【重版決定御礼SS】

「え、なんですって…?」


バイレッタは思わずドノバンを振り返った。

スワンガン伯爵家の家令は、玄関ホールに佇んだまま、穏やかに微笑している。


時刻は夕刻。

バイレッタは自身の裁縫工場で一仕事を終えて、帰宅したところだ。明日は朝早くから商談があるため、早めに戻ってきた。

ドノバンがいつもと変わらぬ態度で出迎えてくれて、自室で着替えようと向かっていたときに呼び止められた。そして耳を疑うようなことを言われたのだ。

仕事で疲れて、きっと聞き間違えたのだ。そうに違いない。


「ですから、若様からお手紙が届いております」


ドノバンは先ほどと変わらずに、平坦に告げた。

そして、バイレッタは息を呑んだ。


あの人が出て行ったの今朝ですけど――?!


南西でまたいざこざが起きたと、夫たるアナルドが出立していったのは今朝だ。

散々、名残惜しげに玄関ホールでぐずぐずしているから叩き出したのは記憶に新しい。


それとも、忙しすぎて昨日を今日だと勘違いしたのだろうか。


「え、あのアナルド様がでかけられたのは、今朝よね?」

「そうですね」

「それで、手紙が届いたの……? あ、何か起きたのかしら」


緊急事態が起きて、何かすぐに知らせなければいけなくなったのだろうか。

バイレッタはドノバンが差し出した手紙の封を切って、慌ててざっと文面に目を通す。


「え……」

「いかがなさいましたか」

「いえ、普通の内容だわ。軍部についたら出立まで時間が空いたから手紙を書いたようよ」

「それはそれは……」


ドノバンもなんと答えたらいいものか逡巡して、相槌を打つ。

だが、バイレッタもどうすればいいのかわからない。

別に突然病気になったわけでも、怪我をしたわけでもないらしい。

とにかくバイレッタと離れたくないというようなことがつらつらと述べられていた。

あの男はいつから、こんな愛妻家になったのだろうか。


いや、まあ一応想いは伝えられているが。


「とにかく、急ぎではないようだし、明日は早いの。手紙の返事は後日にするわ」

「さようでございますか」


ドノバンは一礼して、自室に向かうバイレッタを見送った。


だが、これはほんの始まりにしか過ぎなかったのだ。



#####


「若奥様」

「今日もなの?」


仕事から戻れば、すでに青い顔をしたドノバンが手紙を差し出してくる。

夫が出立して一週間。手紙が届いて七日目。

そして、家令が差し出している手紙も七通目だ。


戦時中とは違い、郵便事情が改善したとはいっても、かなり遠いところへ向かった夫からこんなに毎日手紙が届くというのはどういうことだ。時間がおかしい。一体、彼は何を使って郵送しているのだろう。一般の郵便ではありえない速さである。


普通、一通を送るのにそれなりに時間がかかるものなのだが。

まさか、軍部を私的に使っていやしないだろうか。


「若奥様、差し出がましいことかとは存じますが、その、若様にお返事などはだされていますでしょうか……」

「そんな暇があると思う?」


毎日仕事仕事仕事だ。

朝に家を出て、夜に戻ってくる。

どこに手紙を書く暇があるというのか。


そもそも、根本的にバイレッタは私信を出したことがほとんどない。

アナルドのとりとめのない手紙に、何を返せばいいのか悩んでいる間に、時間はどんどん過ぎる。そして、手紙もどんどん増える。


「ですが、さすがに……これは若様もしょんぼりなさるのでは……」


しょんぼりだと?!

バイレッタは想像して、なんだかひどく悪いことをしている気分になった。

確かにこれだけ手紙を送ってきて――方法はともかくとして――一通も返事が

ないというのは悲しいことなのではないだろうか。


バイレッタは恥を忍んで、家令に相談する。


「あのね、これまで私的に手紙をやりとりしたことがなくて……どんなことを書けばいいと思う?」

「普段の生活の様子を書けばよろしいかと。離れている間に若奥様がどのように過ごされているのか、お知りになりたいのではないでしょうか」

「なるほどね、それならすぐに書けそうだわ。ありがとう、ドノバン」


つまり業務日誌のようなものということか。

企業秘密もあるが、書ける範囲の行動をしたためればいいらしい。


バイレッタは軽い足どりで自室へと向かったのだった。

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