【全巻重版御礼SS】
バイレッタは唸りながら、険しい顔をしてなみなみとお茶が注がれたカップを見つめた。
「なんです、虫でも入っていましたか?」
縫製工場の工場長室で一時の休憩をしているところだ。秘書が淹れてくれたお茶に文句などないけれど、さりとて仕事から束の間離れてみれば、空いた時間に考えることは一つである。
それも悔しいといえば悔しいけれど、それでもやっぱり唸らずにはいられないのだ。
「貴方、恋人はいる?」
「そんなこと聞いてくるなんて、熱でもあるんですか」
なぜか秘書は化物を見たかのように青ざめた。
「ち、ちょっと聞いてみただけじゃない!」
彼に嫁がいないことは知っているけれど、恋人の話など聞いたこともなかった。話のとっかかりとして軽い気持ちで聞いただけなのだが、重すぎる反応にバイレッタは思わず眉をひそめた。
「はいはい、またあの上手な旦那様と痴話喧嘩ですか。生憎とこの前別れたばかりなので、惚気はご容赦くださいね」
「やっぱり恋人いたの、って別れたの!?」
兄弟子でもある秘書は、昔から厳しいけれど優しく見守ってくれる兄のような存在だ。実の兄とはあまり関わりがないので、むしろ可愛いがってもらったと記憶している。
そんな彼の私生活をバイレッタはあまり知らない。叔父であり彼の師匠でもあるサミュズが、その手の話を彼女の耳に入れないように配慮した結果なのだが、もちろんそんなことも知らないので、初めて聞く兄弟子の恋愛に、思わず声が裏返った。
けれど彼は苦笑して、平板に告げるだけだ。
「こちらの話は綺麗に終わっていますから構わなくて結構ですよ」
「そういう余裕な態度に腹が立つというか……」
秘書にしろ、夫にしろ、どちらにしても年上の男というものはなぜこんなに余裕ぶってくるのか。
自分が負けず嫌いで跳ねっ返りなのは自覚しているけれど、恋愛初心者であることも重々承知しているけれど、もうちょっと感情が揺れてもいいのではないかと思ってしまう。
バイレッタばかりが焦らされて、困らされて、彼の手のひらの上で良いように転がされているかのような錯覚に陥るのだ。
簡単な遊び事の賭けでも負け続けているように。
「ええ、本気で言ってるんですか?」
「なによ」
思わず拗ねたように口を尖らせれば、目を丸くした秘書がいる。
いつも落ち着いている彼にしては珍しい表情に、バイレッタも戸惑ってしまった。
「軍で色々と噂されていると聞いておりますが」
「悪女だとか、浮気性の妻とか、夫を平気で平手打ちする暴力妻だとか?」
「え、あーこれ本気のやつか……鈍いとは思ってたけど、ここまでとは」
口調が兄弟子時代の頃に戻っているけれど、バイレッタは気にしなかった。それよりも、彼の言葉の内容の方が問題だ。
「どういう意味かしら?」
「心配しなくても、お前が最強だよ」
疲れたように笑う秘書の瞳は、兄弟子だった頃のように慈愛に満ちていて、バイレッタは怒り損ねてしまうのだった。
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