えきれるかの方が遥かに不安だ、と素直に伝えると、勿論精神状態を見て間を開けるとアインスは補足した。


 ——その場でなおも動けず30分程は経っただろうか。アインスは森の見回りに出かけ、辺りは静まり返っていた。ようやく震えが収まって来たなと思い始めた頃には、手持ち無沙汰も感じ始めていた。


 あれほどの恐怖を感じておきながら、意外なほど心の回復は早かった。人間って頑丈なもんだな、と思う。ふと気になってそのままの体勢でステータスを確認すると、レベルが1から4に上がっていた。


 驚きの結果だ。レベルアップと言えば敵を倒し、経験値を手に入れる事で行われるモノだと思っていたが、一方的にボコられただけでも成長するとは。つくづくゲームとは違うんだな、と再認識する。そしてスキルリストには初めてのスキルが表示されていた。


——恐怖耐性レベル2。


 そりゃそうか、と誰も居ない山小屋の前でただ静かに笑った。

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