番外編⑥-6 愛の証明

晩餐会を途中で抜け出して、湯あみを終えた。寝支度を整えてくれた侍女は楽しげに微笑んでバイレッタを夫婦の寝室へと残して去っていった。


まさか、初夜までやり直すつもりか。

子供まで作っておいて、それはどうなんだろうか。


頭の中ではいろいろとごちゃごちゃ言いつつも、結局は物凄く緊張しているバイレッタがいる。

こうしてアナルドが来るのを待っているだけで、ソワソワと落ち着かない。


初めてでもあるまいし。今更照れることもないのだが、やはり居心地悪く寝台の端っこに腰かけて、立ったり座ったりを繰り返している。


時間がどれほど経ったのかわからなくなるくらい、体感的には一日以上だが、

きっと数分とかせいぜい数十分くらいだろう。

扉を静かに開けて、アナルドがやってきた。


彼も風呂上りの姿で夜の格好をしている。

まだ乾ききっていない髪を横に流して、後ろ手に扉を閉めると、バイレッタの傍にやってきた。


灯りはサイドテーブルに置かれたランプだけ。

仄暗い部屋の中、金色の光が入り込んだエメラルド・グリーンの瞳が静かに向けられていた。


「言葉が出ないほど、緊張しているのですか?」


ふっと口角を上げたアナルドはどこか妖しげな雰囲気を纏っている。


「そんな…今更でしょう?」

「ふふ、貴女が意地っ張りなのは知っています。そうですね、あの初めての夜に、きちんと手順を踏んでいれば今の貴女が見られたのかと思うと本当に悔やまれますが、今日見られたから満足ですね」

「意地が悪いです」

「はい、よく言われます」

「何を企んでいらっしゃるの?」


彼の考えはよくわからない。想像するよりも直球で聞いてしまった方が早いし確実だ。合理性をとった形だが、アナルドは瞳を見開いて、そして面白そうに笑う。


「橋をプレゼントしようと思ったんです」

「はい?」


はし?

はしってなんだ。


「結婚十年目、節目に当たるなら何か二人の記念になるようなものがいいと教わったので。形に残る方がいいし、二人の名前が刻まれればいいな、と。ほらクーデターの時に帝都にかかる橋が落とされたでしょう。その橋の建設を軍部で引き受けるかわりに二人の名前をつければ、使う人が皆、俺がどれほど貴女を愛しているのか知ってくれるでしょうから」

「やめてください!」


なんという規模の大きなプレゼントだ。

しかも執権乱用もいいところだ。

彼は作戦立案が主で土木事業にはあまり興味がなかったようだが、そんなことを考えて仕事をしようとしていたなんて。まあ作戦上必要とあらば軍で橋や道路を建設しているのだから切り離せるものではなく、慣れているのかもしれないが。


「いいところまではいったのですが、残念ながら命名権は奪われました。橋は直さなければいけないと、賛同はいただけたのですが。不本意です」


自分とアナルドの名前がついた橋なんていらない。

誰だか知らないが止めてくれてありがとう。いや、確かに生活に橋は必要だが。名前はつけなくていいから。

やはり夫は子供が産まれてからの奇行が凄まじい。思考回路もどこかねじが飛んでいる。


「それでホテルを買ったりレストランを買収しようとしたり道路を建設しようとしたんですが、やはりどれも邪魔が入りまして」

「もっと小さなもので結構ですよ。むしろお気持ちだけで十分です」


形に残って名前を刻みたいなら書面でも指輪でもネックレスでも羽ペンでもいい。

とにかく小さいものでお願いしたい。


「そうですか、小さいもの…それは少しご要望にはお応えできず…申し訳ありません」

「え、何か用意していただいたんですか」


まさか今日行ったあの教会を建て直したのだろうか。

それならもっと褒めちぎればよかった。

素敵な柱を使っておられますね、とか綺麗な石床ですね、とか。


おおよそ結婚十年目のプレゼントへの感想には似つかわしくないが。


「妻の要望には応えておかないと、お義父さんとの約束も果たせなくなってしまいますから。考えておきますね」

「ああ、あの男同士の約束ですか」

「お聞きになられたんですね。男同士の秘密の約束だとおっしゃられてましたが。まあそんなわけで、しばらくお付き合いください」


約束の内容までは聞いていないので、なぜそれでバイレッタがアナルドに付き合うことになるのかよくわからない。そもそも何を付き合うのだ。


「どういうことでしょうか」

「ですから、愛の証明ですよね」

「はい?」

「娘から『パパ大好き、パパと結婚する』と言ってもらうためには毎日、妻に愛を囁くことが大事だと教わりました。お義父さんも実践しなかったから、貴女から言ってもらえなかったのだと落ち込んでおられたので。俺がエルメレッタから言ってもらえれば、ひいてはお義父さんも彼女から『じいじ大好き』くらいは言ってもらえるんじゃないかという話でしたが、違うのですか」


恐しくくだらない話だった。

やはり聞くんじゃなかったとバイレッタは後悔した。もうすでに遅いが。


「はあ、まあそんなこともあるかもしれませんね」


だがエルメレッタはどう考えてもアナルドに性格が似ている。そんな可愛らしく『パパ大好き』なんて言う娘にはとても思えない。きっと何か計画をたてて利益を得るために言葉にするくらいだろう。

まだ1歳だが、そんな気がする。


「ですから、愛の証明をするために、貴女に似合うものを用意しました。小さくなくて申し訳ありません」

「あれ、教会ではなかったのですね」

「教会、ですか? あ、教会も欲しいということでしょうか」

「いえ、いりません。すみません、失言でした。あの、絶対にいりませんからね」

「わかりました」


本当にわかっているのか怪しい。

疑惑の目を向けていると、アナルドはゆっくりと身を屈めて口づけを落としてきた。


「これで、愛の証明になりましたか?」


唇を離したアナルドがどこか浮かれたように微笑んだ。

表情に乏しい夫の自然な微笑みだが、いかんせんバイレッタにはさっぱり伝わっていない。


口づけが愛の証明であり、プレゼントということだろうか。



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