【Ⅱ下巻発売記念SS】7/24発売!
バイレッタは取引先から受け取ったお酒を家令のドノバンに預けるつもりで、職場からスワンガン伯爵家にたどり着いてすぐに手渡そうとした。
けれど、ドノバンは嬉しそうに微笑んだ。
「若様は寝る前に少しお酒を召し上がることもありますよ、直接お持ちになられればよろしいかと」
「ええ?」
アナルドが戦場から戻って数日が経っている。別に喧嘩をしているわけではないけれど、バイレッタは仕事に忙しくしていて朝と晩くらいしか顔を合わせることがない。どこか気恥ずかしさが付きまとって、途方に暮れた。
「若奥様がお声をかけられれば、お喜びになると思われますが」
バイレッタの戸惑いに、ドノバンの垂れた眉がますます下がる。今更何を照れているのかと言わんばかりだが、自分でもよくわからないのだ。
けれど、受け取ってもらえないのはわかったので、バイレッタはそれを自室へと持っていくことにした。
夕食後もしばし自室で葛藤した。
差し入れるだけ。
だというのに、一体なににそんな躊躇う必要があるのか。
女は度胸だ。
しかも相手は一応、夫でもある。
一応どころか、しっかり夫なのだが、バイレッタは深呼吸をしてアナルドの部屋の扉をノックした。
なんとなく断ってくれないだろうかと思ったが、すぐに入室の許可がおりる。仕方なく、そのまま歩を進めた。
バイレッタがアナルドの自室にやってくることは滅多にない。だからこそ、へんに緊張するのかもしれなかった。
「お部屋でゆっくり過ごされている時にすみません。仕事先からお酒をもらったのですが、ドノバンに聞いたら旦那様は寝る前に少しお酒を嗜むと伺いまして。よろしければ、こちらを召し上がりませんか?」
酒のもの自体はとても上等なものだと聞いている。
遠慮がちにバイレッタが差し出した酒瓶のラベルを確認して、アナルドはにこりと微笑んだ。
「ええ、いただきます。それはとても飲みやすいので、ご一緒にいかがですか?」
まさかのお誘いに、バイレッタはどきりと鼓動が跳ねた。
「明日も仕事がありますので……」
「貴女がもらったものですし、少しくらいなら明日にも響かないでしょう」
逃げ口上を用意したのに、アナルドは言いながら、自室に据えられていた棚からグラスを二つ用意して、バイレッタをソファに座らせた。
手際よく酒瓶の栓を開けて、注がれるのでバイレッタも諦めるしかない。
むしろ早業では?
仕方なくグラスを手に取り、そのまま二人でソファに並んで腰かけて、グラスを傾けた。
ほんの数口で、バイレッタは頬を上気させた。
外で酒を口にする機会は多いけれど、これほど早く酔いが回るとは思わなかった。
いつもは気が張っていて、だからこそしっかりしなければという思いが酔いを遠ざけていることにバイレッタは気が付かなかった。
アナルドがグラスを呷って、小さく頷くので、バイレッタも酔いを振り払うように、言葉を吐く。
「確かに、とても飲みやすいですね」
「小さな蒸留所なので、年に数本しか出回らない希少なものですよ。いいものをもらったんですね」
バイレッタの吐く息が熱い。
飲みやすいのに、度数が高いのだろうか。
不思議に思いながら、なんでもない話が妙に甘い声になっているような気がする。
だが、実際にアナルドはバイレッタの耳元近くでささやくように話すので頬に熱が集まるのを感じた。
「どうして、そんなに耳元で囁くんですか……」
「頬を赤らめた妻が魅力的すぎるからですかね」
「……旦那様は、もう口を開かないほうがよいと思います」
「それは申し訳ありません?」
「それ、謝る気がないですよね……」
夜の会話は、ひどく静かだ。思わず胡乱な視線を向けてしまったが、アナルドは平然と杯を空にした。アナルドにつられて、バイレッタも酒を飲み干した。
空になったグラスが二つ並んでいるテーブルを見るともなしに眺めていたバイレッタの視界がふわりと揺れる。心地よい眠気に誘われるように瞼を落としたバイレッタの体がこてんとアナルドの肩に触れた。
「バイレッタ……」
アナルドの小さな呼びかけにすら、返事をすることがひどく億劫だ。
規則正しい呼吸を返すだけで精一杯。
無防備な姿を晒していると思うのに、どうしても瞼が持ち上がらない。だからといって、必死さがあるわけでもない。身の内を浸すのは安堵であり、安らぎだ。
誰かに寄りかかって生きていくことを是とする自分なんて信じられないのに、実際に起こっているのだからなんとも不思議な心地がする。
それでも悪くないと思ってしまうから、やっぱり絆されているのかもしれない。
冬の寒い夜に、酒で多少温まったとはいえ、夫のぬくもりには敵わない。
だから、いいんじゃないのかなと下手な言い訳まで添えて。
「このままでは風邪をひいてしまいますね」
アナルドの声は平板なのに、奥に潜んだ感情を読み取ってくすぐったくなる。
抱き上げられたバイレッタは、ふわふわしたまま運ばれた。そこにもやっぱり浮足立つような気持ちになって微睡んだ。だから、柄にもなく祈ってしまうのだろうか。
願わくば、明日も明後日もその先も。
彼の妻であり続けられますように――。
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